専制と原理主義について、「夜戦と永遠」より

佐々木中さんの著書、「夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル」から専制と原理主義について書かれた箇所を引用しました。(傍点による強調など、一部やむを得ず表記を省略・変更した所があります。ご了承ください。)もし佐々木中さんに興味を持たれた方は、「切りとれ、あの祈る手を―〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話」から読まれることをおすすめします。
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内田樹 @levinassien

人は母語によって創造する。後天的に学んだ外国語で対話したり、表現したりすることはできますが、それを用いて新しい思念や感情を創り出すことはできません。「沈黙の言語」(language of silence)とは江藤淳によれば「思考がかたちをなす前の淵に澱むもの」のことです。

2013-04-11 11:42:50
内田樹 @levinassien

「沈黙の言語」と触れ合うことで僕たちは固有の文学を知ります。「なぜなら、この『沈黙』とは結局、私がそれを通じて現に共生している死者たちの世界-日本語がつくり上げて来た文化の堆積につながる回路だからである。」(江藤淳『近代以前』)

2013-04-11 11:45:46
内田樹 @levinassien

グローバル化とは端的に言えば、「死者たちの世界」との回路を断ち切ることです。シンガポールやフィリピンや韓国やベトナムでいま起きていることです。祖父母たちが母語で書いたテクストを孫の世代はもう読むことができない。

2013-04-11 11:49:23
内田樹 @levinassien

それは固有の文化を失うことであると同時に、「私は『死者たちの代理人』である」と僭称する政治家やイデオローグに対して誰も反論できなくなるということでもあります。ナショナリストたちは逆説的なことですが、国民ひとりひとりが伝統文化とのパーソナルなかかわりをもつことを嫌うのです。

2013-04-11 11:52:04
内田樹 @levinassien

伝統文化や母語についてのパーソナルな愛着ほどナショナリズムが嫌うものはありません。ナショナリストは「伝統文化や母語」について一意的な定義を下したる。わが国の文化は「こういうもの」であると一方的に規定して、それ以外のものを排除しようとする。

2013-04-11 11:54:36
内田樹 @levinassien

だから伝統文化や母語の深いニュアンスについて親しむことをナショナリストは嫌うのです。「美しい日本」というような無内容な国民文化規定をしたがる政治家が「もっと英語を」と主張するのはそのためです。彼らは日本人に日本の伝統文化に触れて欲しくないのです。

2013-04-11 11:56:16
内田樹 @levinassien

「クールジャパン」というような伝統と断絶した「日本的なもの」を彼らがやたらに持ち上げるのはそのためです。「クール」というなら『柳橋新誌』や『福翁自伝』や『断腸亭日乗』の方が100万倍も「クール」ですが、彼らはそんなものを日本の若者には読ませたくないのです。

2013-04-11 11:59:27
carmine @carmine_RR

専制者とは、”個々の「主体」とフィクションであるはずの<モニュメンタルな主体>”の間の疎隔が無くなり、区別が付かなくなった者である。”だから、自分と法との区別はない。自分が根拠律なのだから、根拠律はない。何故はない。何故など必要ない。『この俺は万能なのだから。』”

2013-04-17 02:01:51
carmine @carmine_RR

”専制とは、無意識の疎隔の蒸発である。だからそれに公私の区別など存在しない。”(引用は佐々木中さんの「夜戦と永遠」より)

2013-04-17 02:05:12
carmine @carmine_RR

そして原理主義者もまた同じく、テクストと自分の区別がつかず、自己と他者の区別がつかない者である。わたしがすべてであり、すべてがひとつになる。

2013-04-17 02:14:05
carmine @carmine_RR

”「こう書いてある、だから殺せ」。原理主義は、すべてテクストの原理主義である。原理主義は、テクストへ服従するものではなく、テクストを自在に無視すらしうるものである。疎隔がそこにない以上、原理主義者はテクストと自分の区別がついていないのだから。”

2013-04-17 02:18:04
carmine @carmine_RR

”テクストと、イメージと、エンブレムと自分の、たとえば国旗と自分の区別がついていない人々。それらが「モンタージュ」の効果にすぎないということが、脳裏から蒸発してしまっている人々。彼らこそ、正確に「原理主義者」と呼ぶことができるだろう。”

