芦田宏直@jai_an氏の『努力する人間になってはいけない ― 学校と仕事と社会の新人論』に対する、ある読者の感想

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芦田宏直 @jai_an

26)痛快極まりないが、性急な若い読者は「じゃあいくらストックを溜めても無駄ではないか」と、本を放り出したくなるかもしれない。が、そうではないのだ。

2013-08-13 20:55:37
芦田宏直 @jai_an

27)世界中の誰一人として自分を評価してくれない、そんな孤独で絶望的なときでも、踏みとどまれる力を与えてくれるもの、それが〈ストック〉のほんとうの意味なのだ。

2013-08-13 20:55:52
芦田宏直 @jai_an

28)何がどう転んでも踏みとどまって、いぶかしい存在のまま、長い時間くすぶり続けることができる力、それだけがこの世で唯一、信じるに値する。

2013-08-13 20:56:15
芦田宏直 @jai_an

29)本書のサブタイトルにもなっている〈新人〉は、すべてこの試練(長いくすぶり)を経て生まれる。新人誕生の瞬間。これはどんな因果関係によっても、どんな理論によっても説明=述語化できない、ほんとうの意味での「出来事」(374頁)である。

2013-08-13 20:56:33
芦田宏直 @jai_an

30)この本がいぶかしい=新しい=若いのも、それが今なおくすぶり続けている〈新人〉の〈作品〉だからだろう。年齢を重ねて一定の社会的地位を得ても〈新人〉であり続けることはできるし、若くても老いている者もいくらでもいる。

2013-08-13 20:56:49
芦田宏直 @jai_an

31)「死んでいる奴は生きていても死んでいる」(306頁)。

2013-08-13 20:57:05
芦田宏直 @jai_an

32)「大切なことは、一生涯にわたって現役であり得るような何かを見出すことだ。世界のすべてがことごとく変化しても、あるいは世界が死滅しても、これだけはやり続けていられるというような何かを見出すことが決定的なことだ。…(続く)

2013-08-13 20:57:32
芦田宏直 @jai_an

33)(承前)「…専門性の真の意味は、生涯研鑽を積んでもなお先がありそうな深みを感じられるものに出会えるかどうかに関わっている」(122頁)。

2013-08-13 20:57:49
芦田宏直 @jai_an

34)だが〈新人〉が誕生するためには、発見=目撃する側も一瞬〈新人〉でなければならない。つまり、作者の「属性」や「肩書」、一言で言えば「述語」によってその作品を評価してはならない(「評価」の問題は本書の重要なテーマである)

2013-08-13 20:58:03
芦田宏直 @jai_an

35)なぜなら〈新人〉とは未だ「述語」をもたない者だからである。

2013-08-13 20:58:19
芦田宏直 @jai_an

36)そして、この世に何か新しいものが登場する瞬間、何かが変わる瞬間には、つねに同じことが起こる。ということは、この世には、諸々の属性や機能などの「述語」に還元=解体できない何かが「ある」のだ。

2013-08-13 20:58:33
芦田宏直 @jai_an

37)〈主語〉(369頁)、〈実体=ウーシア〉(同)、〈固有名詞〉(409頁)、〈心〉(86頁)、〈像〉(88頁等)、〈ストック〉(376頁等)、〈根性〉(113頁)、〈アルケー〉(269頁)…。

2013-08-13 20:58:48
芦田宏直 @jai_an

38)それが、世界を「静かに」変える。ニーチェ=ツァラトゥストラは、「新しい価値を発明する者のまわりを、世界は回転する。──目には見えないが、回転する」(「市場の蠅」、岩波文庫上84頁)と言っていた。

2013-08-13 20:59:04
芦田宏直 @jai_an

39)自分や他人や、ありとあらゆる物事(Sache)に、述語化できない何かを「見る」ことができるかどうかが、おそらく決定的なのだ。逆に、誰かや何かを、それの述語によってしか評価できない輩は、終わっている

2013-08-13 20:59:23
芦田宏直 @jai_an

40)有名か無名か、高学歴かどうか、どこに勤めているか、年収はいくらか、売れているかどうか…、すべて述語(=形容詞)にすぎない。それらすべてを集めても、それらを担う主語=固有名詞には届かない。

2013-08-13 20:59:39
芦田宏直 @jai_an

41)〔メモ:スポーツにおける「強さ」もそう。事前に競技者のありとあらゆるデータ=述語を分析・集積しても、誰が勝つのか、誰が強いのかは、試合をやってみなければ、「わからない」。〕

2013-08-13 20:59:54
芦田宏直 @jai_an

42)したがって、主語を述語に還元=解体する機能主義は、本書で徹底的に解体=批判される(275頁以下)。それは、機能主義の根っこ=〈心〉を捉えた、まさしくラディカルな批判である(ときに著者自身が機能主義者であるかと見紛うほどに)。

2013-08-13 21:00:07
芦田宏直 @jai_an

43)「(…)「ファンクショナリズム」とは、要するに述語(規定)をいくつも無限に集めれば、主語(実体)に至りつくという幻想を持った思考のことです」(410頁)。

2013-08-13 21:00:22
芦田宏直 @jai_an

44)思い切って平たく言えば、「述語をあれこれ並べ立てて何かが分かったような気になっている輩、人や作品を述語でしか評価できない輩の言うことは一切信用するな」というメッセージを、私は(自戒を込めつつ)勝手に読み取った。

2013-08-13 21:00:38
芦田宏直 @jai_an

45)人はなぜ、何のために学ぶのか。たくさんの述語を知るためではない。それだけでは何も分かったことにならない。

2013-08-13 21:00:53
芦田宏直 @jai_an

46)述語を通じてその向こう側にある、あるいは述語において現象している、対象の〈心〉を捉えなければならない(そのためにはおそらく「暴力」が不可欠)。

2013-08-13 21:01:07
芦田宏直 @jai_an

47)たとえば(たんなる一例ではないが)一つのテキストを「読む」とは、そのテキストの〈像〉を捉えること(第4章「読書」とは何か)。

2013-08-13 21:01:21
芦田宏直 @jai_an

48)この〈像〉は述語に還元することはできない。むしろ、述語が意味をもつのは、それが〈像〉を何らかの仕方で映しているときだけである。

2013-08-13 21:01:38
芦田宏直 @jai_an

49)〈像〉が述語を生み出すのであって、その逆ではない。〈像〉から切り離された述語=言葉は、ただの言葉である。それは上滑りに上滑りを重ねたあげく、何にも届かない。

2013-08-13 21:01:53
芦田宏直 @jai_an

50)本書は、一方で〈像〉としての言語論を説きつつ、他方でその言語論の著者自身による実践のドキュメントでもある。

2013-08-13 21:02:09