イベント「電子書籍時代の同人誌」への批評家・佐々木敦さんの感想等

2010年9月12日に阿佐ヶ谷ロフトAで行われたイベントに関する感想等です。
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佐々木敦 @sasakiatsushi

で、第二部ですが、前にも書いたように、そこでは「ミニコミの現状/未来」という話と「電子書籍とミニコミ」という話が二元的に存在していて、トークとしての表向きのテーマは後者であった筈にもかかわらず、企画者にして司会の中川くんのモチベーションは明らかに前者に傾いていた、というのが明白。

2010-09-15 13:30:28
佐々木敦 @sasakiatsushi

中川くんが「同人誌の世界が大きくなってきた結果、新しいタイプの同人誌が出てきた」ということを言っていて、その好例としてKAI-YOUや.reviewを召喚しており、それに対して西田さんや武田くんが違和感を表明して、なんか途中から中川総ボッコみたいな展開も見られてたわけですが笑

2010-09-15 13:37:32
佐々木敦 @sasakiatsushi

でも、中川君の現状認識には明らかにもうひとつの、もっと重要な側面がある。それは「同人誌の世界の拡大」ではなく「既存の出版の世界の縮小」ということだ。

2010-09-15 13:40:29
佐々木敦 @sasakiatsushi

西田亮介が.reviewの理念として語っていたことは、要するに、まさに「紙書」に代表される従来の言論メディアが、ヴォリューム的にも影響力的にも減衰していきつつある現在、なお何事かを考えて、それを他者へと開いていきたいという欲望を持つ者は一体どうしたらいいのか、ということだと思う。

2010-09-15 13:43:57
佐々木敦 @sasakiatsushi

つまりこれは「言論の世界」への「参入障壁」と「機会の獲得」の問題だ。そしてそれを可能にする「インフラの復元/新設」の問題でもあるのだと思う。この意味で.reviewの問題意識は真摯だし切実だ。そしてこれを「カルチャー/サブカルチャー」にほぼそのまま移植するとKAI-YOUになる。

2010-09-15 13:48:17
佐々木敦 @sasakiatsushi

ここ二号ほどのKAI-YOUを僕なんかが見ていて驚くとともに些か怪訝でもあったのは、名のある書き手を迎えれば雑誌としてのプレゼンスが高まるのは当然だけど、どうしてそんなことをわざわざやってるのかなーということだった。ミニコミであれをやるモチベーションがよく掴めないというか。

2010-09-15 13:52:21
佐々木敦 @sasakiatsushi

でも壇上で彼が喋ってるのを聞いてて思ったのは、まあこんなことあちこちで言ってると思いますが笑、彼にとってKAI-YOUは、たとえばスタジオボイスのような雑誌の代替物なんだということ。カルチャー雑誌というものが、いまや商業的には成立しがたいのなら、インディでやってみようということ。

2010-09-15 13:57:41
佐々木敦 @sasakiatsushi

だから武田くんも西田さんも、いわゆる「ミニコミ」と自分たちがやっている媒体を一緒にされたくはない、という感じであったのは、まったくもって当然だと思う。彼らは共に、非商業的であったりインディペンデントであったりすること自体に意義を見出しているわけでは、おそらく全然ないからだ。

2010-09-15 14:00:25
佐々木敦 @sasakiatsushi

で、また話を戻せば、第二部ではいま書いてたような側面と、同人誌的世界の歴史と現状の話、そして「電書」にそれをどう絡めるか、というのが思いっきり錯綜して、それでも第一部に較べればマシだった笑とは思うけど、あーわーうーという内に終わってしまった、という感じは否めなかった。

2010-09-15 14:03:21
佐々木敦 @sasakiatsushi

でも各自の話は僕的にはオモシロかった。5Mも買ったし笑。マジレス!の羽田さんとアニメルカの反=アニメ批評さん(「エロ年代の想像力」ありがとうございます!)と名刺交換した。梅田径さんのミニコミ史観も興味深かった。新文学の松平耕一さんの革命話には爆笑した。

2010-09-15 14:10:10
佐々木敦 @sasakiatsushi

アラザルの西田と畑中は、どうしてあの二人が出ることになったのかという経緯を僕は知らないのだが、企画者にアラザルの名前が冠されてるにもかかわらず、というかやっぱりというか笑、全体の論議としては「その他」的な扱いに終始していたと思う。でも、ああなるしかないし、あれで全然よかったのだ。

2010-09-15 14:17:31
佐々木敦 @sasakiatsushi

第一部第二部を通して、各登壇者が意見の違いを際立たせていたのは、端的に纏めてしまえば、紙であれ電であれ「書=メディア」への個のかかわりと、「コミュニティ」と「お金」と「社会的認知」という三つのファクターをめぐる意識の差異というようなことであったと思う。

