剣術竹刀稽古での流派における打ちの軽さについて

剣術竹刀稽古での流派における打ちの軽さについて談義です。
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我乱堂 @SagamiNoriaki

防具取り入れが後進なので、あえて流派の特徴を残した…とか? RT @baritsu: 森本先生によると、久留米の防具稽古は上級武士がやってた直心影流から入って来たと推測されるかも、なんですがそうなると防具は堅牢でボコってても不思議ないのが面白い所ですね @inuchochin

2013-03-30 02:43:28
我乱堂 @SagamiNoriaki

ここまでくるともう推測でもなんでもないのだが、自分らが後進流派に取り込まれないようにあえて特徴を残し、あるいは強調したのかもしれないし、もっというのなら防具を鎧の代わりではなく、模擬戦のための道具と認識していたのかもしれない。あくまでも素肌での決闘を想定していたのか、なあ…?

2013-03-30 02:45:35
我乱堂 @SagamiNoriaki

そうか。改めて、前提の誤りに気づいた。江戸時代後期の、戦国時代から離れた頃の剣術にとって、実戦とは鎧を着て戦うものではなかった?そうすると防具も鎧を着ているというよりも、自由に打ち合うための道具という感覚だったはず。ならば防具相手で戦法なりを変えるのはおかしいと思ってた…かも?

2013-03-30 02:48:48
武文研/居合文化研究会@川村景信 @kawamurakeishin

窪田清音の著に『剣法聲詞記』というものがあった。読んで字の如し。発声に関する事柄を述べている。抜粋すると、「古伝には此のエイ、トウ、シ、ホウ、ヤ、ソレ、の七聲のみにして、他の音聲をかくること相伝なし。」とある。また、

2013-03-31 19:59:41
武文研/居合文化研究会@川村景信 @kawamurakeishin

「試合に、他を打ち突きしたるとき、他の答へにまゐりたりと云ふ。己はウスシ、カロシと受け、全く己の勝と定めざるを習ひとす。(略)彼マイリタリと云わば、己はウスシ又はカロシと言ひ、妄りに勝を奪うべからず。」とある。そういう合いの手みたいなもののようだ。

2013-03-31 20:07:16

剣法聲詞記
国立国会図書館近代デジタルライブラリー
『剣道集義』
山田次郎吉 編
東京商科大学剣道部
大正11
info:ndljp/pid/970373
000000584877