東京には「川」がない
@knight_04 都心は小さな川の暗渠が多いですし、あっても首都高呉服橋あたりの下を流れている川くらいですかね?首都高は川の上が多いですから、首都高がエリア分けの役割を果たしているのかもしれませんね。隅田川沿いにも走っていますし。
2013-08-21 09:20:56@knight_04 大陸的な意味での長大な大河は無いですね。でも、欧州の街の真ん中を流れる大河位の水量は隅田川も木曽川も淀川もある気がします。
2013-08-21 09:24:18ドイツのドナウ川の源流から、それに沿って、ルーマニアとブルガリア国境の河口まで旅した事があるけど、地理オタには堪えられない旅行だったなぁ。家も道も広場も全部ドナウに向いて、ドナウからの便を考えて形成されてんだよなぁ。そして、河口に近づくと、大河になりすぎてその要素が薄まる。
2013-08-21 09:25:34@knight_04 ですね。孤立したそれぞれの平野のものを集積するのが日本の都市で、平野間の交流は海運でしたから。欧州のように平野がだだっぴろくて、そこを川の水運で交流してた世界とは全く違う成り立ちですよね。
2013-08-21 09:30:13大阪に住んでた頃は土佐堀川沿い歩くの好きでしたね。東京でいえば広い内堀通りが無くて、丸の内と内堀が直接面してる感じ。水都大阪の癒しでした。
2013-08-21 09:29:02東京の中心には川がない、と言われて「ええっ、そうかなあ」と思ってしまったのだが...考えてみれば私、社会人になってからのほとんどを隅田川沿いのオフィスで働いていたのだった。私が長く働いたオフィスってほとんど水辺だわ。
2013-08-21 12:21:55@TrinityNYC @nakatuken 江戸時代に、東京湾に流れ込んでいた河川を、銚子の方にもっていったわけですから(利根川)。都心に流れていた河川も、都心の北側を掘って隅田川に(お茶の水駅のところは掘削したのでああなっています=茗渓)。
2013-08-21 09:29:03まさに江戸の歴史は川の歴史ですね。RT @sakinotk: @nakatuken 江戸時代に、東京湾に流れ込んでいた河川を、銚子の方にもっていったわけですから(利根川)。都心に流れていた河川も都心の北側を掘って隅田川に(お茶の水駅のところは掘削したのでああなっています=茗渓)
2013-08-21 09:32:29大阪もですね 交通の便ということで共通点 RT @TrinityNYC: まさに江戸の歴史は川の歴史ですね。RT @sakinotk: @nakatuken 江戸時代に、東京湾に流れ込んでいた河川を、銚子の方にもっていったわけですから(利根川)。
2013-08-21 10:38:26NYも例えば町が進化する過程で中心がどんどんずれて、たとえばブルックリンの奥地あたりが機能のど真ん中になって、マンハッタンが下町の外れ状態だったなら、きっといまごろニューヨーカーが位置を把握する際の「川の役割」は違ってて、マップもそれを反映したものになると思うんだよな・・・。
2013-08-21 09:30:08.@TrinityNYC @noboru_kisaragi 江戸時代に時代小説を読んでると大川(隅田川)はよく出てきますね。 江戸の地理をイメージしようとすると、大川と江戸城がまず頭に浮かぶ感じです。
2013-08-21 09:31:10.@TrinityNYC @08child 東京の川が無くなったのは自動車道を作るためだったと思います。首都高には掘割を干して作った区間もありますし。
2013-08-21 09:33:59@TrinityNYC @08child 「山の手」という言葉を連想したのでウィキペディアで調べたところ、「江戸城の近辺と西にあたる高台の武家地域を『山の手』と呼び、水運に適した低地にある商工業が盛んな町人町を『下町』と呼んだ」と。江戸城を高台に作ったのが発端ですね。
2013-08-21 09:35:16@TrinityNYC ちなみに地盤が固いエリアは地価が高いです。港区、世田谷区、あと一つ区があって、度忘れ、、3台区です。丸の内は三菱地所が牛耳っています。
2013-08-21 09:36:00ダビデ像といえばミケランジェロのが有名で、そっちを基準に考えてしまいがちで、それゆれに僕はドナテッロのダビデ像を見た時にとても新鮮だったし、美しいと思ったが、歴史的には全く逆なんだよな。うん。
2013-08-21 09:37:11