道場破り、廻国修行、他流試合

参加者が多いうえに、会話も続いているので暫定版
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司史生@減量中 @tsukasafumio

@sweets_street @k_hisane そうなんですね。勝小吉とその周辺の人物を見ると、無頼御家人たちの行動様式の中に剣術修行が包摂されているんですね。

2013-09-10 21:01:38
ソードフィッシュさん @ttswordfish

@k_hisane いえいえ、ですから実際あるんですってば^^;

2013-09-10 21:02:29
司史生@減量中 @tsukasafumio

@k_hisane @sweets_street 勝小吉は摩利支天鑑通の法を学んで病人の加持祈祷やら寄加持(降神術)で小遣い稼いでます。魔術剣士ですね(w

2013-09-10 21:07:08
お菓子っ子 @sweets_street

町人や農民が鍛錬・護身のために学ぶほど剣術は身近な存在だったので、無頼の男が習得した剣術を喧嘩に使うのも当然でしょうね @tsukasafumio @k_hisane そうなんですね。勝小吉とその周辺の人物を見ると、無頼御家人たちの行動様式の中に剣術修行が包摂されているんですね。

2013-09-10 21:07:10
神無月久音 @k_hisane

師匠である平山先生からしてエピソード山盛の人ですしね。「先生からして変である」というか。 @tsukasafumio 勝小吉は滅茶苦茶な男ですが、男谷信友の年下の伯父で平山行蔵に師事し、剣術家としては本物でした。@sweets_street

2013-09-10 21:08:03
お菓子っ子 @sweets_street

古今東西を問わず、祈祷や占いは無頼の男女の生計の手段の一つですから RT @tsukasafumio @k_hisane 勝小吉は摩利支天鑑通の法を学んで病人の加持祈祷やら寄加持(降神術)で小遣い稼いでます。魔術剣士ですね(w

2013-09-10 21:08:38
神無月久音 @k_hisane

あらま。どんなことになったのやらで砂。 @ttswordfish いえいえ、ですから実際あるんですってば^^;

2013-09-10 21:09:13
司史生@減量中 @tsukasafumio

@k_hisane @sweets_street 奇人と無頼で馬があったというか。平山行蔵についての基礎文献のひとつが、勝小吉の著した伝記です。師から刀を贈られるぐらいには信を置かれていたようです。

2013-09-10 21:11:48
みんみんぜみ @inuchochin

@k_hisane @tsukasafumio @sweets_street 明治ですが讃岐の柔術家が武者修行を振り返って「襟を柿渋で固め掴んだ爪を剥ぐ相手」「(当時は藁マットの道場も多かったので)藁の中に釘が仕込まれて無いか摺り足で探す」というような交流稽古の様子を語ってます。

2013-09-10 21:15:10
みんみんぜみ @inuchochin

@k_hisane @tsukasafumio @sweets_street 大半は友好的に交流して相手が劣れば指導し強ければ教えを受け、去る時には選別に草鞋銭を貰っていたので牧歌的みたいです。あと慣例として公的な旅じゃなくても師匠が書いた紹介文みたいな物を持ち歩いてたそうです

2013-09-10 21:19:19
お菓子っ子 @sweets_street

@muhonnocream @k_hisane @tsukasafumio どちらも無頼の世界では名のある男ですから

2013-09-10 21:34:16
みんみんぜみ @inuchochin

道場破り的な事は今も昔もあるけど、小説や漫画みたいに「看板は貰っていく!」「今日から俺が道場主だ!」とかそういうのじゃなくて、単に後で「あの道場負けたらしい」「彼はあの流派の誰々に勝った」とかいう事にうわさされるだけなんじゃないのかな。道場破りする人は単に力試しで性格に難ありとか

2013-09-10 21:40:23
Leo (「拳の眼」管理人) @Leo_thunderbolt

随分とまぁ、クラシックなw 【悩み】 空手の道場を経営しているのですが、道場破りされました:痛いニュース(ノ∀`) http://t.co/cSsbVwQ8pt

2013-09-10 21:59:36
Leo (「拳の眼」管理人) @Leo_thunderbolt

極真だと、実際に看板持って帰って来た人って、北海道の故T先生とか、極真の猛虎先生かなぁ。

2013-09-10 22:00:48
Leo (「拳の眼」管理人) @Leo_thunderbolt

江戸時代は3本勝負で最初の1本だけ勝って、残り2本を道場主に譲り、「手前の及ぶところではありません」と花を持たせ、「いやいやその腕前大したもの、ここは1つ弟子に稽古を付けてもらえまいか?」と、逗留させるのが様式美だったと思うんですが、空気読めない人も多かったんでしょうねぇ。

