《社会学者の立ち居地の困難さについて》

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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

すれ違わない社会学者だって、存在し得るとはおもうんだよ。ただね、ある一部の人とすれ違うことによってしか、社会学は研究資金を得ることができないんじゃないかと思うんだ。

2013-04-30 21:23:35
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

昨夜の、社会学者に関するツイートについて、かなり舌足らずだった気がするので、いくつか補足しておきたい。私は何も、社会学者に含むところがあるわけではない。世界史的に、また同時代的に非常に重要かつ有益な社会学者の研究や成果も多数存在すると考えている。

2013-05-01 23:57:46
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

1 2011年2012年の流行の表現を借りるなら、こういうことが言いたかったのだ。99%の人々の為に役立つ社会学の研究や発表を、1%の人々は少なくとも短期的には歓迎しないだろう。そして、研究資金を得るためには1%の人が喜ぶ研究をする、という選択の方が楽だろう、と。

2013-05-02 00:00:46
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2 たとえば、マーケティングを考えて欲しい。消費者の利得を重視して調査するマーケティングを、クライアントは欲しがるだろうか?クライアントが望むのは、クライアントの最大利得を重視するマーケティング調査だろう。そういうマーケティングをしないと、クライアントから調査研究費は得られない。

2013-05-02 00:03:37
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

3 当たらない事で定評がある調査研究でいうと、空港の利用予測とか、高速道路の採算予測とかが簡単に思いつく。「科学的統計」を用いて予測しようと考えるなら、何を変数(パラメータ)として採用するかによって、全く結果が異なる、という話は、常識的な教養だろう。

2013-05-02 00:07:18
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

4 では、空港の利用予測に関して、何を変数として採用するのか?良くある「利用予測」の場合だと、その周辺の住民の人口とか、潜在的観光需要とかを変数として使っている。しかし、本気で「予測」するつもりなら、国内の景気動向予測とか、周辺の世帯の所得動向予測とか、為替の変動予測も必要だ。

2013-05-02 00:10:47
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

5 しかし、国内の景気動向予測など、空港の建設計画段階で、完成時のものがわかるくらいなら、世界中の経営者や投資家がこんなに苦労するはずが無い。為替も、10年後の予測など当たるのなら、まずはみんな外貨貯蓄などで高額な利得が得られるに決まっている。

2013-05-02 00:13:47
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

6 空港の利用予測などという、公共工事の予算獲得の為の作文を作るには、あたる見込みがない、完成当時の景気動向やら為替予測など、入れないほうが良い。それが、クライアントに求められる社会学調査のあるべき姿だ。

2013-05-02 00:21:34
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

7 しかし、空港の利用予測をネタにするなら、マーケティングの中身はさらに偏ったものになっていることも指摘しないといけない。たとえば、伊丹空港、関西国際空港、神戸空港。神戸空港の利用予測では他の2つの空港の利用客を、ある程度奪取することを前提にしている。

2013-05-02 00:24:18
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

8 つまり、神戸空港の側に立つならば、伊丹空港や関西国際空港の不利益を容認する調査をしなければならない。それが、日本の社会学調査の、わかりやすい現状だ。クライアントつまり、出資者なしでは調査研究が成り立たない。たとえクライアントの要望が、非現実的な結論をだすことであっても、だ。

2013-05-02 00:36:06
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

9 さて、原発と地域、という話に戻って考えてみよう。某氏が示唆するような、「『原発に頼らない地域づくり』の方法を社会学の立場から考えて欲しい」という注文を、もし事故が発生する前に、双葉町長が行ったと仮定してみよう。どうなるだろう?

2013-05-02 00:39:23
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

10 当然、可能性をいくつか探る前に実態調査をせざるを得ない。そこでおそらく、変数にできないさまざまな現実にぶち当たる。それどころか、報告に書き込むことが困難な「事実」や、報告書に書くには裏づけが不可能な「推測」が次々に現れるだろう。

2013-05-02 00:43:39
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

11 そこで社会学者ができることは、限られてしまう。「推測」を切り捨てて、書くことが困難な「事実」を切り捨てた報告書を作り上げたとしよう。その段階で、学者は「何かを切り捨てる」という選択をし、それにまつわる人々とは異なる側に立つことになる。「全ての人を切り捨てない」は無理だ。

2013-05-02 00:52:51
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

12 勿論、「原発が要らない町」を考える段階で、原子力ムラの人々からは背を向けていることになる。だからといって今、「(発電を続ける)原発と共存する町」を考えるのは、今の福島県の原発立地町の人々の大半に背を向けることになる。選ぶしかないのだ。

2013-05-02 00:55:48
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

13 では、一体、どんな選択が「現実的」なのだろうか?それは、今、実際に某氏が見せてくれているではないか?「原発に頼っていたのでは将来が無い」と言いながら、「だけど原発から離れるのは簡単ではない」と結論をぼかしている間は、大手のマスコミから出演依頼も来るし、著作も一定なら売れる。

2013-05-02 00:58:53
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

14 ただし、現在の某氏のスタンスだと、自主避難しない人、地域に残ろうとしている人ばかりをフォーカスするので、自主避難した人や地域から自発的に縁を切った人のことは、語らないことになる。語れば、大手のマスコミからの出演依頼はなくなるし、著述の場も限定されることになるだろう。

2013-05-02 01:03:40
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

15 では、どんなスタンスが可能だろうか?現実的かどうかをある程度無視して考えてみる。例えば、大手のメディアで発言するときには、これまでのスタンスで続けていく。しかし、ネットなどを使って、自主避難者や土地を離れた人のことも書いていく。スタンスだけなら可能ではないだろうか?

2013-05-02 01:13:47
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

16 では、なぜそういうスタンスが取れないのか?それは、社会学者はスーパーマンではないし、自らの問題意識に基づいた調査や研究しかできないからだろう。コミュニティの維持や再生に注目する限り、そこから自覚的に離れた人を取り上げた調査や研究は、問題意識から外れる対象だ。

2013-05-02 01:17:40
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

17 これまでも「社会学」は、ある社会から別の社会に移動する人々の把握や調査の手法に欠けていたのではないかと、私は感じている。さらに、ある社会の網の目から脱落した人々を把握することが、学問研究としては不得手なのではないかとも思っている。

2013-05-02 01:19:46
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

18 社会の網の目から零れ落ちた、言い換えれば、その社会のセーフティネットから落ちた人々は、社会の「生産」には殆ど寄与できない。生産できない人の調査研究を行う社会学者は、誰から研究資金を得、どこから調査人員を得ることができるのか?

2013-05-02 01:26:48
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

19 ということで、社会学者は、誰かに背をむけざるを得ない。個人的な感覚でさらに言うと、社会学というのは、資本主義と密接に結びつく学問であると思う。マーケットや資本主義的単位としての社会がある前提で、成立しているような気がする。

2013-05-02 01:52:34