- masakishibata
- 2224
- 0
- 0
- 0
さき
@masakishibata
本題の秀吉と信雄の関係については明確ですね。秀吉が内大臣もしくは関白になってから、信雄の官位官職を急激に釣り上げている動きが明白。本能寺の変から2年半で信雄の地位を上回り、名実共に織田家に取って変わった。秀吉の出世物語はむしろ本能寺後が本番と言えるのではないでしょうか。
2013-06-11 18:39:39
さき
@masakishibata
そして家康ですが、こちらは「信雄の次」という地位がはっきりしていますね。家康が信雄の官位を超えたのは、信雄が秀吉の御伽衆となって完全に出世コースから脱落して以降。それまではずっと信雄のひとつ下くらいの官位を与えられています。
2013-06-11 18:40:00
さき
@masakishibata
一方、清洲会議で織田家の後継者とされた織田秀信。こちらは1585年に従四位下・侍従になり、途中は省略しますが1598年に正三位・権中納言が最終。扱いとしては信雄よりかなり下というか、他の武家公卿より少し上程度なんですね。
2013-06-11 18:44:47
さき
@masakishibata
このことから秀吉としては織田家の(当主かどうかは別として)代表は信雄と捉えていたことが伺え、大名の中で最高の官位を与え続けてきた。で、次点が家康。この序列はほぼ崩れずに晩年まで維持しています。
2013-06-11 18:47:02そして伝説へ・・・