今こそ「異端審問」を振り返る~何故スペインで異端審問は激化したのか? の勝手な整理

今こそ「異端審問」を振り返る~何故スペインで異端審問は激化したのか? | Kousyoublog http://kousyoublog.jp/?eid=2910 の内容に興味があったのですが、ちょっと難しかったので勝手に自分が理解できる文脈に整理しました。 今のところ第一章までです。「第二章 異端とは何か」以降は元サイトさんでご覧ください。 続きを読む
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いいニュースを。 ニュージーランド議会が同性婚認める法案可決、アジア太平洋地域で初http://t.co/1z6w50Thi8 アジアは元々性別に関してはゆるやかなので、ベトナムをはじめ広がってくれると嬉しいですね(我が国も明治にキリスト教的概念が入るまでは伝統的におおらかでした

2013-04-19 11:38:34

閑話休題

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一四世紀初頭のカスティーリャ王国。凶作による人口減少、食料品不足による社会不安と旧貴族層の没落→封建制の危機が起こる。一方で新興富裕層の台頭があり、商業の発展によって財を成し、ユダヤ教徒からキリスト教徒に改宗した人々は「コンベルソ」と呼ばれる。

2013-04-19 13:22:03
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歴代国王が優秀な元ユダヤ教徒の「コンベルソ」を要職に積極的に登用したため、社会不安は成り上がりのコンベルソたちに対する憎悪へと転化。「黒死病(ペスト)」の大流行が引き金となり、人々は目の前に広がる地獄絵図の原因をユダヤ教徒へと結び付ける妄想を生む。

2013-04-19 13:24:17
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欧州全土で疫病による人口の減少、農村の荒廃、小作農の流民化、貧民の急増と都市流入が起き、秩序が大きく揺らぐ。 その中でハンセン病患者、ユダヤ教徒、イスラーム勢力などマージナル(非国民)な存在はキリスト教諸国を包囲する敵として観念されるようになり、「反ユダヤ主義」が醸成されていく。

2013-04-19 13:26:05
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カスティーリャ王国で「反ユダヤ主義」が加速した要因は内乱。前王が黒死病で逝去し、その子ペドロ1世が即位するが、異母兄弟のエンリケが王位継承に反旗を翻す。 戦略としてエンリケは「ペドロ1世がキリスト教徒を犠牲にしてユダヤ教徒を富ませている」という反ユダヤ言説を巧みに流布し民衆を煽る

2013-04-19 13:29:36
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「ペドロ1世がキリスト教徒を犠牲にしてユダヤ教徒を富ませている」というエンリケの反ユダヤ言説な煽りは、ペストと凶作で苦境に立つ人々の不満と合致。ユダヤ教徒排除の空気がさらに醸成されてゆく。

2013-04-19 13:31:19
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エンリケは兄王ペテロ1世をキリスト教に仇なす非国民として斃すが、政権を得ても不安定は時代は続く。 そのためエンリケ2世は「既得権益層と戦う解放者のイメージ」で語られるようなプロパガンダ(ステマ)を打ち、それにより「異教徒のくせに不当に利益を得やがって」と「反ユダヤ民衆運動」が高進

2013-04-19 13:37:16
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「おれたちのキリスト教徒を迫害した”残忍王”ペドロ1世」から「カスティーリャの民を(非国民のユダヤどもから)救った英雄エンリケ2世」というイメージは現在まで残る。

2013-04-19 13:38:25
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一三九一年、ついに民衆のユダヤ教徒への憎悪が爆発。 イグラナダ王国近くのセビーリャ(スペイン南部にある街)で教会の助祭であったフェラン・マルティネスはユダヤ教の会堂の打ち壊しやその排除を訴え民衆を煽り、助祭のヘイトスピーチに駆り立てられた民衆がユダヤ人居住区に侵入、虐殺を行う。

2013-04-19 13:44:01
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助祭のヘイトスピーチに駆り立てられたキリスト教徒の民衆により、数千の男性が殺され、女子供は捕えられ奴隷として売られる。この狂気は瞬く間に欧州各地へと伝播し「ポグロム」の嵐が全土を覆った。 ユダヤ人共同体は壊滅的な打撃を受け、多数のユダヤ教徒がキリスト教への改宗を余儀なくされた。

2013-04-19 13:46:24
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苛烈を極めた反ユダヤ運動は一四二〇年代に沈静化するが、キリスト教徒からの不信は変わらず一触即発の状態は続く。その不信の目はユダヤ教徒だけでなく改宗した「コンベルソ」達にも向けられる。彼らは真にキリスト教徒に改宗したのだろうか?という疑いの目で。

2013-04-19 13:47:18
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また、ユダヤ教徒の迫害が始まる前からコンベルソとなった富裕層はその才覚と財力でキリスト教社会の上層に食い込んでいたが、 その上流階級である「真の選ばれたコンベルソ」と「ポグロム(ユダヤ人大虐殺)」後に改宗を余儀なくされた「新参のコンベルソ」との間にも対立関係が生じる。

2013-04-19 13:50:18
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「キリスト教徒」と「ユダヤ人」、 「キリスト教徒」と「コンベルソ(キリスト教徒に改宗した元ユダヤ教徒)」、 「コンベルソ間の対立(既得権益を持つ上流階級vs新参のにわか)」 の複合的な対立関係がより複雑な関係を生む。

2013-04-19 13:52:18
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一四四九年、国王フアン2世の寵臣が富裕コンベルソ(元ユダヤ教徒)の献策に基づいてトレドの富裕層へ課税を行ったことに対し、キリスト教徒民衆の怒りが爆発。有力コンベルソ居住地を襲撃して破壊と略奪を繰り返す。

2013-04-19 13:55:16
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その反ユダヤ運動の過程で登場するのが「判決法規」と呼ばれる法令である。トレド(スペインの中央都市)におけるコンベルソ(元ユダヤ教徒)の官職保有の禁止・公職からの追放などが定められた。 このユダヤ排除法規が前提とするのは「宗教」ではなく「血統」であった(改宗してもお前非国民だから!

2013-04-19 13:59:07

『すなわち『法規』では、コンベルソ改宗の真実性が疑われ、また彼らの社会進出が、旧キリスト教徒の社会を転覆させる陰謀の一環と認識されていた。さらには、コンベルソ=ユダヤ人=反社会的存在という単純化された図式のもと、トレドの管轄域内のすべての公職から、コンベルソを排除することが規定されていた。ひとつの法として胚胎したこの考え方こそ、一六世紀スペイン帝国を通底する「血の純潔」という観念である。』(網野P116)

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反ユダヤ運動がむしろ王権を揺るがすに至って、時の国王エンリケ4世の権威は失墜し、王太子の急逝を合図に権力闘争が勃発。一四七六年、戦争ののちにカスティーリャ=アラゴン統一国家スペイン王国が誕生。

2013-04-19 14:04:13
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不安定な新国家スペインの体制を整備するため、強権的王政を目指す「カトリック両王(女王・男王)」は、対コンベルソ強硬派らの進言に基づき、コンベルソ(元ユダヤ教徒の異教徒)の実態調査を開始。

2013-04-19 14:06:30
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ユダヤ教的生活を送りながらキリスト教徒として官職を得るコンベルソの存在を知り、この改善を進めさせるが(要は踏み絵みたいなもの)成果は出ず、ついに一四八〇年九月、セビーリャに異端審問裁判所の設置を命じた。悪名高いスペイン異端審問の始まりであった。

2013-04-19 14:09:44

今のところ第一章までです。

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