渡邊芳之先生ynabe39の「「人間以外の生命を殺して食べる」ということのすべてについて人間が責任を負い,倫理的な痛みを感じながら生きるのか,「殺していい生命とそうでない生命」をあらかじめ決めて,その線引きを守るかぎりは痛みを感じずに生きてよいと考えるか,」
「論理的」には「世界はこうなっているからわれわれはこのようにするのだ」と言っているけど実際には「われわれがこのようにするから世界もそうなっていると考えるだ」ということですよね。
2013-04-20 08:29:44痛みや苦しみはいじめたり殺したりしないことの大きな根拠の一つだけど、もちろんそれだけではないだろう。でも一つの明白な根拠なので、一応重大な根拠だとかんがえられる。
2013-04-20 08:31:21@eguchi2013 「痛みや苦しみそのもの」というのはどこにもなくて,行動から推測されるだけなのも気になります。「人間と同じように痛みや苦しみを表現するロボット」が作られたら多くの人はそれを壊せなくなるでしょうね(アプリオリにこれはロボットであると指定されないかぎり)。
2013-04-20 08:33:00@eguchi2013 畜産学とか獣医学で動物福祉の研究している人の中には「行動からの推測なんて非科学的だ」といって血液検査してストレス物質を測定してそれが最も小さくなるような飼育をするみたいな研究をしてる人がいたはず。
2013-04-20 08:36:10生命倫理問題については私は「命はみんな尊いけどしかたないので感謝していただきます」派だし,表現の自由問題でも「どんな表現にも自由はあるけどあんまり迷惑な場合は申し訳ないけど我慢してもらいますね」派。
2013-04-20 08:38:36@ynabe39 「尊いけどしかたない」なら“ごめんなさい”の他ないと思うんですが、どこでどうなって“感謝して”となるんでしょう。自分はしかたない派のそこがイヤなんですよね。
2013-04-20 08:53:39ただ「申し訳ないけど我慢してもらいます」論だとその「我慢させられる」のが自分になる可能性があるから「自由なものとそうでないもの」を明確に峻別して自分の言論は「自由なもの」側に入れておきたいというのも正当だと思う。
2013-04-20 08:39:54これは生命の話でも同じで,「しかたがないので感謝して」論だとそれによって人間の生命が「ごめんなさい」されちゃう可能性もあるわけだ。「人間だけはごめんなさいされない」ことを保証したければ「人間に近いものとそうでないもの」を分けたくなるだろう。
2013-04-20 08:41:18@ynabe39 「政府にとって都合が悪い人間を政府によって非国民と言える」表現の自由も担保されるべきと言われた時、どう反応するかが問われそうですね。
2013-04-20 08:51:48まあ類推ってのは別に本気で目にみえる行動カラのものである必要はないわけで、そういう文脈ではストレスホルモンとかも立派な行動の一種だろう。
2013-04-20 08:40:29"@ynabe39: @eguchi2013 「人間と同じように痛みや苦しみを人間の言語で表現する食品」が作られたら多くの人はそれを食せなくなるかなぁ
2013-04-20 08:42:29@ynabe39 これは趣味の話でも同じで、趣味のサバゲーを責められた僕は、他の理解し難い趣味にも寛容だったかといえばそうでもなく、逆にサバゲーを趣味といえるラインをキッチリ主張して、分別を強調することで自分の趣味を守っていた気がします。これは芸術、エロ、ヲタクでも何でもですね。
2013-04-20 08:58:33「自分がしてることは正当だ」と論理的に主張するより「悪いことだけどしょうがないんですごめんなさい」と謝るほうが強くて自分のやりたいことができるという文化もあると思う。たとえばわれわれの文化。
2013-04-20 09:00:29@eguchi2013 それと同じことは表現の自由にも言えますよね。むしろ「自分には自由があるけどお前にはないのだ」「人間には尊厳があるけど虫にはないのだ」と誰も正直に言わないのはなぜかという問題。
2013-04-20 09:09:33