2013-09-10 22:06:12
Leo (「拳の眼」管理人) @Leo_thunderbolt

極真でも進出の遅れた西日本の方は「ニセ極真」が結構横行してた様で、支部認可を貰った先生方が道場破りに行ったりしてます。 なので、暫く機関誌で「極真のニセモノに御注意!」とありましたw http://t.co/VSBBi85Qrm

2013-09-10 23:08:29
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神無月久音 @k_hisane

百姓農民でも剣術をやってる人間は結構いた訳ですけど、それでいて「武士の表芸」とされたのは面白いところで砂@sweets_street 町人や農民が鍛錬・護身のために学ぶほど剣術は身近な存在だったので、無頼の男が習得した剣術を喧嘩に使うのも当然でしょうね@tsukasafumio

2013-09-10 23:14:45
神無月久音 @k_hisane

この辺、江戸と明治で印象違いま砂。それとも剣と柔術の差でしょうか@inuchochin「襟を柿渋で固め掴んだ爪を剥ぐ相手」「(当時は藁マットの道場も多かったので)藁の中に釘が仕込まれて無いか摺り足で探す」というような交流稽古@tsukasafumio @sweets_street

2013-09-10 23:17:59
神無月久音 @k_hisane

全部敵に廻してたらキリないですし喃。あと、稽古後に皆で飲んだりとかもあったようで砂 @inuchochin 大半は友好的に交流して相手が劣れば指導し強ければ教えを受け、去る時には選別に草鞋銭を貰っていたので牧歌的みたいです。@tsukasafumio @sweets_street

2013-09-10 23:20:07
お菓子っ子 @sweets_street

「武士の本分は戦うことだから、武芸に励まねばならない」という建前があったからなのでしょうね RT @k_hisane 百姓農民でも剣術をやってる人間は結構いた訳ですけど、それでいて「武士の表芸」とされたのは面白いところで砂 @tsukasafumio

2013-09-10 23:20:16
神無月久音 @k_hisane

そりゃ藩の金ですしね。そういうの以外に、道中の路銀についても申請書を上げて、承認された分だけ受領できるのですが、「こんだけしか出ないとかおかしくね?せめてこれくらい出してくれ」とか交渉したりもしてます @ICQ_aisinn 受け取り印がいたのか‥@sweets_street

2013-09-10 23:23:56
神無月久音 @k_hisane

武士の本分が「弓馬の道」「槍働き」ではなく「剣」に象徴されるようになったってのが、江戸時代が平和な時代だった証左と言えるかもで砂。 @sweets_street 「武士の本分は戦うことだから、武芸に励まねばならない」という建前があったからなのでしょうね @tsukasafumio

2013-09-10 23:27:17
お菓子っ子 @sweets_street

平和な時代の戦士の仕事って警備や護衛ですからね。常時携帯できて取り回しも容易な刀こそ治世の武器ですよ @k_hisane 武士の本分が「弓馬の道」「槍働き」ではなく「剣」に象徴されるようになったってのが、江戸時代が平和な時代だった証左と言えるかもで砂。 @tsukasafumio

2013-09-10 23:29:37
Leo (「拳の眼」管理人) @Leo_thunderbolt

@inuchochin @k_hisane @tsukasafumio @sweets_street 沖縄でも巻藁にガラスを仕込んだりしていて、「人の巻藁を撃つ時は注意せよ」という話がありますねぇ。

2013-09-11 00:07:58
神無月久音 @k_hisane

なんにしても、全体として平和だったからこそ、「町道場」及び「道場破り」なんてものが存在し得るのであろうなと思うところ。戦国時代は師匠である武芸者の方が諸国を巡って教授してますし、道場破りをしそうな手合いにしても、そんな事するより、戦に出て功績を立てる方が見込みがあったでしょうし。

2013-09-11 01:08:09
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