田中耕太郎における自然法概念と日本国憲法
以上の主張から、私は次のように述べたい。社会教説についての議論はまず第一に信仰の立場から論ずるのではなく自然本性の立場から論ずるものではなかろうか。どのような立場また政治的主張を伴うにしろ、それを信仰の立場から行うのは議論として不適切ではなかろうか。
2013-08-13 16:05:47寄り道がすぎたな。ともかくとして、この手の議論をする際に教会に従う/従わない、良心に、社会に従う/従わないという視点ではなく、目指すべき共通善はなにか、その根拠となる究極然たる神は何であるかを目指してそこを土台に論ずる必要があるのではと述べたいのです。
2013-08-13 16:09:55「およそ人間の行動は何等かの目的をもっていないものはなく、それ等は、仮令それが日常生活の瑣事であっても、局部的技術的性質のものであっても、目的論的には人生の究極目的(causa finalis)に連結している。この点は法についても同様である。」ibid.p326
2013-08-13 16:13:54ここで田中は人生の究極目的と法について論ずる際には不要とも思える哲学的、否、形而上的な文言を持ち出します。ですが、この点が非常に重要です。
2013-08-13 16:15:10さて、カトリックの信徒にとりこの人生の究極目的なる語はおなじみのもののはずです。なぜなら、カテキズムをはじめとした教会の教説中にこの考え方が頻繁に登場するからです。
2013-08-13 16:16:31ですが、この目的論的な考え方はカトリック教会内でもあまり一般的ではないと(日本の教会の場合)言えるかもしれません。というのもこの考え方に関連した教会の道徳教説が司牧者の一部から不評であるからです。
2013-08-13 16:17:48またこの目的論的立場は、近代以降の社会においては批判的に扱われており当然のこととして世間でも一般的な見方とはなってはいません。
2013-08-13 16:18:35そのため、自然法論また目的論(両者は密接に関連しています)の立場から社会について何かを論ずるのはそれなりの苦労が伴います。というのも、その立場それ自体の説明と擁護がまず必要だからです。
2013-08-13 16:19:56無論、信仰者向けに論を転ずるならば、目的論がいかに信仰生活と密接に関連したものかを論ずる必要があるでしょうが、今回の目的は先ほど述べたように、自然法論の立場に立つ田中の説を紹介することですので、それはまたの機会にすることとします。
2013-08-13 16:22:13「憲法のごときは、それが国家や政治の目的を前提としている点において、他の技術的法と異って一層密接に人生の究極目的に関連してくる。」ibid.326
2013-08-13 16:24:12田中の見方に従うならば憲法を論ずることは必然的に「世界観即ち人生の意義・人間の使命等の形而上学的問題に関連してくる」ibid.326ことになります。
2013-08-13 16:26:05これはあくまで私見でありますのでカッコでくくりますが、<日本の教会は個別の社会問題、政治問題を論ずる前にこの世界観の問題点について積極的、広範に議論を展開する必要があると私は思います。>
2013-08-13 16:27:48「我々は憲法を世界観的に統一したところの、即ち矛盾のない全体として総合的に解釈しなければならない。ibid.p327
2013-08-13 16:30:43「それが、人間の作品であり、そうして終戦後あわただしく起草され、審議せられたために、そこに欠陥や矛盾があることは十分予想され得るが、それにも拘わらず、我々はそれを国家の矛盾なき一つの意思の表明として認めなければならない。」ibid.p328
2013-08-13 16:32:26「もしそこに著しい欠陥や矛盾があるとするならば、将来において、それが補充せられ又は調整せられなければならない。それは一個人の各個の行動の間に、事実上矛盾があり得るのに拘らず、全体として人格的の統一が認められ得るのと軌を一にする。」ibid.p328
2013-08-13 16:35:32田中の憲法についての見方を引用したが、この主張から私たちは多くのことを学びうるのではなかろうか。憲法の諸条項の不具合、矛盾を指摘し改正することと、基本的人権をはじめとした憲法の立脚する世界観を改正することでは大きな差異があることを心に留めて論ずるだけでも大きな違いがあるだろう。
2013-08-13 16:38:25さて、ここから今日の本番です。(すいません、今日の分はもう少しで終わります)田中は世界観の問題から、憲法と政党との関係に論をすすめます。
2013-08-13 16:41:25田中は憲法に世界観的統一が不可欠だと主張したうえで、「この点において、我々は憲法と政党との関係について考えて見なければならない。」ibid.p328と述べます。
2013-08-13 16:42:45「現存する各政党は、言論及び結社の自由が認められており、且つ合法的に選出された国会議員によって、法律に準拠して政治的行動をなしているからして、合法的のものと認め得られる。」ibid.p328
2013-08-13 16:44:52「しかしながら、各政党は憲法のすべての部分を正当視しているものとは限らないのであり、憲法上の各個の制度又は条規については、今日すでに改正意見を有し得るであろう。」ibid.p328
2013-08-13 16:46:37「しかしながら、同一の憲法の下に政治活動をなす限り、各政党はその世界観の根本においては、憲法のそれと一致することが当然予想されなければならない。」ibid.p328
2013-08-13 16:48:22「憲法において代表せられるている世界観は、各政党の世界観の最大公約数であり、この基礎の上において政争が行われなければならない。かような意味において、新憲法の世界観が如何なるものであるかを把握することが必要とせられるのである。」ibid.p329
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