渡邊芳之先生ynabe39の「正当な批判だったら私刑をしてもよい主義者撲滅。」

「いじめられるような原因があるのだからいじめられてもしかたがない」「悪い子なんだからいじめられてもかまわない」というのが「明言されない常識」である限りはいじめはなくならないと思う。 「何の非もない罪もない人が攻撃されるのがだけがいじめで,その人に非や罪がある場合は正当な批判」と言っているうちはいじめはなくならない。 「正当な批判」であっても制裁は法に基づいて公権力が行うべきで私刑はダメ,というのがいちおう近代社会のしきたりだよね。 続きを読む
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権藤 @gonnabe72

当たり前でしょう。"@sv400s_dracin: …死の恐怖では自己責任は免責されないのでしょうか?日本は海難事故のときに救助相手を精査してから、救助に迎えってことなんでしょうか?…お金払えって事かな…命は金で買え的な… RT @ynabe39: 実際に死の恐怖に直面した…

2013-06-25 17:16:20
ふらんつ@ろん @Franz_Ron

@ynabe39 @you_you_1 @Ichy_Numa それが、午前中に挙げた成文化されてないコモンセンスで決まっていくものだと思います

2013-06-25 17:19:23
渡邊芳之 @ynabe39

@Franz_Ron @you_you_1 @Ichy_Numa 「コモン」といえるほど広範なのかなあというのはいつも思うことです。それに基づいて行動する本人にとってはコモンでも実際はローカルな場合が多いと思いますよ。

2013-06-25 17:24:23
渡邊芳之 @ynabe39

「敷衍すると」とか「言い替えると」とか「逆にいえば」とかを頭につければ相手の言った内容に関係なくなんでも好きなことを言えるわけじゃないということは強く言いたいです。

2013-06-25 17:25:45
沼崎一郎 @Ichy_Numa

「だから、いじめられても仕方ない」となりがちのが問題なんです。 RT @dejbrugr しかし、自分に何かしら思うところがある、自分のこういうところが悪かったな、などと感じる事が少しでもあれば、それはたぶん自分の原因とするところもあるはずなんです。@ralit

2013-06-25 17:27:45
沼崎一郎 @Ichy_Numa

.@dejbrugr @ralit 「どんな原因もいじめを正当化しない」という大原則を打ち立てない限り、いじめ問題は先に進みません。

2013-06-25 17:28:48
権藤 @gonnabe72

イジメなんて言葉はいらないよ。それによって死ぬとか騒ぎすぎ。金があれば死なずにすみます、という人を個人で助けて口外しないような国民性になるといいですね。「イジメ」なんて生きてる人間がゲームのキャラクターに名前つけるようなもんだから。「自分は無縁」だと思ってる奴しか口出さない話題。

2013-06-25 17:28:50
ふらんつ@ろん @Franz_Ron

@ynabe39 @you_you_1 @Ichy_Numa それはあるかもしれませんね。十戒まで戻ると、ローカルではないコモンが見えてくるというのが、私の見解です。(盗まない、嘘をつかない等

2013-06-25 17:33:54
権藤 @gonnabe72

イスラエル上空に舞う鷹のような清々しさ。タカ派なのに牛に間違われる事がエクスタシー。→"@ynabe39: 「敷衍すると」とか「言い替えると」とか「逆にいえば」とかを頭につければ相手の言った内容に関係なくなんでも好きなことを言えるわけじゃないということは強く言いたいです。"

2013-06-25 17:36:32
渡邊芳之 @ynabe39

「それみたことかバチが当たった」と笑って終わり,というわけにはいかないのか。

2013-06-25 17:38:58
沼崎一郎 @Ichy_Numa

「批判」と一言で言っても、領域によってルールが違う。たとえば、学問の世界の批判のルールと、政治の世界の批判のルールは違うだろう。問題なのは、社会一般における批判には、明確に確立したルールがないこと。それゆえ、正当な批判がいじめだと言われたり、批判を装ったいじめが横行したりする。

