- king1234stone
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「みんなは知らない 國家売春命令」小林大治郎、村瀬明共著 昭和36年(1961年)発行。元カフェー経営者から、赤線廃止を推進した国会議員までの証言が記載されている。 http://t.co/U5DzLTu4Ay
2013-05-10 05:53:31「玉ノ井」と「鳩の街」。「墨東綺譚」谷崎潤一郎。昭和12年(1937年)「原色の街」吉行淳之介。昭和31年(1956年) 戦前の玉の井についてまとめてある。「玉の井挽歌」大林清「玉の井という街があった」前田豊。
2013-05-10 06:04:51ほえ。著者はまず50年前の住宅地図の再現から始めてはる。そのために昭和28年の火災保険用の住宅図をもとに1996年暮れか、1997年から調査を開始。で「50年前にはここにはどなたが住んでおられましたか」と尋ね回った。建物にはあまり変化なく50年、街が凍結されていた状態だった。
2013-05-10 06:15:29しかし平成18年(2006年)に昭和31年(1956年)の町内会名簿を入手することができ、かなりの部分が間違っていたことが判明。(まあそうやろなあ・・・「その時」の記録でないと、あとからの記録だとなあ・・・)
2013-05-10 06:19:53うおお。赤線って大昔からあったのかと思ってたら、昭和23年に風俗営業法ができ、昭和34年に売春防止法が施行された、12年ほどの間しか無かったんや。
2013-05-10 21:01:25著者は長年かけて地域の人と知り合いになり、心許せるようになったら、昔のことを喋ってくれる人も増えるだろうと思っていたら、2005年頃に古老があいついで亡くなり、これはいかんと尋ねて回るようになったみたい。
2013-05-10 21:03:34@king1234stone でも実質昔からの場所だったみたいですよ。上智のだいぶ上の人の話だと、新宿三丁目の辺りにもあって、学生は学割があったとか。
2013-05-10 21:05:04しかしカフェ(戦後こう呼ばれていた。戦前は銘酒屋と呼ばれていた。つまりカフェの女給ってのは・・・)の経営者はみなさん喋ってくれなかったって。その親戚とか、息子とだとしゃべってくれた。あと出入りの商店の人。客の証言はまったくあてにならなかったとのこと。
2013-05-10 21:06:10あり?「お目こぼし」ですか・・・「許可」ではなく。 RT @lambda474: 警察の地図上で取締りをしないお目こぼし区域として赤枠で囲まれた所ですよね。
2013-05-10 21:06:47あっ、まあ、今でもだろうけど、結局は「自由恋愛」ということで、「見ないふり」だから「お目こぼし」か・・・ RT @lambda474: ああ、許可って名前のお目こぼしって理解してます(^_^;)
2013-05-10 21:09:56名前や形態は変われども、「あった」でしょうね。 RT @coachmurakami: でも実質昔からの場所だったみたいですよ。上智のだいぶ上の人の話だと、新宿三丁目の辺りにもあって、学生は学割があったとか。
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