2013-04-17 02:21:00
carmine @carmine_RR

アルマゲドンを起こそうとしたオウム真理教、国家ごと自殺しようとしたナチス。ラカンが絶対的享楽と呼ぶ欲望。わたしがすべてで、すべてはひとつで…だから、すべてをひとつにしたい。終わりをひとつにしたい。神になりたい。世界の終わりを見たい。

2013-04-17 02:40:38
carmine @carmine_RR

そう、これは「新世紀エヴァンゲリオン」で描かれる欲望と全く同じものだ。自己と他者の境界をなくして、すべてをひとつにして、世界を終わらせて、神になる。すべてがわたしになる。そこにはもう何もなくて、ただ死だけがある。

2013-04-17 02:43:11
carmine @carmine_RR

他者の存在が、他者とともに生きるということが、倫理である。「世界」は「私」ではなく、私が生まれる前から存在し、死んでからも存在する、けれども私を通してしか私にとっての世界はありえず、「私」は私の死も、生の始まりも経験することはできない。そのような「謎」を引き受けて生きることが。

2013-04-17 02:56:11
carmine @carmine_RR

ハイデガーのようにヨーロッパの知性の最先端だったドイツからナチスは生まれ、ホロコーストが生まれた。それは、今まで論理的に積み上げてきた哲学が、決定的に大事なものを落としていたということを示していた。「私」にとって、言葉にできるもの、論理に載せやすいものだけを積み上げてきた結果が。

2013-04-17 03:09:09
carmine @carmine_RR

だから、生き延びたユダヤ人であるレヴィナスは鎮魂のために、知性と限りを尽くして、論理的に「決して言葉にならないもの」、「言葉にしえないもの」の切迫を書こうとした。そして「言葉にしてはいけないこと」は何かを。死者に代わって語るな、死者を利用するな。死者たちをして死なしめよ。

2013-04-17 03:14:14
carmine @carmine_RR

話がそれた、ナショナリズム、グローバリズムと原理主義について。

2013-04-17 03:28:26
carmine @carmine_RR

”原理主義的な世界。われわれの生きている〈マネージメント〉が支配する世界すらをも、ルジャンドルは「原理主義」と呼ぶ。いわく、「〈マネージメント〉とは行動主義的ドグマを政治的かつ社会的に作動させることであり、極端に走らぬための歯止めとなるものを持たない。”

2013-04-17 03:29:20
carmine @carmine_RR

”それは原理主義の言説なのであり、暴力的な帰結をもたらすのであって、〈軍事国家〉に支えられなくては拡大していくことはできないのだ。こうした〈禁止〉の構造に対する盲目という状況下で、われわれが住まう〈西洋〉はこの根本的な問題から身をかわしているのである」。”

2013-04-17 03:35:47
carmine @carmine_RR

”そこに欠けているものがある。解釈であり、解釈者だ。「解釈者の位置は疎隔にある」そして「解釈者とは……彼自身と権力の〈絶対的欲求〉とのあいだにひとつの疎隔を支持しうるものとしておのれを示すもののことだ」。”

2013-04-17 03:38:46
carmine @carmine_RR

”われわれは既に見た、五百年前のイスラーム法学者が提示したあのあえかな絶句を。「どう解決すべきか」を。この根拠律を代理するという困難な務めを果たそうとする者、それがここで「解釈者」と呼ばれている者に他ならない。個々の事例を丁寧に見て行き、法に照らし合わせては判例を積み重ねる者。”

2013-04-17 03:48:01
carmine @carmine_RR

”(…)決疑論とは個々の事例の学であり、そこで決して法を直接的に適用してはならないのだ。だから根拠律があるだけでは十分ではない。それは外在しなくてはならない。あらゆる社会野において、根拠の外在性のみならず根拠律の外在性が打ち立てられなくてはならない。つまり根拠律との疎隔が。”

2013-04-17 03:53:22
carmine @carmine_RR

ここで言う「根拠律」とは、”「何ものも根拠なしに、理由なしに、あるのではない」というもの”である。根拠律自体には根拠がない。しかし、”そこからしか根拠が、理性が、原因と結果との連鎖が、つまり因果性が、「何故」との問いとその答えが始まらない喫水線。これが根拠律である。”

2013-04-17 04:06:56
carmine @carmine_RR

何故、根拠律は重要なのか。あるユダヤ人がアウシュヴィッツの看守に告げられた言葉、「ここに何故はない」。”そう、アウシュヴィッツに何故はなかった。その非-時空においては、ユダヤ人を虐殺するのに理由など必要なかった。” 

2013-04-17 04:14:42