私には復習にはなるけど。一般の人々は面白いのか?
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contractio
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「問題設定を明確に伝えられなかった(からわかりにくい)」ということは真摯に反省しますが、「その問題設定は「論壇」的文脈にふさわしくない」ということであれば、まったく反省しません。そういうメタ文脈が嫌だから思想地図降りたわけですしね。
2013-05-11 20:55:52![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
まず、「「「現代思想」を振り返る──私の半生を例に」というネタが、ゲンロンスクールの話題としてふさわしかったかどうか・更に殊更な理由説明を要するものだったかどうか」というところまでで、一旦決を取りましょう!
2013-05-11 20:56:20![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
京都大学で行われたルーマンシンポジウムについてヴィトゲンシュタインについてルーマンががっつり言及している箇所があった、と思っていたが、ざっと今ページをめくったところがっつりは言及していない。何か勘違いだったかもしれないので、あしからず。でもどっかで言及していたと思うのだが。
2013-05-11 21:02:44![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@a_kitada (論壇云々関係なくて、単に)「ルーマンにだって規範的なアレがあったのに!」って言いたかっただけである可能性について。
2013-05-11 21:13:09![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ああ…いや逆にそこをちゃんと述べてなかったことが問題設定が受講生の方々に不明確に思えた所以のような気がしてました…。@contractio 論壇云々関係なくて、単に)「ルーマンにだって規範的なアレがあったのに!」って言いたかっただけである可能性について。
2013-05-11 21:17:59![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@a_kitada 「そこ」は──ルーマンの議論の場合には、柄谷その他と違って──「コミュニケーション(情報伝達理解)がうんぬん」というところから 直接にでてくる話題ではないでしょうから、1コマの時間内で ベタに一緒に論じるのは無理ではないかという直観がありますが。
2013-05-11 21:23:32![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
問題設定について個別の文脈を読まず貫徹することと、個別の文脈に応じて問題設定を翻訳することはまったく別のことですね。お騒がせしたしました。日々是勉強、頑張ろう ヽ(' ∇' )ノ
2013-05-11 21:30:24![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@contractio (仮に三契機論を受け入れるとして)理解が心的出来事として記述されるものではないということだけで時間かかると思いますし、つまるところは今回もそういう話を(自分史というよりは批評史の文脈で)していたつもりなのですが、もっとやり方がありえたと素直に思ってます。
2013-05-11 21:36:28![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@a_kitada はじめまして。北田さんがRTされた@rewktkさんとゲンロン講義について話をしていた者です。「どのようなことを語れば動機や必然性が語られたことになるか?」という問いは私にも向けられていると思いましたので、長文にはなりますが、お返事させていただきたく思います。
2013-05-11 22:47:21![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@a_kitada 私は論壇(批評空間)的文脈に北田さんは依存していて、その文脈を共有できない人々とズレていると思いました。北田さんは柄谷や大澤の読者を想定されてましたが、スクールに来る層と交流している私の実感では、柄谷・大澤を読んでいる人はかなり少ないと思います。
2013-05-11 22:49:05![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@a_kitada 他者論やデリダのアップデートという主張を説得的にするには聴衆との問題意識の共有が必要。批評空間読者になら可能でも今の若い人々は問題意識として共有していません。2010年代における他者論の意義について言及された方がよかったのではと思います。
2013-05-11 22:52:48![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@a_kitada 憲法案や一般意志論(具体的な社会設計)に関心をもってカフェに来ている層と、批評空間文脈を知る層は殆ど重なってません。北田さんは批評史を意識した、とつぶやいてましたがスクールの聴衆は批評史を一切知らず、朝生ニコ生で東さんを知った層が多いというのが、私の実感です。
2013-05-11 22:57:18![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@a_kitada なので文脈をおさえていない一般聴衆に、脱形而上学をはかるデリダ、「社会秩序はいかにして可能か」という問いを立てるルーマンを講義する意味を説明することが必然性を語るということになると思います。もちろん「聴衆が文脈をおさえていない」ということも一種の文脈です。
2013-05-11 22:58:46![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@a_kitada ルーマンは社会学の「誰でも納得する明証性や首肯性、道徳」からの解放を論じているので社会学者がニーズをおさえなくてもいいですが社会学に関心のない3・11後の一般聴衆に、日本におけるルーマン受容を語るのはその意義が不明な分、いささか悠長な印象すら私は持ちました。
2013-05-11 23:02:21![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@a_kitada 「なぜ今他者論?」という会話はカフェでも交わされました。東さんの「倫理的動機には?」の問いに「東さんは倫理好きですね。私はあまり倫理とか考えていない」という発言をされていたと記憶します。如何なる動機に基づく他者論か説明がないので説得性を欠いたと思います。
2013-05-11 23:05:30![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@a_kitada 批評空間の反省から東さんは現代日本と切り結ぶことを模索してきました。なので現代日本をどうしたいのか、現代日本社会とは何かという北田さんの考えが見えないことに多くの聴衆は戸惑ったのではないかと思います。なので動機と必然性を知りたいということになったと考えます。
2013-05-11 23:08:17![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@a_kitada 東さんの「組織や知の制度をどう考えるのか?」という問いは、結果的に日本社会とどう北田さんは切り結ぶのか、という聴衆の疑問を代弁していると思えました。で私個人は北田さんが現代日本との切り結びとは別に、デリダの社会学的アップデートには純理論的な関心はあります。
2013-05-11 23:10:22![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
私個人としては、ルーマンは社会学の「誰でも納得する明証性や首肯性、道徳」からの解放の重要性について言及していて、そのため社会を如何にするかという問いの解答としてルーマン理論は非常に使いにくい(不可能かどうかは別問題)。なのでルーマン理論の研究を降りました。
2013-05-11 23:18:32![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
なので仮に北田さんに倫理的動機がなくても社会学者としては、何の問題もない。しかし問題はスクールに来る人はこのような社会学の主題定立問題を知っている人ではなく、単に東さんの周辺人物として北田さんを観たいという人が多いというのが私の見立て。
2013-05-11 23:20:18![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
あとルーマンハーバーマス論争が60年代末から70年代初のドイツが舞台なのはとても重要。倫理的問題を終始追究するハーバーマスに、ルーマンが純理論的な企図で反論したという見方は時代背景を考慮しない見方。ルーマンの反論そのものが倫理的解答であると考えてしかるべきだと私は考えている。
2013-05-11 23:24:26![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
てかあれだけ初期論文でヒエラルキッシュな社会理論を批判し、またフランクフルト学派全盛のドイツで社会学を研究するということの意味をルーマンが考えていない訳がない。ルーマンの念頭に終始フランクフルト学派があったのは初期論文を読めば自明。
2013-05-11 23:27:14![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
社会学の主題定立問題もその文脈を当然考えてのことだと私は思う。社会学の道徳や本性からの解放というのは、ハーバーマスを意識していない文章だと考えるのは相当難しい。
2013-05-11 23:29:37