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「〈野生の思考〉再興」の関連ツイート
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折口信夫の「大嘗祭の本義」とは何であったのか。一方では天理教、金光教、大本などの新宗教の発生とつながり、もう一方ではフレイザーやモースの呪術論とつながる折口の天皇論の核心を明らかにしたいと思っています。
2013-04-29 09:08:21![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
近代天皇制が確立されていくちょうどその裏面に、もう一つの「野生の王権論」があったのではないのか。新宗教の起源にある「神憑り」と、バタイユが「呪われた部分」を構想した呪術論=贈与論が交錯する地点に「大嘗祭の本義」を位置づけ直したいと考えています。
2013-04-29 09:11:11![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
天理教と金光教の起源には神仏習合的な修験道による「神憑り」があり、その神は「原の神・元の神」という「一神」の性格を持っている。出口なおと王仁三郎が確立した大本の教義は、その総合としてある。
2013-04-29 09:13:55![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
王仁三郎は「神憑り」を神主と審神者の2極から捉え直した。神の声を聴く女性と、その声をもとに現実の政治を行う男性と。折口の国文学の発生も同様の構造を持っている。根源神である陰陽道の金神は「荒神」と通じる。世阿弥や禅竹が能の起源に位置づける神でもある。
2013-04-29 09:17:45![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
芸能の起源に出現する神を「憑依」させ、その神が語ることから宗教と歴史が始まる。折口は、その「憑依」の構造を、フレイザーとモースの呪術論をもとに再構築した。
2013-04-29 09:19:50![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
本田親徳、長沢雄楯から授けられた王仁三郎の鎮魂帰神法は、友清歓真によって純化され、三島由紀夫の「英霊の声」に応用され、おそらく「文化防衛論」の基盤にもある。
2013-04-29 09:24:34![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
三島の文学的な師の1人である蓮田善明は戦中、柳田國男と折口信夫の民俗学と西田幾多郎と田辺元の哲学を1つに融合させる天皇を遺言のようにして残していた。
2013-04-29 09:26:11![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
すみません、1点、書き忘れ…。折口信夫の天皇論は近代的な神仏習合思想として捉え直す必要があり、その1つの鍵は密教的な神人合一論にあると思っているのです。折口が参加した神風会は平田篤胤の思想をバックボーンに持っており、篤胤の密教論を再検討していた。宮地厳夫の神仙道にも近い。
2013-04-29 09:53:48![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
網野善彦さんが「異形の王権」で抽出した強力な人間神の思想の近代的な復活として「大嘗祭の本義」を読み解いていくことは充分可能であると思う。巨大な「物語」を担おうとした作家たちは、その魅惑に抗えなかった。折口信夫、三島由紀夫、大江健三郎、中上健次、おそらく村上春樹まで。
2013-04-29 09:58:00![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
再掲:フレイザー(永橋卓介 訳)『サイキス・タスク』岩波文庫。王立科学研究所での1909年の講演。政府、私有財産、結婚、人命尊重。これら四つの制度の発展において「迷信」がいかなる役割を果たしたかを論じたもの。古い翻訳ですが絶版にならないうちに是非。
2013-04-30 15:21:36![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
原文 http://t.co/1WD6gGsRoh 『プシュケーの仕事』というのは秀逸な題です。『サイキス・タスク』とするから意味が分からなくなる。
2013-04-30 15:24:39![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
『金枝篇』は「呼びかけ」の書物である。行間が訴える。「気づけよ!」。例えばネミのディアナ崇拝と火の関わりの部分。初版は、ディアナに祈りを聞き入れられた女達はその印として燃える松明を木立に運び込むという指摘だけで終わる。第三版になると我慢できないと言わんばかりに彼はこう書きつける。
2013-04-30 17:20:08![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「森の中で発見されたテラコッタ製のランプはつつましく生きる人々が同じような思いを込めて捧げたものであろう。そうだとすればカトリック教徒が教会に聖燭を奉納する慣習との類似性は明らかであろう。」「同じような思い」とは人々がクラウディウスとその家族の安泰を願い祠に火を奉納した事を指す。
2013-04-30 17:20:49![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「進化主義だ」、「実証的ではない」、「フィクションだ」、「西洋中心的だ」。そんなことを指摘しても『金枝篇』を読んだことにはならないと思う。
2013-04-30 17:23:33![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「呪術の公的職能が最も有能な人間による至上の権力の獲得に至る道筋の一つである限り、それは人類を伝統への隷属状態から解放し、世界をより広く眺めうる、より大きい、より自由な生活へと高めることに寄与している。」←これフレイザーの言葉です。
2013-04-30 18:41:01![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
もうひとつ。「たとえ誤謬の子供だとしても、呪術はやはり自由と真実の母なのである。」『金枝篇』第三版第一巻より。一筋縄ではいかないのです。フレイザーは。
2013-04-30 18:44:00![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
連続公開講座〈野生の思考 〉再興「第一回 フレイザー『金枝篇』を読む」はいよいよ来週金曜日14:40です。なぜフレイザーは呪術的思考にこだわったのか。宗教学・民俗学・民族学とはいかなる試みだったのか。安藤礼二さんとともに多摩美術大学芸術人類学研究所でお待ちしています。入場無料。
2013-05-01 13:39:39![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
王には二つのタブーが存在した。太陽を見てはならない。大地に触れてはならない。両者を避けることができる場所は空中である。故にオークに寄生し空中に存在するヤドリギ(バルデルの霊を宿している)こそが森の王となる者によって手折られる枝である。フレイザーは最後まで類似と接触の法則を適用する
2013-05-01 15:42:46![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
wikipediaの「The Golden Bough」。Publishing historyの欄がとても便利である。各版の原文にとべる http://t.co/ivGRrIzaZG
2013-05-01 17:48:36![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「一方で懐疑論者は、同じくらいの確信を持って、ナザレのイエスを他の野蛮な迷信における犠牲者の水準にまで引き下ろすであろう。そして、イエスは道徳的教師にすぎなかったが、処刑の際の幸運な巡り合わせのために、単なる殉教者の冠ではなく神の冠を授けられたとみなすであろう。」第2版198頁
2013-05-02 08:58:31![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
死して復活する神とは誰か? 『金枝篇』第2版(1900年)は三つある版のなかで最も「行くところまで行った」本。すべて計算されている。この版のみ日本語訳が存在しない。
2013-05-02 08:59:55