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磯崎新 著「都市、国家、そして〈様式〉を問う」を端緒とする建築家たちの会話 覚え書き

磯崎新氏の論文「都市、国家、そして〈様式〉を問う」(『建築のパフォーマンス―〈つくばセンタービル〉論争』PARCO出版)を端緒とする会話 そこからさらに深まりゆくお二人の対話を追いかけました 日埜直彦 @naohikohino氏・河野 裕 @hkohno_abbr氏(登場順)のtweetsより
建築 制度 社会 都市 建築史
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Jun Hashimoto @has20090827
以前に、日埜さんから再読を薦められていた磯崎さんの「都市・国家・そして〈様式〉を問う」を読んだ。たぶん、15年ぶりくらいだと思う。実に優れて明晰な論述だと改めて感心した。この文章は、建築を学ぶ誰しもが読むべき重要な古典となり得ていると言っていい。
日埜直彦 @naohikohino
これ本当です。この視野から外れることの出来た人のいかに少ないことか。RT @has20090827 日埜さんから再読を薦められていた磯崎さんの「都市・国家・そして〈様式〉を問う」を読んだ。この文章は、建築を学ぶ誰しもが読むべき重要な古典となり得ていると言っていい。
Jun Hashimoto @has20090827
おっしゃるとおりだと思います。出た人がいたのかどうか。いなかったのではないか、とさえ言える。そもそも視野の外に出ること自体を目的にした段階でNGだし。 RT.@naohikohino この視野から外れることの出来た人のいかに少ないことか。
やまうち @takashiyam
@naohikohino @has20090827 磯崎さんの「都市・国家・そして〈様式〉を問う」という本、アマゾンで軽く検索したのですが、でませんでした。何かの本に入った一つの章ですか?
やまうち @takashiyam
@naohikohino @has20090827 すいません自己レス、「建築のパフォーマンス」という本の章ですね。パルコ出版...http://goo.gl/3UVP http://goo.gl/ldCW
Jun Hashimoto @has20090827
これは、「新建築」1983年11月号に掲載された論文です。つくばセンタービルの発表時に合わせて書かれたものです。 RT.@takashiyam @naohikohino アマゾンで軽く検索したのですが、でませんでした。
Jun Hashimoto @has20090827
単行本でもいいのですが、初出がいつかということも大事だと思っています。 RT.@takashiyam @naohikohino 「建築のパフォーマンス」という本の章ですね。
日埜直彦 @naohikohino
@has20090827 もちろんそうですね。ここが勝負どころ、という気合いが入ってる文章だと思います。
Jun Hashimoto @has20090827
そう、相当力んでいるはずなのに、ブレがない。恐るべし、ですよね。.@naohikohino ここが勝負どころ、という気合いが入ってる文章だと思います。
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr
持ってるから再読してみよう RT @takashiyam: @naohikohino @has20090827 すいません自己レス、「建築のパフォーマンス」という本の章ですね。パルコ出版...http://goo.gl/3UVP http://goo.gl/ldCW
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr
そういえば、『建築のパフォーマンス』(磯崎)ー「都市、国家、そして様式を問う」を読み返したのだが、、、日埜さんのいわれる「この視野から外れることの出来た人のいかに少ないことか」の「視野」は何を指しているのでしょう・・・。都市(計画学)・国家(ビューロクラシー)・様式以外の?
日埜直彦 @naohikohino
@hkohno_abbr 簡単に言えばあの論文の視野です>日埜さんのいわれる「視野」は何を指しているのでしょう。そうでもないと思われますか?
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr
@naohikohino レス遅くなってすみません。うーむ、あの論文は、「建築の言説が政治的または商品としての文脈に接続されることを拒否する方法として、あらためて私性に閉じ、言説をメタレベルに高め・・・」という主旨が言葉を変えて繰り返されていると思いますが→
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr
@naohikohino 「筑波」のプロジェクトの接続(具体的には歴史様式を持ち出すこと)の部分がよくわからないんですよね。大文字・メタレベルの言説が、どうして「様式」を語ることと同定されるのかが・・?→
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr
@naohikohino 論文の語っている範囲は、ある意味で包括的だと思いますが、一方で磯崎自身のpropositionについて語っている。でも、彼のいう批判対象に回収されない別の方法論・スタンスを取ろうとしている建築家は居るとは思うのですけれどね。→
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr
@naohikohino たしかに、ぱっと思いつくかと言えば・・・?ですが。少なくともメタレベルの言説を保つ(それと様式の話がどう接続されるのかいまだ理解しきれてませんが)云々以外に建築の自律的側面の開発を、磯崎とは別の方法で出来ている建築家は居るんじゃないでしょうか。
日埜直彦 @naohikohino
@hkohno_abbr あれは日本において、建築家が制度的な近代建築と主体としての建築家に股裂きになる必然について、問題設定をつまびらかにし、その上でいかに建築家が成立し得ないかを問うていますね。この股裂きに抵抗できた建築家がいたかどうか、僕は例外はきわめて少ないと思います。
日埜直彦 @naohikohino
@hkohno_abbr その意味で例外をあの論文は丹下においています。幸福な止揚、しかしそれは一瞬のことでした。念のため言うと股裂きを問題としてではなく現実として生きている建築家はもちろんたくさんいます。
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr
@naohikohino なるほど。そういうことですね、理解できました。ありがとうございます。
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr
@naohikohino 「筑波」のプロジェクトの接続(具体的には歴史様式を持ち出すこと)の部分がよくわからないんですよね。大文字・メタレベルの言説が、どうして「様式」を語ることと同定されるのかが・・?→
日埜直彦 @naohikohino
@hkohno_abbr あれは確かにつくばの説明としては全く意味をなしてないような気はしますね。なぜナショナルであることが求められたところで屈折するか、彼なりの必然の説明が肥大してあの論文になったんでしょう。でも日本近代建築史における主体性論争の見立てとして優れてると思います。
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr
@naohikohino そうですね・・近代建築が資本主義に絡み取られ、制度化の表現の一手段に過ぎないブツに堕落することに対して、制度が求めるシンボリズムでない方法で抗しようとしているとは解釈できるのですが。/ これについては同意です。>主体性論争の見立てとして優れている
日埜直彦 @naohikohino
@hkohno_abbr 込み入った話なのでここでやるのはなかなか難しいような気はしますが、私性への撤退が抵抗にならないという構図は現在までそのまま延長してきても警句として機能するかと思います。さりとて社会へと向かうとか言う人はすぐ共同性に走り、モノの水準での抵抗にならない。
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr
まさに、それを考えていたところです。RT @naohikohino ・・・私性への撤退が抵抗にならないという構図は現在までそのまま延長してきても警句として機能するかと思います。さりとて社会へと向かうとか言う人はすぐ共同性に走り、モノの水準での抵抗にならない。
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr
@naohikohino あと、粗雑な意見ですが、(法的機構、施主の経済機構の)制度はアメリカ経由の、建築家の主体性モデルは欧州からの輸入というのも、仰る股裂きの原因となってきたのかなと。米モデルがもうダメだという自覚で、この先そこが変われば少しクレパスは小さくなるかも・・・。
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