2013-06-25 17:40:14
沼崎一郎 @Ichy_Numa

社会一般における批判は、しばしば非難であり、ネガティブな風評であり、時に露骨な言葉の暴力だということが、大いに問題だというわけだ。

2013-06-25 17:43:47
沼崎一郎 @Ichy_Numa

「定義とは、現実の恣意的な切除である」

2013-06-25 18:11:23

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「素朴な正義感というのはだいたい反近代である。」 近代の法律というのは「悪人を減らすため」よりも「誰かに悪人だと思われただけでどんどん殺されてしまわないため」に整備されてきたのではないか。 by渡邊芳之 11538 pv 90 44 users 18

まとめ 渡邊芳之先生@ynabe39の「いじめを外形的な行為だけから定義することはできない,というのはずっと前から言っている.. 「明らかな暴行や脅迫や名誉毀損などはいじめと呼ぶのをやめよう(犯罪として扱おう)」という話と「明らかな暴行や脅迫や名誉毀損でないものはいじめと呼ぶのをやめよう」というのはまったく別の話。犯罪は犯罪として扱っても「犯罪にはならないいじめ」は必ず残る。 「ハラスメント」や「いじめ」は被害者の主観のみによって成立可能だというのが沼崎先生の論文にもあったように2000年ころ以降の基本的な考え方になっていると思います。 by 渡邊芳之 4661 pv 25 2

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「いじめは「指導」 道徳は「同意され正当化されたいじめ」ですからね。」 「心のノート」(小中学校の道徳の副読本)を見れば「どういう人をいじめたらよいのか」のヒントがいっぱい書かれていますよ。by 渡邊芳之 60081 pv 674 264 users 55

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「いじめられるほうにも原因がある」ということと「いじめられるほうも悪い」ということは「.. さて,その「いじめといじめでないもの」を分ける「本人が悪いか悪くないか」はいったい誰がどうやって決めるのだろう。 刑罰や法的な制裁が「いじめ」といわれないのは「本人が悪いかどうか」を決める基準や手続き,それに対する制裁の内容や方法が厳格に定められおおむね合意されているからだ。 by 渡邊芳之 ※捉え違いをしている方が多そうなので追記 朝から書いているように「被害者側に原因がある場合もある」ということも含んで「いじめの原因は加害者にも被害者にも,また学校などいじめが生じる環境にもある」と思います。しかしそのことと「被害者側にも責任がある」とか「いじめられるほうも悪い」というのは別。 そもそもいじめについて「加害者側に原因がない」なんてことはあり得ないでしょう。たとえそれが「人間すべてが生まれつき持ってい.. 62054 pv 257 159 users 118

まとめ 渡邊芳之先生@ynabe39の「すごく根本的なところで私は「いじめに反対する人の多くも,悪いやつならいじめてもよいと.. 朝から絡まれてるんじゃなくて、私が絡んでるんです。 「本人は悪くないのに攻撃されるのがいじめ」としてしまうと、「お前が悪い」とみんなに言われてしまえば終わり、となります。「本人が悪くてもいじめはいじめ」。 「落ち度があるからいじめてよい」「こちらが正義だからいじめてよい」というロジック自体を排除しないとダメなんです。本人に落ち度があってもいじめはいじめ、正義のためであってもいじめはいじめ。 by 渡邊芳之 7084 pv 8 2 users

まとめ 渡邊芳之先生@ynabe39の「私も「いじめかどうかは(最終的には)多数決で決まる」と考えているのでその点には特に異.. 正義だったら人を殺したっていいということも歴史や社会の現状を見ればわかる。 問題はその正義が「ローカル」であることを、その正義を主張する人、それに基づいて人を殺す人が気づいていない、あるいは認めない場合だろう。 by 渡邊芳之 6273 pv 30 1 user 9

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