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瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@kyofu11 どうもお待たせしました。今回は「昭和史の秘話を追う」の「司馬遼太郎と戦車」を読んでいて推理した事を書きます。まずは「ヤスリで装甲を削った話」です(続く/1)。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@kyofu11 今回「避難民は(戦車で)轢き殺していけ」伝説について読んで行く内に「ヤスリで装甲を削った話」も事実無根では無いかと強く思う様になりました。その理由ですが、まず彼のいた戦車第1連隊・第5中隊に三式中戦車は1両だけ配備されていた点です(続く/2)。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@kyofu11 普通、この様な場合強力な戦車は中隊長か一番腕の立つ乗員が扱うと思いますが、自ら戦車を扱うのが下手だと語っていた司馬氏が中隊どころか連隊唯一の三式中戦車に乗る機会があったとは思えませんし、下手をしたら触らせてくれないかも知れません(続く/3)。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@kyofu11 そして司馬氏は上官だった西野中隊長に逆らう様な人物では無かった様です。実は京都で開催された「石頭会」の第1回会合に夫人同伴で参加した際「私は西野さんの言うことなら何でも聞きます。西野さんの大事な体温計を割っちゃったからな」と挨拶しています。(続く/4)。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@kyofu11 何でも中隊がいた佐野小学校の裁縫室で隣り合って寝ている事が多く、枕元の軍服に入れてあった体温計を司馬氏がうっかり踏み割ってしまったそうで、その話で一同を笑わせたそうですが、この事から司馬氏は勝手な事をして上官を怒らせるタイプでは無かった様に思います(続く/5)。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@kyofu11 逆に、もしも司馬氏が本当に「やすりで虎の子の三式中戦車の装甲を削った」のであれば、誰がやったかはともかく当時でもその事実が中隊内部で話題になるでしょうし、後々石頭会でもその事が話題になったはずですが、どうもその事実は無い様です(続く/6)。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@kyofu11 以上の考察から、司馬氏は「実は三式中戦車の装甲板をやすりで削った事が無いのでは?」と思っています。無論証拠は出てこないでしょうが「戦車で轢き殺せといった大本営参謀」が嘘だった事を考えると、当然この話も虚言である可能性を考えなければならないでしょう(続く/7)。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@kyofu11 引き続いて、次は「司馬遼太郎はノモンハン事件の小説を何故断念したのか?」についてですが、実は今回読んだ「昭和史の秘話を追う」の「司馬遼太郎と戦車」のテーマの一つがこれだったのです。著者の秦氏は様々な視点からこの点について書いているのですが…(続く/8)。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@kyofu11 …司馬氏がノモンハンを書けなかった理由については次の4つを挙げています。1「司馬のイメージにかなう主人公や傍役を見つけられなかった」2「国境紛争という中途半端な戦争形態」3「戦車隊はめぼしい戦果なしに、1週間ばかりで戦場を去った」…(続く/9)。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@kyofu11 …4「五味川純平『ノモンハン』(1975年)など競合する先行作品が出現した」ですが…実は私は本書を読んでいてもう一つ理由を見つけました。それは「ノモンハン事件を調べて行く内に、日本軍は戦闘では決して負けていない事に気づいてしまった」です(続く/10)。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@kyofu11 冷戦終結後、ロシアからの情報開示でノモンハン事件の戦闘の実態が知られたのは有名ですが、冷戦終結以前からこの事は予測しようと思えば出来ました。その理由はノモンハンの少し後に起きた「冬戦争」にあります(続く/11)。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@kyofu11 冬戦争を巡っては、ソ連軍の戦死者の数に多数の説があり、ソ連軍公式記録上は4万8747名ですが、実際には少なくとも12万7千人~20万とも言われ、フルシチョフは生前(つまり冷戦中に)100万人とまで語っているのです。(続く/12)。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@kyofu11 ちなみに、参考として冬戦争時のソ連軍の戦死者数についてのデータを紹介します。 【wiki】http://t.co/xW3CQ8viS5 【冬戦争おける両軍の損害データ (6) 】http://t.co/gclInkk8Xp (続く/13)
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@kyofu11 更に、司馬氏は執筆に当っては膨大な資料を読み込み、関係者からの聞き取りを重ねる手法で編集者の間では有名で、ノモンハンの執筆時も神田の古本屋からトラック1台分の本や資料が運び込まれたと言います。そして足慣らしとして日本陸軍を題材とした…(続く/14)。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@kyofu11 …エッセイ風の史論まで書いていたにも関わらず、90年頃のある対談では「いまは嫌気がさして資料を大きな袋に入れてホコリを被らせてあります」と言い切っています…つまり、彼はノモンハンを書く為に綿密に下調べはしたのです。ところが…(続く/15)。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@kyofu11 …調べて行く程、彼の思っていた「愚かな日本陸軍」どころか実際は「絶望的な劣勢下でも日本陸軍は出来る限りの事をやっていて、それ相応の戦果も挙がっていた」事が分かってしまい、遂には筆を置かざるを得なくなってしまったのでは無いかと疑っています(続く/16)。
瀬戸の住人 @Seto_Zyunin
@kyofu11 と言う訳で、ここまで長々と書いてきてしまいましたが、以上で「昭和史の秘史を追う」を読んで気づいた事と自分なりの推理についてはこれで完結です。何かご質問があればお気軽にツイートして下さい。 拙い文章にお付き合い頂き、ありがとうございました(以上、17)。

コメント

瀬戸の住人 @Seto_Zyunin 2015年12月20日
いやー、自分が書いたネタを捜す破目になるとは…w
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2016年2月18日
2013年、「瀬戸の住人」@Seto_Zyunin さんにすでにこういうまとめがあったと。
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2016年2月18日
2013年、「瀬戸の住人」@Seto_Zyunin さんにすでにこういうまとめがあったと。
養殖まりも卿 @abdcxiiivi 2016年11月20日
良くも悪くも彼は小説家であり歴史家ではない
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