和算の歴史について

東北帝国大学では開学以来林鶴一教授・藤原松三郎教授を中心に和算史の研究がなされていたといいます。 数学教室における主たる研究は純粋数学・応用数学であったが、林・藤原両教授はかたわらに和算史を研究していたのだそう。 昭和四年、林教授はなんと和算史に専念するために退職をし、講師という身分になったとあります。 昭和十年十月四日に林教授が逝去されると、それを機に林教授の意思を受け継ぐ形で藤原教授は純粋数学・応用数学から和算史研究への大転換を決意。 昭和十六年には平山諦先生も加わり和算史研究における多大な成果をあげたとあります。 続きを読む
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明治期に流行った、数学界に於ける和算の研究について。
象徴としての関孝和。

むらやまこういち💉💉 @murapyon71

明治期に和算史研究が数学界において流行っていたというのは、次のことからもうかがい知ることが出来る。「明治40年(1907)にわが国の数学者、物理学者は一体となって、関孝和二百回忌の墓前祭を挙行し、東京一ツ橋の東京高等商業学校で盛大な講演会を催した」。→平山諦『関孝和』

2013-05-26 13:16:01
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

この流行期に於いて、和算史研究の双璧を為したのが、林鶴一・藤原松三郎らがいる東北帝大と、三上義夫がいた東京学士院であったよし。

2013-05-26 13:22:43
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

この内、東北帝大は狩野蔵書を手に入れたことにより、東京学士院をグンと引き離し、和算史研究のメッカの地位を盤石のものにしたというのが大きな流れの様。

2013-05-26 13:25:06

和算研究のメッカとしての東北大学について。
狩野文庫が果たした役割。

むらやまこういち💉💉 @murapyon71

@Exphysicist 狩野文庫の記述につきましても興味がありまして、狩野先生、晩年貧乏をされたようで、蔵書を文庫化することで費用を捻出し狩野先生にお支払いしたことなど聞いた覚えがありますが、典拠がわからなく、ここで紹介されている本が参考になりそうです。

2013-05-16 01:07:08
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

狩野亨吉の伝を読んでいるとお金に困窮という言葉が度々出てくる。この困窮が後に東北帝大の狩野文庫につながるわけですが、たとえば狩野の熊本時代の家計は次の様であったらしい。月俸百三十円。父への仕送り四十円、補井・八田・渡辺への補助に十円、その他諸々の生活費と古本の収集とで赤字。

2013-05-25 18:59:49
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

東北大学が狩野蔵書を購入する経緯は次のようであったらしい。狩野は晩年に事業の失敗から多額の負債を抱え込んで生活に困窮していた。また東北帝大では文学部設立が法文系希望者の低率という問題等で滞っていた。 (つづく

2013-05-26 09:58:18
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

狩野蔵書には法文系のものも多く、東北帝大としては目玉商品がほしかったという需要と狩野の窮状とがマッチする形になる。そこで親友である元東北帝大総長澤柳が、東北帝大が狩野蔵書を買い受けるというかたちで、狩野の援助と東北大学の宣伝効果とをはかったというのが大雑把な経緯であったらしい。

2013-05-26 09:58:42
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

この澤柳の話しがほぼ順調に進んだ裏話として次のことが語られている。日本において独立して誕生し、輝かしい成果をあげた和算を明らかにするのは、当時の数学界のひとつのお題目であった。狩野蔵書には多数の和算書の蒐集が含まれ、当時和算研究者の間で有名であった。 (つづく

2013-05-26 10:19:44
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

三上義夫がいた東京学士院の図書館には全国の三分の一の和算資料があり、東北帝大図書館主幹の林鶴一の和算資料の蔵書も三分の一であったという。そして残る三分の一が狩野蔵書であった。 (つづく

2013-05-26 10:20:15
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

林が狩野蔵書の購入に尽力したのも当然で、理科大学の経費が五万円であった当時に三万円で狩野蔵書を買い付けたのであるから、その本気度がうかがいしれる。 (つづく

2013-05-26 10:20:46
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

かくして全国の和算資料の三分の二を収蔵し、林・藤原両先生の業績もあり、東北帝大は、数学界に於いて和算研究の総本山的地位を占めるに至ったという経緯も並行してあったようです。

2013-05-26 10:20:53

以下雑文

むらやまこういち💉💉 @murapyon71

休憩がてら平山諦『和算の歴史』をチラ読みしたがこれがなかなか面白い。数学者が和算のことを述べるとこうなるのか、と新鮮な気持ちになる。関孝和がニュートンと同様な微分学を発見したというのは甚だしい誤りであり、 (つづく

2013-05-16 15:15:47
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

孝和の発見した円理そのものは決してニュートンの微分学に匹敵するものでは無いとし、孝和の円理を説き「円周率をあらわす真の無限級数を得ることは出来なかった」と言っている。 (つづく

2013-05-16 15:16:26
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

円理の発見者は孝和の門弟建部賢弘であるとし、それは弧の長さを得る無限級数の算出であり、その公式の考えと計算方法とをみれば、これを少し変化させて、円周率の自乗の展開公式に直せるのだから、円理の発見は賢弘の発見なる事うたがいないと式を例にしながら説いている。 (つづく

2013-05-16 15:17:44
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

円理を完成させたのは、賢弘に私淑したとされる松永良弼であり、良弼は円の弦、矢、弧背を全て明らかにし、円周率を直ちに得る公式を作ったとある。これらのことを彼らが残した数式を例にとりながら懇切丁寧に説明されておられる。 (つづく

2013-05-16 15:20:21
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

数式を扱った専門的なことは僕には理解出来ないので読飛ばしに近いけど、関孝和をはじめ、江戸時代の代表的な和算家をそれぞれ丁寧に説明しておられ、非常に興味深い。

2013-05-16 15:22:02