【シューニャリアーナ批判論】カオスラウンジ(真)の真実

「僕はね、この人生というゲームを心底愛しているんだよ。だからどこまでも、プレイヤーとして参加し続けたい」 ~槙島聖護 From PSYCHO-PASS
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難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

@blacktuna そうでしょうねw。問題はソレと戦う(?)というか、話し合ってわたり、ときには骨抜きすることなのでしょうね。要は、語り部は思考し、創作する享受者は今なお創作し続け、あらゆる言説から逃走し続ければよいのでしょう…。(済みませんこのツイートリプ先はコレです)

2013-03-12 19:21:23
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

デニム「僕にこの手を汚せと言うのか」オリビア「理想のために、手を汚しましょう」ザエボス「汚しまくった結果がこのザマか!」 『手を取り合って』

2013-03-12 19:22:34
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

自分で自分の考えの持つクセを考えてみたらこーがみでもちぇぐそんでもなくて、寧ろ宜野座だった…orz 

2013-03-12 19:23:31
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

妙な対抗意識があること(それくらいのコンプレックスを抱いていること)ってあたりがまさに。いや、弥生さんかな?音楽活動してたんだけど搾取されちゃって今後そういう罠にはまる人が増えるのを止めさせようとする人 そしてレズ

2013-03-12 19:24:51
影山 @blacktuna

@L_O_Nihilum 例えばミュージシャンと音源マニアがクロスオーバーすることは希です だからポップスの歴史を語るのに楽器の発展の歴史から語れる人は少ない 同様にアートとその文脈を一人で語る人も少ない それが出来た人は実業家としてある種成功している

2013-03-12 19:25:15
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

@blacktuna どっかかんか偏るんですよね。ゲーム史もそうですね、ゲーム創作者とその享受者であるマニアのクロスオーバーは稀。Flash作家等の地道な発見と進化があってCGMの空間が育つのに、そこの地続きを語れる人は少ない。技術史としてのゲームへの視座も足りない。

2013-03-12 19:27:19
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

偏りを失くせとは言わないが、少なくともその創作やその対象に携わる人たちを逆なでするような言論だけは立てるべきじゃないのぜ。

2013-03-12 19:29:15
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

疎外論とは本来性を欠いたもとで行わなければならない(それこそデリダやアルチュセールの如くだ) だが、疎外が本来性を含む可能性を恐れて、疎外を回避し続けて外側に逃げ去り続けることが生み出すリスクも考えなきゃいけない。そのリスク考慮能力が、今批評には著しく欠如して見える。

2013-03-12 19:30:21
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

なあんだ、続けるしかないじゃないか、実践批評という「計算不可能の計算」をさ。

2013-03-12 19:30:39
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

だいたいまだけよりなリース√やってないしw(ていうかリース√特定できてない)

2013-03-12 19:30:55
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

『動ポモ』でいきなりエロゲーの批評から入ることで、多分に見落とされてきたスペースインベーダーからの系譜としてのエロゲー!それが全く考慮されてないことは嘆きに値していいと思うぜ!

2013-03-12 19:32:36
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

まぁいいや、続けりゃいいんだな。なんだか、黒子さんに励まされてしまった。

2013-03-12 19:37:26
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

語り部の詭弁弄者よ!向こう側の岸を見よ!! 汝らの見るべき世界は多い!

2013-03-12 19:40:59

☆まとめ☆
カオスラウンジ(偽)は結局何がしたかったのか?
その目的は(非常にココも勘違いされてると思うのですが)はっきりしています
黒瀬や東も言う事ですが
①既存のアートを取り巻く状況の批判
②各種ウェブコミュニティに存在する強烈な創作意欲について
③カオスラウンジメンバーがウェブコミュニティを中心に活動していること
④10年代の新しいアートを提案すること 

