@hirakawah @jun_makino @skasuga というか、どう定義しようと、むしろ2つは地続きでないとおかしいでしょう。
2013-08-20 14:15:44(承前)スナップショットなので、取り方次第で色々移りますよ、みたいなところを共有できるような見取り図を提供できるといいのかな、と。 @hirakawah @m_shirabe @jun_makino
2013-08-20 14:16:32@M_shirabe @jun_makino @skasuga まぁ、地続きはその通りなんだけど、「地続きになってるよね」と言える程度には「区別」が必要なわけですし。
2013-08-20 14:16:56@skasuga @hirakawah @jun_makino 別に「作動中」でなくても、もちろん、括弧の有無にかかわらず、社会的決定の根拠に(アプリオリには)使えないというのが私の立場。科学が判断の材料であることは当然として。
2013-08-20 14:19:17@skasuga @m_shirabe @jun_makino その途上のスナップショットを、十分に(例えば教科書に載るくらい)確証された知識として暑かったり、本来の適用範囲を超えて過度に一般化すると「科学」(ときにご都合科学)になっちゃうという感じですね。
2013-08-20 14:20:13@hirakawah @skasuga @m_shirabe @jun_makino 議論を読み切れていないのだと思いますが、《技術》の位置がどうなるのか気になっています。
2013-08-20 14:24:27@sakinotk @skasuga @m_shirabe @jun_makino 政治との関係ですと、技術も、その作動を可能にし、安全性含めて保障する知識=科学の面が重要になるのだと思います。
2013-08-20 14:31:53なるほど。「全技術」に適用可能な議論ですね。@hirakawah @skasuga @m_shirabe @jun_makino
2013-08-20 14:52:27【訂正】政策決定者による科学の「科学」化のパターン(科学の幻想)についてOrtwin Rennがまとめたもの。(先ほどの図、誤字もあったので再アップ。) http://t.co/5riXyvyaLt
2013-08-20 14:53:22ただ、途上国農学部という理系文系フルセットそろったパラレルワールド→世紀末知財なものですから、私の科学=みなさん(&欧米?)の技術…的セッティングとなっていて、いつもとまどってしまいます。@hirakawah @skasuga @m_shirabe @jun_makino
2013-08-20 14:53:26@hirakawah えっと「製作立案者が科学に抱く幻想」はいいのですが、抱かれた幻想は「科学」「技術」?それともその結果実施されて「科学」「技術」……わかってなくってすみません。
2013-08-20 14:59:14なるほど。。ちなみにもしかしたら牧野さん・調さん・私の場合、科学の原イメージに数理科学寄りのバイアスあるかもです。RT @sakinotk: ただ、途上国農学部という理系文系フルセットそろった… @hirakawah @skasuga @m_shirabe @jun_makino
2013-08-20 15:00:45@sakinotk 「抱かれた幻想」=(かっこつきの)「科学」ということになると思います。そして幻想としての科学(ある知識主張)が政策の裏付けとして表象され利用されるわけです。(技術でないのは政治との関わりで問題となるのは知識主張だから。)
2013-08-20 15:04:03@sakinotk それでいいと思います。その科学としての技術知を、ある目的達成のために系統的に用いて人工物(人為的プロセス)を作成したもの(その意味でmaterialなもの)が技術という位置づけかなと。
2013-08-20 15:12:00同感です。「そんな臆面もなく『証明』とか『事実』とか言わんといて」みたいな。RT @BB45_Colorado: @hirakawah @ab53take @setsn @skasuga 「科学が証明した事実(真実)なんです」という発言を政務官や大臣がするのには辟易しましたよ。
2013-08-20 15:12:47@sakinotk あと、逆に言うと、科学というのは人工的な現象をコントロールすることで研究するので、その点で(かつて佐々木力さんが言ってたように)「技術的科学」なんですよね。科学は現象・過程の引き起こし方、その理屈に関心、技術は所定の結果を得るために現象とその操作法を利用。
2013-08-20 15:23:09私の感覚はたぶん↓(調さん?)が一番近い。 「括弧の有無にかかわらず、社会的決定の根拠に(アプリオリには)使えない」 牧野さんの問題提起は「科学でないものが『科学』とされること(の違和感)」なのだろうけど、科学の外の住人からすれば鍵括弧の有無は問題ではない。 @minadukiG
2013-08-21 00:00:23鍵括弧付きの「科学」観が、本来の科学観を押しのけていくことが問題と感じられるのは科学内の人達なのだろうから、それは科学の内側で決着つけるべきことのような気もするんだけど…。 @minadukiG
2013-08-21 00:06:12言葉を換えると、政治家や役人などが「科学的には~…云々」と言い出した時、「それ科学じゃないし」と突っ込む科学者がいない(少ない)ことの問題点を科学の外の世界に投影されても困ってしまう…というか。 や、牧野さんはじめ敢然と突っ込む学者がいることも知ってるけど。 @minadukiG
2013-08-21 00:10:07あ、そうだ、思い出した。補足。 一つの疑問は、牧野さんのイメージする括弧なしの科学は、「社会的決定にそのまま使えない」という性質を(それこそアプリオリに)含んでいるかどうか…という点だった。ここがもしYESなら、鍵括弧の区別が別の意味を持ってくるのだった…。 @minadukiG
2013-08-21 00:17:22やはり二段構えなのかな。 1)元来が社会的決定には使えないはずのマートン的営為=作動中の科学 が権威化される問題。 2)そもそも教科書に載るほどの定説や権威であっても科学を社会的決定にそのまま用いてはいけない、にも関わらず用いられる問題。 @minadukiG
2013-08-21 00:31:58都合のいい考察やデータしか引っ張ってこない時点で、Political ScienceのScienceの部分は切り落とされてしまっている。可能なかぎりバイアスを排除した議論というものができなくなる。行政を司る人たちも科学的思考が必要。
2013-08-21 06:23:27GiddensやHaralambosの社会学の教科書で、1年次に徹底的に叩き込まれたのは、そのバイアスの排除と科学的思考の方法論だった。人文社会科学系でも必須。法学社会政治経済軍事・・学部1年次と他国からきたM1にはMaking sense of dataという必須科目が。
2013-08-21 06:39:15