山本七平botまとめ/約二千年前の「ババタの書類」/~第二次ユダヤ叛乱で死んだ未亡人ババタ~

山本七平著『存亡の条件ーー日本文化の伝統と変容ーー』/第一章 進歩と停滞/未亡人ババタの残した書類/16頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【未亡人ババタの残した書類】では夫が死んだとか蒸発したとかいった場合、残された家族はどうなったのであろう。 発掘されたパピルスには多くの「遺言・相続関係」のものがある。 そしておそらく遺産争いや、生前贈与などもあった。<『存亡の条件』

2013-03-26 19:28:02
山本七平bot @yamamoto7hei

②これらの関係がはっきり出てくるのは、紀元130年ごろの「ババタの書類」といわれる一束のパピルスである。 人類の歴史にはしばしば「運命のいたずら」としか言いようのない偶然がある。

2013-03-26 19:57:49
山本七平bot @yamamoto7hei

③この書類の束…南部パレスチナ…で、ババタという名の一中年女性が自ら包み自ら紐をかけたと思われる書類の束、これが全く手つかずで…誰の手も経ずに、パレスチナ考古学の最高権威の一人、Y・ヤディン教授の手に入ったのはやはり「運命のいたずら」としか言いようのない事件である。

2013-03-26 20:28:05
山本七平bot @yamamoto7hei

④昔のユダヤにも現代の日本にも、様々のタイプの中年女性がいるが、あらゆる書類や書きつけ類を、何もかもきちんとファイルして系統的に保存しておかないと気がすまない、といったタイプの女性は決して珍しくない。 大体しっかり者に類する女性であろう。

2013-03-26 20:57:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤同時にこういう女性は、自分に直接に関係したことしか関心を示さないから、政治的動きとか社会の変動とかに、きわめて無知無関心である。 そして世の中がひっくり返っても、自分の生活は永久にこれまで通りに過ごして行けると頑として信じ切っている。 おそらく彼女もその一人であった。

2013-03-26 21:28:01
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥それ故に彼女は絶望的といえるバル・コホバの叛乱(第二次ユダヤ叛乱)の末期に、土地の権利書や遺産相続に関する書類の全てをしっかともって洞窟に逃れた。 恐らく彼女は、この事件はすぐ終わり、やがて以前と同じ生活に戻れると信じて疑わなかったのであろう。 彼女の予測は一部はあたった。

2013-03-26 21:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦叛乱はじきに終わったのである。 だが最も重要な部分はあたらなかった。 彼女は恐らくその洞窟で餓死し、洞内に散乱する人骨のどれかとなったと思われる。 そしてその洞窟は…崩れ落ちたと思われる…岩で…塞がれ、ヤディン教授とその発掘隊が入り込むまで…封印されていたに等しかった。

2013-03-26 22:28:03
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧奇妙な運命が、約二千年前の「書類」を、そのままの形で現代まで残して来たのである。 このバル・コホバの乱は、対ローマ第一次叛乱の60年後に起こった破滅的なゲリラ戦物語だが、次章で引用するヨセフスのような歴史家が加わっていなかったため、残されているものは、ほぼ「伝説」だけである。

2013-03-26 22:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨バル・コホバの本名シメオン・ベン・コシバも、ヤディン教授がその自筆書簡を発掘するまでは、厳密な意味では「確定」していなかった。 だがここではこの叛乱の詳細を記すのが目的でないから、「ババタの書類」を理解するのに必要な点だけを略記して、書類自体へと進むことにしよう。

2013-03-26 23:27:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩バル・コホバのグリラ戦も結局は強大なローマ軍の組織的殲滅戦にあって、一歩一歩と後退し、住民もしだいに彼から離反し、彼とその一党は、死海沿岸の、今ではヘリコプターでなければ近寄れないような洞窟群に逃れ、そこを根拠地として最後の抵抗をつづけていた。

2013-03-26 23:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪その彼の、経済的支柱ともいうべきものは、エングディのしゅろ園であった。 この一種のしゅろからとれる香料は古代東方で有名なもの、従って小規模な形の、現代の植民地ゴム園を思わせるこの園一帯は、ローマ皇帝の直轄地であった。

2013-03-27 00:27:49
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫といっても、皇帝が直接に栽培していたのでなく、その樹林は細分され、その各々の樹木は少しずつ、永代小作権のような形で人々が管理栽培収穫の権利をもち、一定の納付金を皇帝に納めるという形であった。

2013-03-27 00:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬バル・コホバは、叛乱の初期に、イスラエルの支配者として、皇帝がもっていたその所有権を接収したわけである。 といってももちろん彼もそれを自分で直接に管理栽培したわけでなく、ただ皇帝に納められていた納付金が、彼に納められたというだけであった。

2013-03-27 01:27:55
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭この関係を、20世紀の植民地と、植民地独立に伴う宗主国資産の接収と対比してみると面白い。 そしてババタは、前記のような権利をもつ小園主の一人であり、未亡人であった。

2013-03-27 01:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮書類が発見されたのは、俗に「手紙の洞窟」といわれる洞窟であり、そこにこもっていたのは、バル・コホバ側の幹部の一人であった。 一体なぜ平和な小園主である一女性が、このグリラの洞窟に逃れたのか。 調べていくと、奇妙なことに彼女の亡夫の先妻の娘との関係らしい。

2013-03-27 02:27:47
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯先妻の実家ベアイアン一族はバル・コホバ側の幹部であり、彼女は、先妻とは遺産争いをしていたから、その実家の一族と行動を共にするのは不思議に思われるが、亡夫の遺言で、先妻の娘の財産管理もやっており、その関係と思われる。

2013-03-27 02:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

①【財産をめぐる骨肉の争い】彼女のもって来た書類は全部で35通、そしてそれらは、この一女性のプライバシィを明確にさらけ出している。 今日の日本の、隣に住むごく新しい女性のプライバシィでさえ、人びとはこれほど明白には知り得ないであろう。<『存亡の条件』

2013-03-27 03:27:52
山本七平bot @yamamoto7hei

②ババタの父はシメオン、母はミリアム(マリア)で、シメオンは、次章で述べる対ローマ第一次坂乱の末期に、おそらく乱を逃れて、死海南端のナバテア人の領土のマホザに入植し、ここでもしゅろ園を入手した。 最初に出てくるのは、その権利書である。 …(原文省略)…

2013-03-27 03:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

③…ババタは相当のしっかりものであったらしい。 現代人同様その財産の申告は必ずしも正直ではない。 総督に申告した財産と彼女自身の財産目録は、相当に誤差がある。 そして、未亡人になったため、ますます、手に入れたものは絶対に手放すまい、とられまい、といった姿勢がある。

2013-03-27 04:27:53
山本七平bot @yamamoto7hei

④従って訴訟事件はこれだけでなくこのほかにもあるのだが、それは省略しよう。 だが問題はなぜ、結婚と同時に夫が、財産名義を妻に切りかえるのが常だったかという点にある。 これがおそらく、昔も今も変わらぬ税金対策なのである。

2013-03-27 04:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤ただそれは、妻の名義にして相続税を軽減するといった簡単なことではなかった。 おそらく持参金の段階から、何やら操作されているらしく、ババタの場合にも、明らかに架空の授受と思われる書類がある。

2013-03-27 05:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥だがこれを完全に説明するには、ローマの税法から説明しなければならないので省略するが、簡単にいえば 「不動産を購入すると所得があることがばれて税務署に追究されて困るから、売買双方で取引価格その他を操作しましょう」 と現代人が言うのと似た関係が、結婚契約にあったわけである。

2013-03-27 05:57:40