memo: 三浦英之・朝日新聞記者の原発と震災…“メディア、ジャーナリストの責任”

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三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

今夜はこれから仙台に入ります。宮城県は私にとって駆け出し時代の4年を過ごした「第2のふるさと」。震災直後に「南三陸駐在」として1年間を過ごした、生涯忘れることのできない場所です。

2013-06-24 19:11:14
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

仙台へと北進中。何度この新幹線で通っただろう。新米記者だった01年、准看護師が患者の点滴に無差別に筋弛緩剤を投与したとされる事件が発生。容疑者は無罪主張し、結局3年間裁判を見続けた(無期懲役)。裁判が終わり、転勤で宮城を離れた後も、納得がいかずに自腹でこの地に通い、取材を続けた。

2013-06-24 20:59:52
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

(続き)そして2011年、東日本大震災が起きた。翌日被災地入りした私は現場で多くの遺体に直面し、同時にかけがえのない何人もの知人を失った。あの日からもう2年3カ月。明日は津波にのまれた女性を助けようとして亡くなった、私の「恩師」とも呼べる知人の家を訪ねてみようと思う。

2013-06-24 21:07:41
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

いつものケーキ屋でいつものモンブランを買う。津波で亡くなった警察官はタバコと甘い物が好きだった。奥さんに手渡すと、「パパはもういないんだから」と笑いながら、もう泣いていた。新米時代の4年間、私は毎晩この家で夕食を食べた。仏壇で手を合わせる。「彼」が黒枠の中で笑う

2013-06-25 15:50:01
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

昼食。私の好物のカレイの煮付け。「今は何を取材してるの?」と奥さん。「ネット選挙です」と私。「それは楽しいの?」。私は答えない。奥さんは仏壇に正座し、「パパ、今度、ネット選挙が始まるんだって」と遺影に報告するように言った。そして「三浦さんが来てくれました」

2013-06-25 15:56:21
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

結局、泣きっぱなし。帰り際、玄関で気付く。奥さんは今も警察官の靴を磨いて玄関に並べていた。警察官はいつどこで出勤を命じられるかわからない。彼女はまだ過去の中に生きているのだ。レンタカーで次の目的地・東松島に向かう。椎名林檎が歌う。「いくつになれば寂しさや恐怖は消え得る?」

2013-06-25 16:03:28
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

東松島市に到着。私が震災直後、最も多く遺体を見た場所。顔のない遺体。泥に埋まった少女。野蒜小の体育館には数十の遺体が横たわっていた。避難所だった場所に津波が押し寄せ、人々はまるで洗濯機に投げ込まれるように渦に飲まれていったと聞いた。その近くにある不登校児たちの施設を訪ねる。

2013-06-25 16:13:05
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

不登校児施設の周囲は今も壊滅状態。10代~80代の計11人が暮らしている。当日は2階に逃れて助かった。その後、不登校児たちは津波の海にボートを出し、流された人の救助に向かった。元々は野生児スクール。震災3日後に訪れたときには、孤立状態のなかボラを釣って食べていた。

2013-06-26 01:03:22
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

彼らの今の悩みは施設の経営。成人した不登校児たちが中心となり、11年4月からディサービスを立ち上げることになっていた。津波で施設は全壊。多額の借金だけが残った。頭を抱える経営陣と打開策を模索する若い世代。彼らを通じて参院選を見てみるのも面白いかもしれない。

2013-06-26 01:08:47
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

日が暮れて南三陸町入り。駐在していた1年前と比べ、山間部に店舗が林立しているのに驚き。ガソリンスタンドが3軒も並んで建っている。コンビニやコメリも。まるで別世界。夜は南三陸町長と会食。相変わらずタフな人。前向き。甲子園ベスト8が今も彼の誇りだ。

2013-06-26 01:12:29
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

深夜に入って現・南三陸駐在の伊藤記者と面会。赴任して1年3カ月。ホテルでは自炊ができないので、毎日コンビニ弁当の日々。私も最も辛かったのが食事。朝はカロリーメート、夜はコンビニ飯。そんな生活を10カ月も続けた。伊藤記者、頑張れ!

2013-06-26 01:18:21
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

早朝に起きて南三陸町の沿岸部を歩く。驚きと戸惑いでいっぱいだ。無残な姿をさらしていた被災建物が撤去され、夏草に覆われ、一面草原のようになっている。ここを初めて訪れる人はここで何が起きたのか、想像することが難しいだろう。病院も学校もない。

2013-06-26 14:20:32
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

被災地は4段階で徐々に「復興」していくのだろう。①がれきに覆われた直後②がれきが撤去され、被災建物が残った復旧期②建物が撤去され、一面更地になっている現在④新しい建物が建設される未来。時が経つにつれ被災が見えなくなっていく。それが良いことなのか、否か。今の私にはわからない。

2013-06-26 14:26:28