2010-09-15 14:24:17
佐々木敦 @sasakiatsushi

で、僕は前から常々思っているのだが(Lifeでも喋ったことがある)、たとえば「コミュニティの実現のため」「お金を得るため」「有名になるため」などといった、つまりは「〜のため」に何事かをする、というような考え方が、そもそもどうにも自分の気持ちにそぐわない、ということがあるのです。

2010-09-15 14:27:10
佐々木敦 @sasakiatsushi

もちろん僕だって、何らかの居心地のよいコミュニティはあったほうがいいし、お金はないよりあるほうがいいし、社会的認知はちょっと微妙だけど少なくとも自分がやったことに正当な評価を受けたいとは思ってる。それは当然のことだ。でも、それらはすべて「目的」ではなくて「結果」だと思うのだ。

2010-09-15 14:29:28
佐々木敦 @sasakiatsushi

友だちを作る「ために」、お金持ちになる「ために」、エラくなる「ために」、といった目的論的発想は、どうしても気に入らない。なぜなら「〜ために」を過剰に意識すると、それをスタートに置くことになり、肝心の「〜をする」が、なんだかどうでもよくなっていっちゃうような気がしてしまうからだ。

2010-09-15 14:32:48
佐々木敦 @sasakiatsushi

ミニコミと呼ばれてるものであれ、いや、それ以前に、何かを考えたり書いたり、考えて書いたものを何らかの手段で発表したりするということは、けっして「〜ために」だけやるわけではない。それ自体がやりたい、からやっているのだ。それは確かにそれだけのことかもしれないが、それでなにがいけない?

2010-09-15 14:35:19
佐々木敦 @sasakiatsushi

念のため断っておくが、だからといって僕は「やりたいからやる」ということの自己完結と閉鎖性をよしとしているわけではないんですよ。

2010-09-15 14:41:39
佐々木敦 @sasakiatsushi

西田亮介さんは(故意に単純化して言ってただけだとは思うが)繰り返し「少人数の仲間内での自己満足」と「一般性へと向かおうとする意志」を対立させていたけれど、僕はそんな明白に二項対立的に分けられるものではないと思う。たとえ「仲間内」に見えてても、それを自己肯定しているとは限らない。

2010-09-15 14:44:56
佐々木敦 @sasakiatsushi

僕はかねがね思うのだが、何であれとは言わないまでも、或る種の世界においては、ゲームボードを限定してルールさえ知悉すれば、そこで多少ともウレたりウケたりすることは、それほど難しいことではない。だが、要は「自分はそれをしたいのか?」ということなのだ。

2010-09-15 14:49:17
佐々木敦 @sasakiatsushi

結果として生じることを目的に予め据えざるを得ないという感じは、いわゆるところのサヴァイヴ的な時代を象徴しているのだと思うけど、これってやはり本末転倒というか、気の毒な気がしてしまう。ほんとうに大事なのは、いずれにせよ有限な人生の中で、何が自分にとって重要か、ということではなのに。

2010-09-15 14:57:40
佐々木敦 @sasakiatsushi

或るコミュニティ(と呼ばれる何か)が10人で構成されているとして、それは当然だけど、そのコミュニティを底支えしている価値観なり趣味判断なりを持ち得る者が、この世界に10人しか存在していない、という事実を意味しない。それにその10人が、11人目への希望を抱いていることだってある。

2010-09-15 15:04:53
佐々木敦 @sasakiatsushi

思い返せば、これまで自分がやってきたことも、そういうことだったのだ。僕は自分が面白いと思うものが、一般的にはマイナーなものである場合が多いということを、事実として認識している。だがそれは「マイナーだから好き」なわけでは断じてない。「好きなものがマイナー」とされていただけなのだ。

2010-09-15 15:07:48
佐々木敦 @sasakiatsushi

そこで僕は、自分と同じものを面白いと思ってくれてる人たちの存在を励みにしながら、でも今のところそうではない他者に向けて、コレって面白いよと触れ回ることをずっとやってきた。それはこの世界のどこかに、それをまだ知らないけど知ったら面白いと思う人達が、きっと居る筈だと信じているからだ。

2010-09-15 15:11:26
佐々木敦 @sasakiatsushi

それは「全員」では(ありえ)ない。また「多ければ多いほどいい」というわけでも必ずしもない。でも、今よりは僅かずつではあっても増える可能性はある筈だ、そう思ってやってきたし、そう思わなければやってこれなかったとも思う。

2010-09-15 15:13:43
佐々木敦 @sasakiatsushi

だから話を戻すと(笑)、一見すると「少人数の仲間内」でしかなくとも、それが「自己満足」に見えるのは外部の視線ゆえという場合だってある、ということだ。ひとがこういうこと(がどういうことはもういいよね)をするのは、マジョリティ=ポピュラリティ・オア・ダイ!、ということのみではない。

2010-09-15 15:22:48