【シューニャリアーナ創作議論】パブリッシメントとクリエイション
- L_O_Nihilum
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それこそ創作・提供・享受の理論で考えることができるよね 『提供者中心主義(Productionalism)』 批評もそうだし業界もそうだけど提供に携われたらなにしても勝ちみたいな考えがあるから,いつも提供者→被提供者(消費者)て観点を持ちがちになるんだよね
2013-07-24 09:59:02@L_O_Nihilum ボク知ってるよ ハード黎明期にサード加入してSTG提供してそこそこ売れたのに新作で完全に乗っ取って原作レイプした挙げ句油ドボーンさせたクソ会社を
2013-07-24 09:59:24@L_O_Nihilum 特にゲームみたいな複合的な産業においては、パブリッシャーにかなりの知見が求められます。単に面白いかどうかという判断だけでなく、CCの問題、ユーザーサポートの問題、配信プラットフォームとの折衝、版権の管理等、それぞれが非常に高い専門性をもとめられます。
2013-07-24 10:00:49ハドソン←コナミの例とか タイトー←スクエニの例とか(僕がスクエニやコナミの話をしたがらない理由の一つ) んで,カプコンとかコナミ,およびタイトーの死体からは インティクリエイツ・クローバースタジオ・トレジャー・グレフっていう面子が伝統をなんとか継ごうとしてた時代があったね
2013-07-24 10:01:40@Reins_Master あそこは良くも悪くも調子に乗ってて空気は読めないからなあ…w てか自社オリジナルの作品はいいもんできるんだけどリメイクとか請負に回ってまともな仕事したことほぼ一切ないっすよねセガさんて
2013-07-24 10:03:36@book_floor あとはその現実にユーザーがついていけるかってことですね…課金ゲーの流行でパブリッシャーの統治がかなり批判的になってきてる時代に,どうやってその辺の意味を説得するのか… うー,業績説明とかも超上手の任天堂しかできない希ガス元素。
2013-07-24 10:05:11オタクを憎むつもりはないけどさ,オタクっていう享受者のエートスができてるから作品の作者っていうのを相っ当拝む人たちいるわけよね 僕もその一人だけど。 そういう時に,この作品を制作した価値を担保するのはだれで,だれを制作した人として尊敬すべきなのか,ってのはずっとついて回る…
2013-07-24 10:07:12@L_O_Nihilum 逆に言うと、ソシャゲで地に落ちたゲームへの信頼感を回復しつつ収益を確保していくには、GREEやモバゲーとはまったく別のプラットフォームで市場を健全に構築しなくてはなりません。Wii Uでは厳しいと思いますが、新プラットフォームは業界全体の課題でしょうね。
2013-07-24 10:09:45デザインと開発が全然違っててもそれでも両方尊敬せずデザインの側の企業に作者主体としての印象がまとわりつく現象(メルブラの例)はなぜ
2013-07-24 10:10:13@book_floor ですよね。くれぐれも某ラノベの「これはゲームであっても遊びではない」的空間ができたりはしないようにしてかないと^^;。既存のアーキテクチャ論に頼っていては本当にダメだ(笑)。
2013-07-24 10:12:01@L_O_Nihilum SAOの面白いところは、これまで完全に失敗してきた形を踏襲してて、プラットフォーム開発とゲーム開発を同じ人がやってるんですよね。あれはダメでしょう。絶対に成功しないモデルです。グーグルですら失敗している。あれも顕著な開発絶対主義です。
2013-07-24 10:15:55※SAOの面白いところ:
SAO(ソードアート・オンライン)は川原礫原作のライトノベルであるが,ここではその作中に登場する同名のオンラインゲームを意味する。
ここで取り上げられているのはそのオンラインゲームのモデル,つまり作中人物の茅場晶彦が構築したゲーム製作のモデルである。
茅場晶彦→
http://dic.pixiv.net/a/茅場晶彦
世界作って,その世界を額縁に入れず,その修正や管理を全部自分ひとりが掌握している。製作(クリエイト,ゲーム開発)と提供(パブリッシング,プラットフォーム開発)を双方掌握し,プレイヤーへの所有もさせないという悪いモデルをきれいに踏襲(!!)しているということ。
アレの作中のゲーム作者の発想って 「俺がプラットフォーム」だもんな 東とかといっしょだ んだから,そのなかでのキャラクター,ナーヴギア接続の外世他者たちにはかなさを感じる それがまた作品の評価を高める魅力になっちゃってるんだよな 悲しいものと怖いものは似ている,っていう真理だ。
2013-07-24 10:20:08@book_floor んで,その開発者を享受者であるキリトらがメタ的に乗り越えていく,っていう歴史も再現してるんですよね。いつも開発者の発想を享受者が乗り越えてくのと同じでw。いかにこの提供者のエンクロージャーを乗り越えてくか,ってのがやはり課題なのですね。
2013-07-24 10:20:49@L_O_Nihilum まあ、ゲーム好きな人は基本的にゲーム作りたいわけです。その中で、パブリッシングとかプラットフォーム開発ってのはサポートでしかないわけですよね。そこにいかに情熱を向けるか。金儲けしか考えないで作ると、ソシャゲみたいなのができるわけです。
2013-07-24 10:22:53@book_floor 俺が世界だ,みたいな考えにはならんようにしなきゃだめなのですねん。その形がむしろ提供と享受(パブリッシング・コンシューム,エンジョイ)の合間の曖昧化によって実現されてるところはちょいと複雑なところがありますが…(例:東方とかボカロ)。
2013-07-24 10:25:12だ・か・らー, ゴーストの条件だか何だか知らないけど, AKB=ソシャゲ=東方=ボカロ をつくっちゃうようなアーキテクチャ論は ダ☆メ なのよ☆
2013-07-24 10:25:51舞台≠作者であって,作者=舞台みたいなSAOのVMMORPG的な仕掛けをどっかかんかでやろうとするのは危険なのよサ ゲーミフィケーションって話も要するにそれでしょ?
2013-07-24 10:26:38@L_O_Nihilum ぜんぜん話変わっちゃいますが、しゅーにゃんさん、ちょっとゲーミフィケーションを誤解しているような。ゲーミフィケーションってのは、コミュニケーションにゲーム開発の手法を応用しようってくらいのゆるい話ですが……
2013-07-24 10:31:55@book_floor http://t.co/FGh4Xza8ml ここでこれ関係の話をしたんですが,ちょいと評価経済社会の話を盛り込みすぎましたかねえw。
2013-07-24 10:35:17ここで「ゲーム”開発”の手法」と言ってるのよねぇ 提供ではないんだよねえ,創作であって そしたらウチが勘違い…Or,そもそもゲーミフィケーションの度合いがかなり広くとらえられてる気が。
2013-07-24 10:36:10@L_O_Nihilum 「ゲーミフィケーションで社会変革」まで言っちゃうと、たしかに誤解を生みますね。しゅーにゃんさんの批判はある種もっともだと思います。ただそれはゲーミフィケーションの極端な一例なので、それでもってゲーミフィケーション全体を批判するのは違うかな、と。
2013-07-24 10:41:29@book_floor そうなんだーぁ。なるほどなー,してみるとじゃあ,大本の「ゲーミフィケーション」とはいかなる提案なのでしょうか。僕はまだその辺実はわかってないかもしれません。
2013-07-24 10:43:01