京都・五山送り火の「被災松は嫌」ある京都の人の本音
私が本当に恐ろしいのは、薪の自然界と変わらない放射線量ではなく、21世紀にもなって「ピカがうつる」レベルの迷信と差別に走る人々の存在。 「教育の敗北」を具現していると思います。 <京都・五山送り火、「被災松」今も倉庫に 対応先送り http://t.co/Ua4oz2BKmO
2013-08-14 08:34:37↑京都の五山の送り火にそういうの持ってこないで的な感覚はある
なぜ「そういうの」を持ってきてはダメなのか?
記事は読んでいないけど、ナプキンのCMや女性に対するケガレ観とかと一緒で、理由なき感覚としか言えない。
@kotton_im 理由なき感覚は仕方ないと思うけど、それを言動なり行動なりで示せば、反応として誰かが傷ついたり損をしたりするのだから、口に出す際は責任とれる理屈くらいもっておいたほうが無難だと思うよ。
2013-08-14 13:11:34穢れという概念は、僕は無駄なものだとは思ってないし、簡易的な衛星判断には欠かせない感覚だと思っているけれど。合理性から乖離した穢れの観念を理由に、人に損害を与えたり、人を傷つけたりすることを、どうやって擁護できるのか、難しい問題だ。
2013-08-14 13:15:44京都人がもつ古いプライドで「神聖というより誇り高い行事に曰く付きの何かを持ち込むまないでほしい」というのがある。これが差別の心理かもしれないけれど。
@kotton_im 「”被災地”のものはいわくつきのものだ」と判断してるわけだね。別にことちゃんが”思う”ことは勝手じゃないかな。僕だって差別の心はあるわけだし、みんなだってそうだと思う。でも言動は「人の目に見えるもの」だから、責任が伴うゆえ、他者が納得できる理屈がいるのでは。
2013-08-14 13:18:41①そもそも「差別観」があるということ、科学的に証明されながらも感情によって忌避されているものがある。②(差別的な)言動や行動にとっての責任感が薄いこと③その不安の対象が適切かどうか確かめられていないこと ①と③はゆるやかにつながる。
2013-08-14 13:21:00僕は別に①を問題視する必要はないと思っている。穢れという概念がどうにも解消できないのはここ数年で痛いほど分かった。だけど、人の責任として②を自覚させることと、③を実行させるように促すことはできそうな気がしている。
2013-08-14 13:23:16京都の古くからある行事なのに、全く関係ない地域が「今年不幸があったからこれも一緒にまぜてやってくれない?」というのはおかしいのではないか。
改めて記事を読んで考えたけどやっぱりワザワザ五山の送り火で燃やす必要があるのか?って意見に収束する。
ケガレ観が主な理由で、屁理屈しかつけられない。
@kotton_im なんで?っていうのはまさしくその通りだね。ただ、わざわざ「やる」理由にはならないけど、進んでたプロジェクトをわざわざ「止める」理由にはならないとも思うよ。
2013-08-14 13:27:55やる理由はわからんけど、止める理由にそれがなるのか?もう進んじゃったものにわざわざブレーキかけるんだからいろいろエネルギーがいるだろうに。
2013-08-14 13:28:16権利が絡んでるんだよ。
@kotton_im 権利が絡むことはそれ自体では何も悪いことだとは思わないよ。そもそも僕は「いいから京都は送り火やれや」って言ってるわけじゃなくて、「こういう概念がまだあるんだね」って言ってるだけだから、ストップさせたのが誰なのかはあんまり関係ないんだ。
2013-08-14 13:31:31つまるところ、そういう非合理的な価値観で他人に影響をもたらす無責任な行動や言動をするっていうのがまかり通っているというところがまずいわけさ。
2013-08-14 13:32:51@kotton_im 穢れ感自体を悪いとは思ってないけれど、それを公然と言えてしまうということが問題なんじゃないかということ。あるいは、その穢れ感が非合理的なものであると自覚しているかどうか、ってところだと思うな。僕の論点は前者、元のRTは多分後者を言いたかったんだと思うよ。
2013-08-14 13:37:10非科学的な理由で多くの人に影響を与える言動や行動をするのは、僕は無責任だとおもってるわけ。他人に働きかけるわけだから、屁理屈でもなんでもいいから、他者を納得せしめる理由がないかしらねぇ。
2013-08-14 13:40:11