【侮蔑?】 また朝日か! 「日本は12歳」発言は良かれと思っての褒め言葉だった! 【称賛?】

マッカーサー元帥が日本を指して(正確には日本の民主主義の1951年当時の成熟度について)言ったとされる、 「日本は12歳の少年」 の真意は、巷で知られているのとはちょっと違うらしい、という話。 出典は、多賀敏行著『エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった』(新潮新書:2004)です。 続きを読む
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伊吹秀明 @hiibuki

マッカーサーに12歳呼ばわりされたときよりは、ちょっとだけ成長しているんですよ。 RT @azukiglg 国民気質だったと思えば色々納得も行く(・ω・) QT @nns_blackhand: 世界に冠たる中二病国家・日本(´・ω・`)

2013-04-26 13:22:51

ここから12歳(`・ω・´)

加藤AZUKI @azukiglg

マッカーサーによる「日本は12歳の少年」は確か「ドイツは民主主義を導入して結構時間経ってる40歳の壮年だが、明治維新後に民主主義を導入した日本は、ドイツに比べれば12歳の少年に過ぎず、まだまだ未熟だが【これから】の国である。それに対して壮年なのに罪を犯したドイツのほうが罪は重い」

2013-04-26 14:04:05
加藤AZUKI @azukiglg

というような文脈で使われた例えで、確か「そういうわけだから日本をそんなに責めてやるな」というフォローの意図だった、と聞いたことがある。

2013-04-26 14:04:39
加藤AZUKI @azukiglg

細かいとこをよく覚えてないので、記憶の誤認はあるかもしれん。

2013-04-26 14:04:58
加藤AZUKI @azukiglg

この「日本は12歳の少年」の部分について、当時の日本の新聞は「日本を子供扱い」「日本に対して侮蔑的」と反発批判、マッカーサーの評判が落ちたのはこの辺りからだ、と聞いた。

2013-04-26 14:08:13
加藤AZUKI @azukiglg

珍しく出典本が手元にあったヽ(´∇`)ノ(だいたい一読するとどっかにやっちゃうことが多いので、結構奇跡的!) 「エコノミック・アニマルは褒め言葉だった~誤解と誤訳の近現代史」(多賀敏行/2004:新潮新書) の「第一章 日本人は十二歳の真意」(p11)に出てくる。

2013-04-26 14:12:06
加藤AZUKI @azukiglg

やはり、「日本人は12歳」発言以前のマッカーサーは日本国内では人気あったらしい。この12歳発言のオリジナルは、1951年米国上院議会の軍事・外交合同委員会での証言として、ということらしく、しかも原文(議事録)には、「日本は12歳」という表現は出てこないらすい。

2013-04-26 14:16:39

※後述で補足してますが、「原文(議事録)にそうした表現は出てこなかった」は僕の誤りで、「最初に日本にマッカーサー発言を伝えた朝日新聞/ワシントンAPF共同電ではそうした表現(12歳)は出てこなかった」がより正確です。
原文(議事録)には確かに12歳発言は出てきますが、この共同電から遅れて報道された朝日新聞の国内第一報(5/16)にはドイツと比較した話は出てこず、この記事のみを材料として書かれた翌5/17の天声人語では、少なくとも4/21の天声人語の時点では確かにあった「マッカーサーに対する敬慕」のようなものは消えて、論調が変わってきているということは確かなようです。
4/21~5/17の間のマッカーサーと日本と巡るその他の社会的状況の変化で最大のものは、マッカーサーが連合軍総司令官を解任されたことが日本国内に知れ渡っていくこと。
その流れで考えると「マッカーサーが日本にいた間は【温情に感謝します】と尻尾を振っていたが、マッカーサーが米本国に解任された途端にマッカーサーには後足で砂を掛け、米本国の決定こそ正しいと持ち上げつつ、そんなマッカーサーに媚びていた各界名士を非難することで、敗戦後の進駐軍時代について溜飲を下げようとしていた」ということかもしれません。

加藤AZUKI @azukiglg

んで、それを「意訳」して記事にしたのが、毎度おなじみの【朝日新聞】。「日本人は12歳とマッカーサーが言った」と伝えたのも朝日新聞で、この伝が繰り返し焼き直されていって、「マッカーサーは日本を子供だと侮辱した」と皆で憤慨する展開になっていった。また朝日だよ(´Д`)ノ

2013-04-26 14:17:58
加藤AZUKI @azukiglg

んで、この記事に天声人語(また朝日だよ!)が陰湿に反応して、その後のマッカーサーの人物像や印象、本来の発言趣旨の真意などなどを塗り替えてしまった――というのが事の次第であるようだ。

2013-04-26 14:20:38
加藤AZUKI @azukiglg

んで、この本の著者の多賀敏行氏は公文書館からどこぞに寄贈されてしまった、元々のマッカーサーの証言のマイクロフィルムに行き当たり、オリジナルの発言議事録を発見。その抄訳は、この本に載ってます。

