岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』。基本ラインは貨幣の存立を「命がけの跳躍」にもとめる。貨幣自体に使用価値はない。それが交換されることの不思議さ。 #genroncafe
2013-05-10 19:21:14柄谷はウィトゲンシュタインを基本的にはクリプキの路線に則して「他者論」として読む。受け入れる他者がいなければ自己の行為の意味は存しえない。暗闇の中の跳躍。マルクスに置き換えると「命がけの跳躍」。#genroncafe
2013-05-10 19:21:27受け取る他者がいること。未来への根拠のない信頼、交換可能性が貨幣交換を成り立たせる。金や銀といった何らかの貨幣の性質が支えているわけではない。コミュニケーションを言語の意味とかが支えているわけではないのと同じ。交換の事実性が先行する。 #genroncafe
2013-05-10 19:22:53他者論とはなんであったか。ポストマルクス主義としてのポスト構造主義の課題。構造に還元されない何かを主体に還元しない形で考える。#genroncafe
2013-05-10 19:25:10他者論がなぜ流行ったか。ポストマルクス主義としてのポスト構造主義の課題。構造に回収されない何かを「主体」ではない形で思想化すること。 #genroncafe
2013-05-10 19:26:09主体は遅れてやってくる。構造は時間のなかで組み替えられる。認識主体はその遅れのなかで構造を把握する。(内部観察論、自己組織性論)。この問題系を明らかにするのが「他者」 #genroncafe
2013-05-10 19:28:36主体の受動性と構造の時間性。主体が遅れてやってくることと構造そのものが時間の中で組み替えられていくこと。認識主体もまたその遅れの中で構造を把握せざるを得ない。内部観察論、自己組織性論。この問題系を明らかにするものとしての他者。 #genroncafe
2013-05-10 19:29:06クリプキの「共同体」は抽象的なもので、社会学的な共同体とは別物。生成論(廣松、大澤)や橋爪や日常言語学派にも批判的。#genroncafe
2013-05-10 19:37:15柄谷は規則や構造を前提するのではなく、偶有的に他者の行為に「接続」するという契機を重視する。「構造=間主観的な物象化」という廣松渉(生成論)、ウィトゲンシュタインを「共同体の一次性」の哲学として読む橋爪大三郎言語ゲーム論には批判的。#genroncafe
2013-05-10 19:38:16「主体+構造」であれば「予期」構造によって同質性が担保される。そうした問題設定そのものを解体。それが猛威をふるった他者論であり、「ゆらぎ」論である。 #genroncafe
2013-05-10 19:42:04社会学における「他者」とウィトゲンシュタイン。ギデンズ:「構造化」理論の媒介項としてのウィトゲンシュタイン。ブルデューの「構造化する構造」。ハーバーマス、ルーマンetcの同時代性 #genroncafe
2013-05-10 19:46:20社会学四天王の中で最もウィトゲンシュタインに近い発想なのはルーマン。…ダブルコンティンジェンシーとかがそうだろうか。 #genroncafe
2013-05-10 19:48:51