「藁人形論法」という言葉の用法にみられる最大の変化はそれが「個人の意見や意図についての解釈や理解に関して言われるようになった」ということだと思う。
2013-06-06 15:45:24私が以前から知っていたストローマンとか藁人形とかいう言い方の使われ方は,ほとんどが「○○派」とか「○○主義者」といったように批判対象をグループ化してそれに(批判される側から見れば)あることないこと放り込むような批判について言われていたように思う。
2013-06-06 15:48:51私が20年くらい前にはじめて「それは藁人形論法だ」と反論されたのはこういうことだった。ある学会で私が「パーソナリティ心理学批判」の中で「従来のパーソナリティ心理学者が仮定してきたこと」としていくつかのことを挙げて,その仮定に根拠がないことをひとつひとつ述べていった(続く)。
2013-06-06 15:52:16その上で「パーソナリティ心理学者は自分たちが信じてきたことを見直さなければならない」と言ったときに,ある「パーソナリティ心理学者」が「自分は渡邉さんが言ったようなことをひとつも仮定していない,藁人形論法だ」と言った。
2013-06-06 15:54:45ここでは私が「パーソナリティ心理学者」という「藁人形」に(実際にはひとりひとり差異のある)多くの人々を勝手になぞらえて,私がその藁人形に勝手に与えた問題点を批判することでその人々をまとめて切り捨ててしまったことが「藁人形論法」だと言われたわけだ。
2013-06-06 15:59:13もともとストローマン,藁人形論法という言葉は学術的な議論における詭弁について言われた言葉で,それが問題になる場面のほとんどは個人の意図と他者からの解釈との対立などではなくて主に「学派や立場の対立を利用して個人の主張を勝手に類型化する」場面だったのだろうと思う。
2013-06-06 16:03:41それが最近では(もちろんネットだけだが)「自分はそんなことを言うつもりではなかったのに,他人からそのように解釈され批判されること」一般を「藁人形論法」と呼んでいる例がすごく多くなっている。そういうのを見るたびに「この話のどこに藁人形がいるのよ」と思う。
2013-06-06 16:06:30さっきの「学会で藁人形論法と言われた話」だがこれにもオチがあって,そのあとその人の研究を調べてみたら,どれも私が批判した「パーソナリティ心理学者が仮定してきたこと」を仮定しなければ絶対にできないこと,言えないことしか書いてなかった。藁人形ではなかったのだ。
2013-06-06 16:10:21ただその「○○を仮定しなければ絶対できないこと」だという私の解釈もまたその学者に言わせれば(こんどはやや今のネット的な意味での)藁人形論法なのかもしれない。まあ何が藁人形論法なのかをケース単位で確定することなどできないだろう。
2013-06-06 16:13:47なるほどそうですね。 RT @unosumai: @ynabe39 藁人形って言ったら丑の刻参りしか思いつかないよ。ストローマンで統一して欲しい。
2013-06-06 16:14:19