2013-04-26 14:21:41
加藤AZUKI @azukiglg

ぶっちゃけると、最初に僕が「だいたいこんなじゃなかったっけか」と言ってたうろ覚えの意訳が概ね合致してました。よかった。記憶違いじゃなくて。マッカーサーが「日本の民主主義はまだ若く、年齢で言えば12歳程度だ」と言った理由は「新しいこと正しいことを柔軟に吸収できる年齢だ」という意図。

2013-04-26 14:23:06
加藤AZUKI @azukiglg

で、この軍事・外交合同委員会でなぜマッカーサーがそういう証言をしたのかというと、「日本の民主主義はまだ未熟で若いが(老いたドイツに比べれば)正しく導かれる素養があり、そして彼らはアメリカの頼もしい同盟国になるはずだ」という、日本へのフォローの意図だった!ΩΩ Ω ナンダッテー!

2013-04-26 14:24:30
加藤AZUKI @azukiglg

結局、その後のマッカーサーは朝鮮戦争で酷い目に遭ったり、日本から冷たい目で見られたりしてたけど、最後まで日本のことを「ドイツより信用できるよ!」と賞賛していたらしい。

2013-04-26 14:26:11
加藤AZUKI @azukiglg

というような話が載っててなかなか面白い本だった。kindle版が出てるようなので、推奨しとく。 「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史―(新潮新書) https://t.co/B4r9J36m3a

2013-04-26 14:28:27

多賀敏行 著
「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった
(新潮新書:2004)

http://amzn.to/ZNcTOw

加藤AZUKI @azukiglg

同書収録の「エコノミック・アニマル」の話なんかもなかなか興味深いです。古本もあるんでしょうが、著者にちゃんと対価が落ちるKindleで買ってやってくだせえ。 QT @Sardiiiine:面白い話でした。いま読みかけの本がありすぎるのですが『エコノミック…』、欲しいものリストに入

2013-04-26 14:35:20

※補足
ちょっと言葉足らず/誤記があったので以下、修正。

  • 1951年5月5日、米国議会軍事・外交合同委員会での証人として「12歳」発言がなされる
  • 同年5月7日付朝日新聞、ワシントン六日AFP共同電でマッカーサー発言が初めて報じられる。が、この記事には「12歳」なる発言はなく、(恐らく意訳として)「それは極めて孤立し進歩の遅れた国民が、米国人なら赤ん坊のときから知っている「自由」を初めて味わい、楽しみ、実行する機会を得たという意味である」と紹介した。が、この記事で国民が憤慨したという形跡はない。
  • 同年5月16日付朝日新聞(ニューヨーク中村特派員) 「マ元帥の日本観~文化程度は〝少年〟」この記事の冒頭に「日本人は現代文化の標準から言えば、まだ12歳の少年である」という文が出てくる。この記事は、マッカーサーが日本を12歳と表現した背景に、ドイツと比較するためであったという文脈の背景が紹介されていない。
  • 同年5月17日付朝日新聞天声人語 前日16日付の記事について、「マッカーサーに裏切られた」という文脈で批判している。

同年4月12日付朝日新聞の社説(トルーマンがマッカーサーを連合軍最高司令官から解任した日の翌日)では、「戦後をマッカーサーと共に生きてきた。(略)平和主義を教え日本国民をこの明るい道へ親切に導いてくれたのはマ元帥であった」といった具合で、讃辞と共に褒めちぎっていた。
この時期にはマッカーサーを「終生国賓」に推す話なんかもあって、国民的にも人気は高かった。

以上から、先の5月16日・17日付けのマッチポンプ、特に天声人語が態度を豹変させた転機であったと見て間違いないようだ。

付録「1951年5月17日付の天声人語」全文

 マックアーサー元帥をわが国の平和的、民主的再建に功績のあった人として、国会の議決によって国家最高の国賓に推そうという法案を政府がこの国会に出すそうだ。マ元帥に対する日本人の感謝の気持を現わすにはふさわしいことだ。ただ日本という国がますます立派になれば、あちら様でも日本の国賓たることを喜び誇りにも思うにちがいないが、「あんな国の国賓では」と有難迷惑にならぬように、たとえ国はちっぽけでも質的には世界の一等国になるよう、せっかく努力をせねばなるまい▼法案は今国会を通っても、その名誉を贈るのは急ぐことはあるまい。まだ隣人におぶさっている身で、負われた者が背中から「あなたを私どもの賓客にしましょう」というのは変なものではあるまいか。やはり独立国家になってからの話のように思う▼マ元帥は米議会での証言で「日本人は勝者にへつらい、敗者を見下げる傾向がある」とか「日本人は現代文明の標準から見てまだ十二歳の少年である」などと言っている。元帥は日本人に多くの美点長所のあることもよく承知しているが、十分に一人前だとも思っていないようだ。

※この時期に天声人語を執筆していたのは、1945年から17年間担当していた荒垣秀雄 http://ja.wikipedia.org/wiki/荒垣秀雄
※日本が久しく主権回復するのはこの1951年9月調印、1952年発効のサンフランシスコ平和条約からで、この時点ではまだ主権は回復されていない。