- Eric_Ridel
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26)痛快極まりないが、性急な若い読者は「じゃあいくらストックを溜めても無駄ではないか」と、本を放り出したくなるかもしれない。が、そうではないのだ。
2013-08-13 20:55:3727)世界中の誰一人として自分を評価してくれない、そんな孤独で絶望的なときでも、踏みとどまれる力を与えてくれるもの、それが〈ストック〉のほんとうの意味なのだ。
2013-08-13 20:55:5228)何がどう転んでも踏みとどまって、いぶかしい存在のまま、長い時間くすぶり続けることができる力、それだけがこの世で唯一、信じるに値する。
2013-08-13 20:56:1529)本書のサブタイトルにもなっている〈新人〉は、すべてこの試練(長いくすぶり)を経て生まれる。新人誕生の瞬間。これはどんな因果関係によっても、どんな理論によっても説明=述語化できない、ほんとうの意味での「出来事」(374頁)である。
2013-08-13 20:56:3330)この本がいぶかしい=新しい=若いのも、それが今なおくすぶり続けている〈新人〉の〈作品〉だからだろう。年齢を重ねて一定の社会的地位を得ても〈新人〉であり続けることはできるし、若くても老いている者もいくらでもいる。
2013-08-13 20:56:4932)「大切なことは、一生涯にわたって現役であり得るような何かを見出すことだ。世界のすべてがことごとく変化しても、あるいは世界が死滅しても、これだけはやり続けていられるというような何かを見出すことが決定的なことだ。…(続く)
2013-08-13 20:57:3233)(承前)「…専門性の真の意味は、生涯研鑽を積んでもなお先がありそうな深みを感じられるものに出会えるかどうかに関わっている」(122頁)。
2013-08-13 20:57:4934)だが〈新人〉が誕生するためには、発見=目撃する側も一瞬〈新人〉でなければならない。つまり、作者の「属性」や「肩書」、一言で言えば「述語」によってその作品を評価してはならない(「評価」の問題は本書の重要なテーマである)
2013-08-13 20:58:0336)そして、この世に何か新しいものが登場する瞬間、何かが変わる瞬間には、つねに同じことが起こる。ということは、この世には、諸々の属性や機能などの「述語」に還元=解体できない何かが「ある」のだ。
2013-08-13 20:58:3337)〈主語〉(369頁)、〈実体=ウーシア〉(同)、〈固有名詞〉(409頁)、〈心〉(86頁)、〈像〉(88頁等)、〈ストック〉(376頁等)、〈根性〉(113頁)、〈アルケー〉(269頁)…。
2013-08-13 20:58:4838)それが、世界を「静かに」変える。ニーチェ=ツァラトゥストラは、「新しい価値を発明する者のまわりを、世界は回転する。──目には見えないが、回転する」(「市場の蠅」、岩波文庫上84頁)と言っていた。
2013-08-13 20:59:0439)自分や他人や、ありとあらゆる物事(Sache)に、述語化できない何かを「見る」ことができるかどうかが、おそらく決定的なのだ。逆に、誰かや何かを、それの述語によってしか評価できない輩は、終わっている
2013-08-13 20:59:2340)有名か無名か、高学歴かどうか、どこに勤めているか、年収はいくらか、売れているかどうか…、すべて述語(=形容詞)にすぎない。それらすべてを集めても、それらを担う主語=固有名詞には届かない。
2013-08-13 20:59:3941)〔メモ:スポーツにおける「強さ」もそう。事前に競技者のありとあらゆるデータ=述語を分析・集積しても、誰が勝つのか、誰が強いのかは、試合をやってみなければ、「わからない」。〕
2013-08-13 20:59:5442)したがって、主語を述語に還元=解体する機能主義は、本書で徹底的に解体=批判される(275頁以下)。それは、機能主義の根っこ=〈心〉を捉えた、まさしくラディカルな批判である(ときに著者自身が機能主義者であるかと見紛うほどに)。
2013-08-13 21:00:0743)「(…)「ファンクショナリズム」とは、要するに述語(規定)をいくつも無限に集めれば、主語(実体)に至りつくという幻想を持った思考のことです」(410頁)。
2013-08-13 21:00:2244)思い切って平たく言えば、「述語をあれこれ並べ立てて何かが分かったような気になっている輩、人や作品を述語でしか評価できない輩の言うことは一切信用するな」というメッセージを、私は(自戒を込めつつ)勝手に読み取った。
2013-08-13 21:00:3846)述語を通じてその向こう側にある、あるいは述語において現象している、対象の〈心〉を捉えなければならない(そのためにはおそらく「暴力」が不可欠)。
2013-08-13 21:01:0749)〈像〉が述語を生み出すのであって、その逆ではない。〈像〉から切り離された述語=言葉は、ただの言葉である。それは上滑りに上滑りを重ねたあげく、何にも届かない。
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