反原発運動の動機の一つとしての障碍、障がい児出産への忌避とその問題

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KASUGA, Sho @skasuga

@adachirikiya (2)1項の原則は、原因を造った可能性の高い企業等にその割合に応じて政府が課金し、補填することは排除されない。

2013-07-17 08:10:01
KASUGA, Sho @skasuga

@adachirikiya (3)いずれにしてもこうした行為は「個々の経験」という事実をベースに行われるべきであり、障がいの原因やその軽重から個々の「障がい者」の「幸福度」を社会が事前に見積もってはいけない。

2013-07-17 08:11:18
KASUGA, Sho @skasuga

@duruta で、こういうときに「歓迎/歓待 Hospitality 」とか「寛容 Tolerance」という語彙がよく使われると思いますが、どうも微妙にしっくりこないので、日本語でなんかいい言葉はないかなぁ、という感覚であれば、私にもあります。

2013-07-17 07:28:52
tu-ta @duruta

@skasuga 確かにサイドラインでの違和感だったんだけど、「個々の障がい者は『健常者』と同様、ウェルカムである」ってのが気に障ったんだよね。そんなことわざわざ言わんでくれ、的な。で、歓迎とか寛容って方向が固定的な感じなので「**しあう」ってのが大事なのかなぁ。尊重しあうとか

2013-07-17 23:42:36
KASUGA, Sho @skasuga

@duruta 論点は社会から特定のグループを排除する/しないの問題のつもりです。その場合に関して言えば、排除するのが普通は"マジョリティ"の側なので、双方向性を強調しすぎることはマジョリティの責任の隠蔽であるという印象を、私は受けます。

2013-07-18 16:44:25
tu-ta @duruta

@skasuga 思い出したのですが、【「寛容」のポリティクス】について http://t.co/8ZkhgGDx1j で書いています。

2013-07-18 17:24:56
KASUGA, Sho @skasuga

まぁ、しかし「上から目線」であろうと第一のステップは「寛容」なんだと思いますよ。それに寛容というのはお互いの苦痛を要求するわけで「友だちになろう」よりある意味でハードルは高い。 @duruta

2013-07-18 17:34:14
KASUGA, Sho @skasuga

寛容のエッセンスはヴォルテールの(と言われる)「貴方の言うことは間違っていると思うが、貴方が発言する権利は守る」ということであり、間違っていると思われる発言を許容することには社会の側にも痛みが伴うわけです。 @duruta

2013-07-18 17:35:33
KASUGA, Sho @skasuga

【お返事しなければ行けない宿題がたまっていますが、色々と時間をとられていまして、もう少々おまちください】

2013-07-18 15:21:57
あひるっくす第4形態(ただいま進化準備中) @yotayotaahiru

@skasuga 横から失礼します。先生の推論をすすめる上での「仮定」である「影響として障がいが発生するが疾患は発生しない可能性」の意味するところがわかりません。外傷以外の「障がい」の原因は疾患だと思うのですが。@masuda_ko_1

2013-07-17 12:15:54
KASUGA, Sho @skasuga

@yotayotaahiru もし優生学的な問題を扱うのであれば、いったん「障がい」と「疾患」は排他的に区別できるという前提に立つ必要があります。ちょっとこのあと連続でTweet させていただきます。うざいと思うのでメンションは避けますが、よろしければご覧ください。

2013-07-18 16:46:53
KASUGA, Sho @skasuga

@yotayotaahiru あ、あと、大学は辞めていますし、「先生」は避けていただければ幸いです。

2013-07-18 16:47:31
KASUGA, Sho @skasuga

01 これまでの私の議論を、とりあえず語弊もありますが「反優生学的」反原発論と名付けて話を進めたいと思います。

2013-07-18 16:48:27
KASUGA, Sho @skasuga

02 この、あくまで「反優生学」を堅持するということを前提にする場合、とりあえず「障がい」(特に先天性のもの)はある種の「特徴」や「個性」であり、疾病とは区別できるもの、という立場に立つ必要があります。

2013-07-18 16:48:36
KASUGA, Sho @skasuga

03 便宜的に弁別すると、疾病は患者自身の病識(自分がしんどいという感覚)を伴い、通常は一時的で、治癒の努力が本人にとってなされるものです(さて、精神病は、ということを考えるといくらでも例外があるのですが…)。

2013-07-18 16:48:46
KASUGA, Sho @skasuga

04 同様に、障がいは永続的ないしかなりの長期にわたる状況である一方、当人がそれをしんどいと感じていることが要件とはなりません(疾病の条件に例外が沢山あるように、こちらも例外が沢山あるのですが…)。

2013-07-18 16:48:57
KASUGA, Sho @skasuga

05 そもそも障がいはそれ自体が問題と言うよりも、社会の要求するスペックとの「ずれ」の問題とも言えるわけです。例えば太陽の動きと寺の鐘で時間を知るような社会だと、ADHD的なものはまず問題にならないだろう、とかいったことですね。

2013-07-18 16:49:12
KASUGA, Sho @skasuga

06 逆に「左利き」を考えて見れば、我々の生業がより右左をそろえるようなことに特化していればそれは障がいと扱われるかもしれない(現実にも、左利きのほうが有意に寿命が短いというような研究もあるようですし)

2013-07-18 16:49:29
KASUGA, Sho @skasuga

07 一方で、例えば野球なんかでは左利きは「Gifted」なわけです(障がいなのか"Gifted"なのかというのはハリウッド映画でもテーマになったりしますが、相対的なわけです)。

2013-07-18 16:49:39
KASUGA, Sho @skasuga

08 あるいは、アメリカのある島では近親婚が続いた結果ろうあが増えたのですが、その島では独自の手話が高度に発達し、日常英語と併用されることによってろうあ者と健常者の間にほとんど意思疎通における不都合はなかった、という話しもあります。

2013-07-18 16:49:53
KASUGA, Sho @skasuga

09 この場合は、社会の側が要求スペックを変えた例ですね(手話にハンディのある人も居るかもしれないので、ここでは「緩和した」という表現は使わないことにします)。

2013-07-18 16:50:02
KASUGA, Sho @skasuga

10 しかし勿論、これらは特殊ケースであり、障がいを疾患と捉えるか「特徴」と捉えるかはもちろん揺らぎがあるべきで、我々は障がい者個人やグループがどちらのモデルを採用するか、あるいは自分たちの有利なように組み替えて使うか、というような選択は尊重すべきです。

2013-07-18 16:50:14
KASUGA, Sho @skasuga

11 しかし、当初の目標は「優生学的視点の除去」であるので、ここではまず「障がいと疾病は分離でき、障がいを『除去すべき』」という我々自身が持っている臆見を排除したらどのような社会規範が構築できるか」想定し、

2013-07-18 16:50:35
KASUGA, Sho @skasuga

12 それを脱原発運動に適用することなので、いったんは分離し、障がいに関しては当事者団体等からの請求がないかぎり価値中立的なものと扱う、という立場を徹底することにします。

2013-07-18 16:50:40
KASUGA, Sho @skasuga

13 カントの時代であれば、こうした形式化された倫理は絶対のものと捉えられたわけですが、もちろん現代社会では倫理学というのは論理学からフィールドワークに手法が移っている面があり、

2013-07-18 16:50:54
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