水野亮氏の連ツイ 『田中功起作品は「作品」の新しいかたちを提示している』

5
@drawinghell

そしてその「微妙なバランスで成立している」ことをなによりも実感させるのが実際の展示なのだと思われるが、いくら作品や展覧会のかたちが拡張されようとも、こればかりは現地に赴かなければ確認できない。そしてもちろん、自分は行けないのだけれど。。。

2013-06-05 06:24:56
@drawinghell

大村さん@omurajiのブログ『受賞』http://t.co/dy2SdtgTAp、自分のツイートが引用されてるのでこちらも便乗して、大村さんがここで提示している<しかし果たして、今更ながら「日本」を「代表」するという事は如何なる事だったのだろうか>について自分も考えてみる。

2013-06-07 22:12:22
@drawinghell

前回の束芋のガラパゴス(だっけ?)を始め、過去の日本発「美しい日本」やら「TOKYO POPな日本」やら諸々と今回の田中功起の最大の違いは「日本」を表現しようとはしていないことだろう。あくまで日本「からの」発信に徹しているのだ。つまり当然そこでは「主語」の問題が大きな意味を持つ。

2013-06-07 22:16:50
@drawinghell

ヴェネチアの田中功起とカンヌの是枝監督では「日本代表」の持つ意味がまるで違う。田中の特殊はなによりもそれを作品の前提として出発しなければならなかったことだろう。つまり「日本を代表する」は、始めから作品の内側に組み込まれているのである。

2013-06-07 22:17:53
@drawinghell

その上で今回の作品において自分が重要だったと考えるのは、震災の当時作者である田中が日本から離れたLAの地に居たという事実である。つまり東日本大震災後初の選出作家として、震災後の「日本」を代表しなくてはならない当人が、その震災を直接的には「体験」していないのである。

2013-06-07 22:19:28
@drawinghell

代表選出決定直後に出されたステートメントでは、この点が曖昧にされていた。事実の隠蔽すら疑ったほどの曖昧模糊とした主語だったのだ。つまりなによりも「主語」が重要とされる作品において主語が明確でなかった。「当事者性」をめぐる論議が起こったのもそれが一因であるように思われる。

2013-06-07 22:20:19
@drawinghell

そのため最初のステートメントでは人称が粗雑に二分されている。即ち震災を経験している我々(日本)としていないその他の者(国)だ。だから震災直後の人々の行動を追体験する「練習問題」の案も、経験のある者から無いものへの教示であるかのような傲慢すら感じられた。

2013-06-07 22:21:21
@drawinghell

しかし最終的にはそれが微妙なバランスの調整などによって、作者本人の立ち位置も明らかにされる。その結果として、例えば件の「練習問題(不安定なタスク)」は経験者としての「日本」からの一方的な発信ではなく、その経験を持たない作者自身がそれを想像するためのタスクとして昇華されているのだ。

2013-06-07 22:22:23
@drawinghell

このことにより二分化されていた人称は解体される。そしてそれが自分には震災直後の人称の感覚の変遷と重なるのだ。地震直後の「日本/その他」が、やがて「東日本/西日本」、「被災地/それ以外」になり、時間が経つにつれ同じ場所にいる者たちの間でも経験のグラデーションが露わになって行く。

2013-06-07 22:23:20
@drawinghell

そして自分がそのとき感じた時間の推移の感覚が、今回田中が修正前と修正後のステートメントを同時に掲示する手法の中に再現されているように感じるのである。公式ページでは添削の日時まで記されたPDFが掲載されているが、その日時にも大きな意味があるのだ。

2013-06-07 22:24:20
@drawinghell

つまり今回の田中の作品は、震災時に日本に居合わせなかった作者が震災後の「日本」を代表しなくてはならないという個人的な葛藤のストーリーであり、震災から二年後の「日本」からこそ発信できる内容であり、あらゆる場所と時代にも応用可能な普遍的なプラットフォームでもあるのだ。

2013-06-07 22:25:17
@drawinghell

そしてこの多重構造ゆえに、自分はこの作品における田中の「作者」の立場は、通例よりも重いものになっているのだと考える。つまり根底にある田中個人に由来する「主語」こそが、そこから派生するあらゆる「主語」を支えているのだと推論するからである。

2013-06-07 22:25:50
@drawinghell

そしてその点こそが、自分がこの作品を「信頼」する理由なのだ。そして今回、田中がこのウルトラC級の「難題」をクリアーしたという驚異の前では、受賞の事実すらオマケ程度の意味しか持たないのだと思う。

2013-06-07 22:26:21