ダメット「演繹の正当化」をめぐって
少しだけ理解が前進した。しかし、真っ向からダメットを、あるいは演繹の正当化の問題を扱うつもりがないせいか、気合いが足りない。授業準備という限界。
2013-05-06 18:09:08ダメットの議論には、フレーゲ哲学の背景から、分子論や直観主義など、いろいろ関わってくるので、これらを含めて扱えるわけではないし。つらいところですね。
2013-05-06 18:10:16@silver_pork デカルトの演繹批判を現代的に再検討するべく、演繹の情報的価値の問題を扱うので、いくつか関連文献を読んでいました。ダメットの「演繹の正当化」が手元にあったので、読んでいたのですが、なかなか面白くて。専門外ですし、間接的に触れるくらいしかできません。
2013-05-06 18:18:19@shinjike なるほど…推論のパラドクスをカノニカル証明とノンカノニカル証明のギャップで解決(しようと)するやつですね。あの論文は面白いけど僕には難しいです。
2013-05-06 18:21:04@shinjike あの話はダメットが元ネタになっていると思しきプラヴィッツの「反省的均衡」とかの方が明快でわかりやすい気もします(明快ならいいというわけでもないですが)
2013-05-06 18:26:40@silver_pork なるぽよ。ちょっと探してみます。ダメットの議論は、体系的にいろいろ絡んでくるので、素人には難しいですね・・・。あと、ややこしい書き方でしょうか。部分的にはわかるところもあるのですが。
2013-05-06 18:28:53@Yonus_Mendox たぶん、「演繹を演繹で正当化できない」、および、「帰納を帰納で正当化できない」というやつです。帰納のパラドクスと演繹のパラドクス。
2013-05-06 18:30:27演繹を正当化するということは、その正当化のための議論をするということ。その議論も、議論である以上、演繹を使わざるをえない。したがって、いかなる正当化の議論も論理を使用して論理を正当化するから、ここには循環がある。しかし、循環論法は、正当化にならない。ゆえに、演繹は正当化できない。
2013-05-06 18:33:26ダメットは演繹の使用を説得/説明という2つの文脈に分けて考えることができるとし、説明の文脈での演繹の循環的使用は、(分子論的言語間をとりかぎり)問題ないとした。そして、問題になるのは全体論的言語観をとる際だとして、全体論批判を展開するわけだが・・・。長くなるのでやめておこう。
2013-05-06 18:38:12@Yonus_Mendox @shinjike 僕が念頭に置いていたのは、「推論の妥当性と有用性を同時に説明することが困難なこと」で、スントホルムがこの名称を使っていたのですが、しんじけ先生の用法のほうが一般的みたいです、すいません…
2013-05-06 18:45:29ちょっと間違えたかもしれない。分子論的言語観をとるかぎり、論理の改訂可能性を認められる、というのが絡んでくる。全体論は、文の意味は、言語使用全体をみないと決定できないとするが、ダメットはこれを無理な要求と考える。
2013-05-06 18:46:49@silver_pork @Yonus_Mendox ああ、なるほど。たしかに、ダメットは当該論文で、妥当性と有用性を区別していますね。古典ではこの混同があって、ミルはそれらを区別したんだけど、議論に不備があった。いちばん授業で使えそうなのは、ここら辺でした。
2013-05-06 18:49:01@Yonus_Mendox 推論をする人にとっての、認知的な有用性です。つまり、(推論の)前提を知っている人が、推論を利用して、(推論の)結論の真理性を新たに知ることが出来、結果として知識を増大させることができるという有用性です。
2013-05-06 18:56:52@Yonus_Mendox @silver_pork 演繹批判の文脈を考えるとわかりやすい。ダメットは、演繹にはいかなる有用性が可能なのか、という問題と、演繹が持つ証明の妥当性はいかにしてその効力を得るのか、という問題を分けて考えられるとしていますね。
2013-05-06 18:56:59言い換えると、前提に帰結を含んでおり真理の発見とか認識の拡大に有用でない、ということと、演繹が前提に含まれた帰結を発見するのに妥当でない、ということは、まったく別の問題だ、ということ。
2013-05-06 18:58:38「循環論法は正当化にならない」というけど、非古典論理上の素朴集合論では集合Xを、X自身をパラメーターとして使用して定義することが許されていて、その意味で循環論法は定義として全く問題ないんですが、お前ら古典脳め問題。
2013-05-06 19:07:48