「ありがとうございました」会計を終わらせ、店を出る彼に声をかける。するといつものように手を上げ、振り返ってはくれない。それが少しだけ寂しくて、切なくなる。好きなのに、俺はこの人を引き留められないのだと実感するようで。振り返ってほしい、こっちを見て欲しい。
2013-04-24 08:09:52その時だった。彼は何でもないようにこちらを振り返った。その事に驚いて体が固まる。でも、今なら引き留められる気がして。「あ、あの…」咄嗟に出た言葉は、同時に閉まってしまった自動ドアに塞がれてしまって。彼はそのまま気にする様子も無く去ってしまった。対して俺は、ただ茫然とするだけで。
2013-04-24 08:16:20「………愛の巣、なんかじゃないよな」だって、俺は待つしか出来ないんだから。貴方が店に現れるのを待つしかない。それがどうしようもなく辛くって。「愛する人にアイスコーヒーを作ってあげたい。………イマイチ」あぁ本当、どれだけ思っても俺たちは店員とお客の関係で。
2013-04-24 08:20:24「脆いなぁ…」彼がこの店に来なくなってしまったら俺はもう会う手段がない。それが無性に切なくって、辛くって。その気持ちを誤魔化すために俺は止まってしまっていた体を動かし仕事に取り組んだ。
2013-04-24 08:23:08宮地視点③byたやら
それから二週間、あの店には行かなかった。伊月さんと話すようになってからは週に1回以上通っていたから、ずいぶん行っていないような気がする。カフェに行かない代わりにコンビニでカップコーヒーを買ってみたが、今度は薄すぎて口に合わなかった。
2013-04-25 03:38:22「いらっしゃいま…」「よう」ちょっと気まずくなって俯き気味に返事をしたものの、彼のほうが身長が低いからこちらの表情は丸見えだっただろう。「いらっしゃいませ!」ぱぁっと花が開いたように笑顔が咲いた。こら。接客業がそんな満面スマイルを安売りすんな。ふざけんな縊るぞ。
2013-04-25 03:46:59「今日はどうしますか?」「あー…」言い淀んだ俺に、伊月さんはちょっと眉を下げた。「お口に合いませんでしたか」主語の抜けたその台詞は前回のアイスコーヒーのことだ。さすが、何出したか全部覚えてるのな。「ちょっと渋かった」「あぁ、なるほど…すみません、オススメしてしまったのに」
2013-04-25 03:47:09や、別に伊月さんのせいじゃねーんだけど。あのアイスコーヒーがあまり合わなかったのは事実なので、改めてメニュー表に視線を向ける。ごちゃごちゃしたのは好きじゃないんだが、ホットとアイスを抜くと何を頼めばいいかわからない。「…他になんかある?オススメ」「俺のオススメでいいんですか?」
2013-04-25 03:52:29「そ、伊月さんのオススメ」伊月さんの手が止まる。夜のこの時間帯は客も少なくて、常連か彼のファンくらいしかいないから多少レジで時間を食っても問題ない。「苦いのがお好きですよね」「まぁな」「季節モノよりは長く飲めるやつですか?」「おう」伊月さんがカウンター内の道具をじぃっと見回す。
2013-04-25 03:52:45いつもきびきびと迷いなく手を動かす彼にしては珍しい動作だ。数秒思案して視線が一点で止まる。決まったか?「じゃあ、エスプレッソ濃いめのラテなんていかがでしょう。うちのスチーム強力だからなめらかでおいしいですよ」そう言ったときの、ちょっと誇らしげな笑顔に俺は息が止まるかと思った。
2013-04-25 04:02:41一応まだ気の迷いかなって期待してたんだけど、あぁ、ダメだこれ、モノホンだ。だって今、すげー綺麗だと思った。男に綺麗ってなんだよ、ありえねぇ。そしてこんな簡単に機嫌が急上昇してる自分もありえねぇ。「んじゃ、それで」「かしこまりました」テキパキと伊月さんは道具を揃えて作業を始める。
2013-04-25 04:02:56ふーん、めんどくさそう。あっちでエスプレッソ淹れながらこっちで牛乳温めて。あれ、ホットなのか?思わずまじまじと手元を見ていたら笑われた。気恥ずかしくて視線を反らすと声をかけられる。「ちょっとご無沙汰でしたね」涼やかな声には笑みが含まれていた。来なかったこと、気づいててくれたのか。
