@keiki22 「鎮魂」って意味で使われてるとは思うのだけれど、理性と感情を同じ土俵の上で解決しようとすると両方ダメになりそうです。
2013-04-10 22:34:06面白いもの、気持ちよいもの、美しいもの、切ないもの、笑えるもの、踊れるもの、そういうものを作りたいってだけだからなー。その後のことは知らない。
2013-04-10 22:43:41↓ そうなのです。予断だらけの僕ですが、音楽にそれが入った場合、その曲はやらない事になって行きます。だから、「素直」なものしか残らない。例え毒だとしてもね。
2013-04-10 22:53:57@keiki22 もちろん、創作活動はさいしょから(作る人の)メッセージを含んでるから、たとえば政治的でもありうるけれど、あるメッセージを伝えることが目的になった時、その創作は「死ぬ」でしょう。モノを作る(アート)と言うのは、感覚を全開にして行う危険な作業ですし。
2013-04-10 23:07:44@nekoya_3 その危険さは中々理解して貰えない事が多いんですよ。結果から逆算できると思ってる人が多数。創作を「死ぬ」ものにした時の僕らのどん底は、科学にもあると思うんですけどね。
2013-04-10 23:09:16自らの悲しみの原因を直視できていたとは思えません
念の為に言うが、玄妙さんは個人的経験に振り回されてプロにあるまじきことを言ったのではない。自己の経験から得た感覚に依拠して思考し、石を投げた。問題はその石に当たって怒った人々を「医師の立場」から抑えこもうとしたこと。それでは手元が狂う。感覚に従って石を投げ続けないといけなかった。
2013-04-11 00:31:46@anmintei ぅ~ン…たしかに一理あるとは思うけど、それで通すには、それこそ芸術性の高さが求められるんだけど、玄妙さんの芸風って最大譲歩してもむつかしいところあるんだよなhttps://t.co/mET7InswtB
2013-04-11 00:38:34とてもむずかしくて、出来る人は少ない。やるのはとても怖いことだから、誰もやらない。それに挑んで、立場で抑えこみにかかったからといって、それを攻撃したって意味はない。立場に戻って、二度と出てこないようになるだけ。 @discusao
2013-04-11 00:49:58自分のことを必要以上に責める人は,結局のところ他者に対しても必要以上に攻撃する。自責の念は,一見すると謙虚な姿勢だと思われがちだが,本来は責任のないことに対しても責任を感じ,罪悪感を持ってしまうのは,それを利用してその人をコントロールしようと思っている人以外,誰も得をしない。
2013-04-10 23:05:30@anmintei 私は,先生のおっしゃる「自己の経験から得た感覚」それ自体に歪みがあったために,結果的に玄妙さんは「医師の立場」から抑え込もうという行動に結びついたのではないか,と考えています。己の「愚」を自覚したり,自らの悲しみの原因を直視することができていたとは思えません。
2013-04-11 00:49:37