西洋医学ことはじめ(東大と医学解剖と狩野亨吉の脳の重さと)

漱石や亨吉の脳の解剖は、医学解剖の流れの上でのことなのか?についてのあれこれ。 【参考】 石黒忠悳『懐旧九十年』(大空社) 青江舜二郎『狩野亨吉の生涯』(中公文庫) 東京大学創立百二十周年記念東京大学展『学問のアルケオロジー』(東京大学出版) 続きを読む
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T.K. fukushimaタグ付けよう @aizujin_k

@murapyon71 今の小千谷市ですね。多分幕府直轄領で、魚沼郡とあわせて会津藩預かり地になっていた時代もあった地域だと思います。幕末にどうだったかは、私も調べないと判りませんが、そんな経緯で会津藩の意向が通り易かったのではと想像します。

2013-06-13 02:47:29
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

@aizujin_k やはり会津領であったようです。http://t.co/efGq5ERmCU 昔の伝記はこういうところも注意して読まなければいけないのですね^^;

2013-06-13 02:55:14
T.K. fukushimaタグ付けよう @aizujin_k

@murapyon71 今は何でも出ていますね、有難うございます。どうも片貝村は二分されて、新料のほうが会津藩預かり地だったようで、枝郷の池津(現在の小千谷市片貝町池津付近か)がどちらに属するのかまでは判りませんでしたが、まあ、会津藩が取り押さえたとして不思議の無い場所ですね。

2013-06-13 08:58:53
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

五節句というとたいがいの本には正月七日があがっているのですが、元日じゃないの?という思いはありました。心の底では本当は元日でいいんじゃないの?とか。石黒忠悳は「節句式日すなわち正月元日とか三月三日・五月五日などには、冬は紬または羽二重、夏は麻か縮み布の紋付」とあり、 (つづく

2013-06-12 00:01:03
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

これは『日葡辞書』の節供の「日本人が人を訪問し祝宴を開く日、すなわち、正月元日、三月三日…」というのと合います。士族はノーマルな受け取り方で、庶民は東方朔の面白さに釣られて人日を好んだのでしょうか?ここらへん全くわかりませんね。

2013-06-12 00:07:10
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

西郷が全身肥満で疾歩も出来ないありさま。西郷は病的だろうとの明治帝の言葉を受け、ホフマンが診療したことなども書かれている。カルルス塩を日々服用するように処方し、毎日散歩をするようにとあるから、上野の犬の散歩をしている西郷どんは、ひょっとするとホフマンの診療の影響かもしれない。

2013-06-11 15:45:12
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

西郷どんの鷹揚さというのは、ひとつにはこの思う様に動けない様からきているのでは?とか罰当たりなことを想像してみたりする。

2013-06-11 15:47:34
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

昔は元服したときに名前をつける。石黒公の場合は、父が早世したので普通十五で行う元服を三年早くとおっしゃっている。名前を付けるのを名乗りといったらしい。石黒家の通り字は忠であり、父から講じてもらっていた論語から思い付いて忠恕(ただのり)としたとのこと。

2013-06-12 16:37:29
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

この通り字、石黒家の場合には一字であったようだが、普通は一字なのかな?大名クラスともなるといくつか持ちあわせているのだろうか?徳川さんなんかは忠や康などが目立つような気がするけど、ここらへんも僕にはよくわかりません。

2013-06-12 16:40:15
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

通り字というのは独特のもので、中国では例外を除けばそんな習慣は無い。大将がお気に入りの人に自分の名前の一字をあげるのを偏諱(漢字合ってるかな?)とかいうらしいけど、これは言葉の誤用も甚だしいので注意が必要。

2013-06-12 17:10:53