2013-04-25 04:03:15「あー…」まさか会うのが気まずかったから、なんて言えない。濁したのをどう受け取ったのか伊月さんはちょっと慌てて言葉を継いだ。「あ、いや、体調でも崩されたのかなって心配してたんです」「そんなに来てなかったっけ」「いつも週に2回くらい、いらしてたじゃないですか」
2013-04-25 04:11:01すっとぼけてみせれば少し拗ねたような声音が返ってきた。「すげー、そこまで覚えてんの、接客業って」「二週間に1回以上くるお客様はだいたい」え、対象かなり多くね?しかもそれ、アンタのファンも含まれるよな。驚きつつ、俺だから覚えてたわけじゃないのかとちょっと気落ちした。そりゃそうか。
2013-04-25 04:11:13「それに、お兄さんはすぐ覚えましたし」「…へ」「だって、カッコいいしイケメンだし、他の子にも人気あるんですよ?」なんだそりゃ。ガラ悪くて目つき怖い、の間違いだろう。「お待たせしました、アイス・ラテです」途中、明らかにホットな作り方をしていたのに出てきたのはコールドドリンクだった。
2013-04-25 04:11:25うっかり伊月さんの横顔に見とれて手元見てなかったなんてことはない、ないはずだ。バレてたらどうしよう。真剣な表情でドリンク作るアンタが美人なのが悪い。会計しようとダジャレを待つ。いつもこのタイミングで聞いてから財布を取り出すのがお決まりだ。ところが、不自然に伊月さんが沈黙した。
2013-04-25 04:24:21なんだか気まずそうにもぞもぞしている。「今日はダジャレねぇの?」「…ダジャレが鬱陶しくなったんじゃないんですか?」「は?」「あ、いえ…」目を逸らされる。おい、俺の楽しみを奪うつもりか。自然と目が据わる。「レジで聞いてる時点で公開処刑みたいなもんだろ。今さら何言ってんだ、潰すぞ」
2013-04-25 04:24:30「…ダジャレを豪快に公開して後悔、みたいな」「ふーん、3点。刻む」なんだ、そんなこと気にしてたのか。くだらない。「えっ、ご、ごめんなさい…」評価が低いからかしょげた顔をする彼にまたどきりとする。「来週くるから、もうちょっとマシなの考えとけよ」「えっ、あ……はい!」
2013-04-25 04:24:40いつもどおりに軽く手を上げて店を出る。伊月さんに覚えてもらえていた。そう思うと自然と口元が緩む。やばい、嬉しい。来週も絶対に来よう。ライバル多そうだし、遠慮してる場合じゃねぇな。彼が作ってくれたラテは、濃い苦味とは裏腹に優しい味がした。
2013-04-25 04:24:53伊月視点③byすだち
あれから二週間、あのお兄さんはお店には現れなかった。前までは週に二回は来てくれていたのに。怪我や病気にでもなったのか、今は忙しいのか、それとも新しいお店にでも行っているのか、俺にはわからない。ただ、ふと、ついに愛想を尽かされてしまったのかもしれない、とは思った。
2013-04-25 15:07:29俺は自分のダジャレを酷いとは思わないけど周りには黙れとかやめた方がいいと言われるし、それに………。彼が最後に来た時に言ったダジャレを思い出して顔を歪める。さすがにあれは駄目だ、面白くないとかそれ以前に、俺の隠してる気持ちが出てしまっていた。それに気づいて気持ち悪いと思ったのかも。
2013-04-25 15:10:11そう考えているとすっと寒気が走った。あぁヤバイ、俺、あの人に嫌われたのか。だから、お店にも来ないのかな。そりゃそうだ、あんな、気持ち悪いダジャレ言って、あぁもう俺どうしたら。悪い考えばかりが頭の中をぐるぐる周って俺を苦しめる。そこでドアが開く音がした。「いらっしゃいま…」「よう」
2013-04-25 15:14:24咄嗟に出た接客用の挨拶に軽く返事をしたその人は、俺がずっと考えていた人で、もう来ないのかもと思っていた人で、「いらっしゃいませ!」嬉しくなってもう一度声をかける。あぁ良かった、来てくれた。久しぶりに会えたのが嬉しくてどうしても顔のにやけを抑えられなかった。
2013-04-25 15:17:08