先ず①・②が正・反ですね つまり現代、「アート」とされる界隈…ちゃんとあるんです、藝術である、として(良し悪しどちらであれ)評価の対象であるものとして非-藝術であるものと分けて扱おうとする芸術・批評空間が。コレを哲学とかの用語で「アートワールド」と言うわけですが(詳しくはグリーンバーグ、ド・デューヴらの著書をご参照ください),とりわけこの「アートワールド」で一つの藝術およびそれに関する言説の空間が開かれているとき、この状況を『言語ゲーム』と言ったりします
日本でも世界的な目線で見ても,日本の創作の意欲は,そういった所謂「藝術の教養」空間においてではなく、寧ろその外側であるPixivやニコニコ動画のような、一般人の空間、自由な遊びの広場に於いて力強く発達しているという印象があります。なのに、その創作意欲からくる創造力は言語ゲームであるとも思われていない。アートワールドに扱われていない。
ここに、カオスラウンジは狙いとして,そういう教養外の空間における創作意欲のすがたを,自分たちがその創作意欲の姿の代表として教養空間の方に持ち込もう、とする。
これが彼らの狙いでした。そのためのカオスラウンジでした。いわばヘーゲルで言えばカオスラウンジの活動は、UGC,CGMといった日本の同人的・オタク的・二次創作的なアーキテクチャによる芸術への弁証法であったと言う事が出来るでしょう

いわば「サブである文化」の「ハイ文化世界」への輸出です
(だからその意味で村上隆も部分的に共感するのです)
で、その「こちらのやっていること」を、彼らがどのように捉えたか、っていうと、ソレが、かの水かけアートだったり、ピクシブに投稿された絵を勝手に使うと言った、非人道的な引用の組み合わせによるコラージュ等だったわけですね。

ところで、カオスラウンジ(真)のやろうとしたことは何だったのか。彼らへの抵抗だったのか。
少し違う。
彼はどうやら友達の絵がカオスラウンジに上記の形で用いられていた経緯があるため、感情的な側面では黒瀬のラウンジに対して全くと言っていいほど良い感情を持っていません
ですが、だからと言って根っから発言で叩くことばかりをしていてもつまらないと思ったのでしょう
というわけで、出来る限りの行動を起こしてみよう、と半ば好奇心も含めながら、彼らの行動の裏をつけるだけついてしまおう、としたのです
だから、人の作品をコラージュに使うなんてコトをする彼らが、自分らの名義に商標もつけてなかったところにツケこんで、そそくさ商標を申請してしまった、という事です
その後のいくつかの騒動も彼は全く動じておりません。
ただそのように抵抗してきたり叩いたりといった様子を眺めているだけです。
黒瀬らのラウンジに関しては、もうほぼ(その批評も含め)ほとんど呆れている…というか、もはや目に入っていないでしょう(笑)

『ネタ具現化委員会』における黒ツナさんがキメこなに興味を示さず、具現化もしたがらなかった、という事、
またカオス*ラウンジが提示した言語ゲームに関する内容を一切具現化しなかったことや
げんに彼らが言説している空間であるPixiv等”こちら側”に於いて彼らと同じ文脈の下、現に創作を行っていないこと
さらに
それどころか砕いたり水かけしたりというようなアートを行うことにより、乖離どころか怒りをも買っている事
法律的な観点からこれらのアートがそもそもアート界隈でも批判され、プラスの評価が得られておらず無視されているらしい事。
このような状況から見て一つ言えること。
批評とそれを含めたカオスラウンジの一連の活動は、はなっから何一つ言い当ててもおらず失敗しているという事です。
今回の件は、その事を黒ツナさんによって露呈させられたのだと言っても過言ではありません

結局のところ、じゃなんで彼らは活動しているのか?
要は聴いてくれる「場」があるからです。つまり言ってる批評の内容を、受け入れてくれる、そこに金を落としてくれる界隈があると知ってるから。それだけ。
言い換えれば彼らにとって有用な意見であればオタクでもなんでも使ってしまうという側面すら持ってます。そのやってきたことのメチャクチャさ。今此処ではっきりしました。
その後をどうするかは私たち次第でしょう。

EDは『名前のない怪物』で。
槙島聖護がゲームプレイに参加したように、黒ツナさんもまた、創作活動と提供活動のゲームプレイへの参加者だったのだ、ということを振り返りつつ。

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