「〈野生の思考〉再興」の関連ツイート

多摩美術大学芸術人類学研究所で行われている安藤礼二氏と江川純一氏による公開講座、 「〈野生の思考〉再興」に関連したツイートのまとめ。 第一回「フレイザー『金枝篇』を読む」 第二回「モース『呪術論』を読む」 第三回「レヴィ=ストロース『野生の思考』を読む」 続きを読む
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安藤礼二 @reiji1967

『金枝篇』全体の見取り図は初版が最も捉えやすく、おそらく主題は2つで、1つは「王権」の問題、1つは「霊魂」の問題で、霊魂論が基盤になって王権論が形づくられている。

2013-04-28 08:15:33
安藤礼二 @reiji1967

霊魂というのは、同時代人のベルクソンなどとも共通して、言葉と「もの」の中間、抽象と具体の中間にあるような物質的なエネルギーを指していて、そのエネルギーを集約できる存在が「王」であるわけです。

2013-04-28 08:17:26
安藤礼二 @reiji1967

「王」は、まさに人間-神(man-god)として存在し、森羅万象の間に結ばれている不可視の力の結節点になっている。王は超自然的な力を、自然との物質的な、エレメンタルな「共感」(交響)から得ている。

2013-04-28 08:21:07
安藤礼二 @reiji1967

王は、その身体も、精神も、自然という世界が奏でる音楽に調音されている(これはフレイザー自身の表現)。王は世界を見えない力のハーモニーとして受容する存在なのです。だから王と詩人は等しい存在になる。おそらく折口信夫のフレイザー受容のポイントがそこにある。

2013-04-28 08:24:17
安藤礼二 @reiji1967

世界を見えない力のハーモニー、音楽のように捉える方法が呪術なのです。実は井筒俊彦の言語論の根本にもこの「呪術」があう。そういった意味で、折口信夫の呪術的言語論と井筒俊彦の呪術的言語論はつながり合う。

2013-04-28 08:27:21
安藤礼二 @reiji1967

呪術論と王権論は、言葉であると同時に「もの」でもあるような「霊魂」によって1つに接合されるのだが、『金枝篇』第1版を書き上げたあと、フレイザーはそれに最もふさわしい1つの言葉を発見する。「マナ」である。

2013-04-28 08:30:20
安藤礼二 @reiji1967

『金枝篇』の第2版から、フレイザーは王権の権威の源泉である「外在魂」を「マナ」として読み替えていく。マルセル・モースが『呪術論』として反応したのもその点であり、レヴィ=ストロースのモース論の核心でもある。

2013-04-28 08:32:34
@pettazzoniano

安藤礼二さん @reiji1967 が「【野生の思考】再興」について、とても重要なツイートをなさっている!

2013-04-28 08:34:00
安藤礼二 @reiji1967

「マナ」としての外在魂という考えは、当時の日本の民族学=民俗学=宗教学の体系をうち立てようとしていた人々にも大きな影響を与え、雑誌『民族』を刊行していた岡書院から刊行された「原始文化叢書」は、ほぼこのフレイザーからモースに受け継がれた「呪術論」の体系を紹介しようとしていた。

2013-04-28 08:36:06
安藤礼二 @reiji1967

ハッドンの「呪法と呪物崇拝」やハートランドの「原始民族の宗教と呪法」は、モースの『呪術論』の素描でもある。1927年に刊行され、柳田國男や折口信夫への影響は決定的だったはず。

2013-04-28 08:39:30
安藤礼二 @reiji1967

「呪術」は自然をアナロジーとコレスポンダンスから捉え直す方法でもあるので、芸術や文学の世界にも大きな影響を与えた。「野生の象徴主義」とでも称すべきような…。

2013-04-28 08:41:40
@pettazzoniano

フレイザーが「呪術的思考」と呼んだものに再び命を与えたのがレヴィ=ストロースです。そのためにモースという媒介が必要でした。自然の擬人化が宗教であるならば、人間の擬自然化が呪術ということになります。

2013-04-28 08:42:48
安藤礼二 @reiji1967

フランスではアンドレ・ブルトンが最後の大著『魔術的芸術』(正確には「呪術的芸術」)をまとめ上げ、日本では岡本太郎が「縄文土器」を呪術的芸術の結晶として捉え直そうとしていた。

2013-04-28 08:43:27
安藤礼二 @reiji1967

詩人の西脇順三郎の一面にも、呪術的なものへの深い共感がある。

2013-04-28 08:44:20
@pettazzoniano

彼らによると呪術とは自然の網の目のなかに人間を再び投げ入れる行為なのです。

2013-04-28 08:45:00
安藤礼二 @reiji1967

@pettazzoniano …というかたちで「野生の思考」再興の導入を考えています。よろしくお願いします!

2013-04-28 08:46:07
@pettazzoniano

今回は触れられませんが、フレイザーに思考の枠組みを与えたのは、E・B・タイラーです。呪術論についても神話論についても。マックス=ミュラー、タイラー、ロバートソン・スミスについては別の機会に! おそらく宗教学宗教史学のもっとも面白い部分の一つです。

2013-04-28 09:00:38
@pettazzoniano

先週の授業で「諸君、読み給え!」と推したのが、アンドレ・ルロワ=グーラン『身ぶりと言葉』(ちくま学芸文庫)。レヴィ=ストロースが横軸だとするなら、ルロワ=グーランは縦軸。

2013-04-28 09:40:55
安藤礼二 @reiji1967

フレイザーが『金枝篇』をまとめる上で大きな参考となったドイツの民俗学者=神話学者のマンハルトの著書ですが、『悲劇の誕生』を刊行したばかりのニーチェも熱心に読み進めています。

2013-04-28 09:56:00
安藤礼二 @reiji1967

若き文献学の教授としてニーチェが残した講義「ギリシア人の祭祀」は、マンハルトの民俗調査をもとにディオニュソスの祭祀を再検討しようとしたもの(ちくま学芸文庫に邦訳があります)。

2013-04-28 09:58:58
安藤礼二 @reiji1967

ニーチェは『悲劇の誕生』で抽出してきたディオニュソスの「憑依」を、ある一面では確実にフレイザーの方向に押し進めようとしていた。憑依、舞踏、演劇の問題を「祭祀」から考えようとしていた。

2013-04-28 10:01:25
安藤礼二 @reiji1967

同時期のマラルメも同じような問題意識を持っていた。ジル・ドゥルーズの『ニーチェと哲学』の1つの主題は、マラルメの「真夜中」とニーチェの「真正午」を対比するところにある。いずれも根源的な演劇発生の問題である。

2013-04-28 10:05:08
安藤礼二 @reiji1967

おそらく、井筒俊彦の『神秘哲学』もまた、ニーチェの「プラトニズムの顚倒」をまったく異なった地平に解き放つことを意識していたように思われる。

2013-04-28 10:07:02
安藤礼二 @reiji1967

井筒俊彦は、プラトニズムの起源にディオニュソスの「憑依」を見出し、それをプラトニズムの1つの帰結であるプロティノスの「神人合一」とダイレクトに接合しようとした。ニーチェの「古代学」をまったく別の地平に展開した。

2013-04-28 10:10:30
安藤礼二 @reiji1967

『金枝篇』に端を発する折口信夫の「古代学」と、やはり同じような問題意識を持っていたニーチェのディオニュソスを脱構築した井筒俊彦の「神秘哲学」をあわせて論じられればより生産的なはず。5月、頑張ります。

2013-04-28 10:14:35
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