いま、誰がルーマンを読むべきではないのか2
- contractio
- 3292
- 3
- 2
- 12
その1はこちら
ここから続き
帰ってきたところで一通り読んで、うーん、これは個人的に難問。個人的なものと、客観的な難問とをどう腑分けして説明するか。前者の方がずっと大事なのだけど、話すのはとっても難しい。後者は難問なんだけど、こっちの方は個人的な重要性が低いだけに話しやすい。
2013-04-29 20:43:55さて、@contractio さんとルーマンの話をするのは、昔から一貫して避けていたんだけどw なんせ私の場合、ルーマンを集中的に読んだのは十年ぐらい前で、基本的にはそれっきりですから。
2013-04-29 21:39:56まずパターナリズムについていえば、所詮はなんの強制性もなくコントロールなどできないネットのコメントでしかないので、パターナリズムというよりはお節介、というのが正確かなとは思います。
2013-04-29 21:41:12ただ、確かにそう取られてしまう可能性がある甚だしいお節介かもしれないですし、そんなことをするのは間違っているのかも知れません。今の日本じゃ、そんなことをする人は殆どいないですしね。
2013-04-29 21:41:33ただ、やはり、知り合いとして大事に考えているのに、一言も言わないとしたら、その方が僕には難しいので、やっぱり書いてしまう。結果、それが相手に不快に思わせてしまうのは、それはもう私が全面的に悪いとしか言いようがないのだけれど。
2013-04-29 21:44:35「ルーマンは社会システムを心的(意識)システムを構造的カップリングの関係に位置づけることによって、主ー客二元論的な枠組みからの離脱、人間=主体という価値観の相対化を徹底させようとしている。」
2013-04-29 21:45:36「(承前)ルーマンの社会システム論では、社会システムの要素は、意識をもつ人間ではなく、コミュニケーションである。ルーマンは当初、社会システムを行為システム(その要素は行為)として記述していたが、次第に社会システムの要素として、行為よりコミュニケーションの概念を使うようになる。」
2013-04-29 21:45:57「(承前)行為という概念は、理解社会学の伝統の下、どうしても行為の背後にある意図、その意図の帰属先である人間(の心)含んでしまうからである。」
2013-04-29 21:46:14しかし近代法システムは、個人の意思、個人の行為というものを核に据えたことで、はじめて成立したというのが、私の理解ですし、それは近代法理解としてはオーソドックスな部類に入るのではないかと思っています。
2013-04-29 21:49:31特に日本のようなプレモダン社会では、そのような近代法理解すら全く血肉化されていない訳で、そこで個人の意思、個人の行為を相対化させてしまうことの危険性は今でも十分大きいと感じています。
2013-04-29 21:50:14ルーマンの姿勢は、それとやはり相容れない面がどうしてもあるのではないかと考えています。この印象は、『社会システム理論』『法システムと法解釈学』や『法理論のルーマン』などによっても、あまり変わりませんでした。
2013-04-29 21:51:10ですから、最初の本格的な法や権利に関するアプローチが、ルーマンの『制度としての基本権』のようなものになった場合、やはり私としては、強く「う~~~ん」と言わざるを得ない感じになるのですね。
2013-04-29 21:51:51あー、一つ打ち間違い発見。これはまずい。正しくは、「ルーマンは社会システム【と】心的(意識)システムを構造的カップリングの関係に位置づけることによって」
2013-04-29 22:11:57