@Philo_of_Lawtan 裁判所の判断については,立法時の議論が反映されているとの推測を持つべきで,そうすることで,積極的に判断したのか,立法を追認したのかを見極める一つの材料にすべきではないかということです。あなたの話は,議論のありうる多くの前提にすべきことがあるのに,
2013-09-16 21:55:23@Philo_of_Lawtan そういったものをあたかも当然の前提としています。だから,つい突っ込みたくなるということです。どういう前提にたってもいいですが,そこを明らかにしないと,思考過程がベールに包まれたままで,私からすると,哲学的でない気がするからです。
2013-09-16 21:58:36@Philo_of_Lawtan 法律によって様々な解釈が存在するのは好ましくないと思うんでおじゃるけど。。( ´ω`) なぜかというとルールは分かりやすく簡単なほうが良いという単純な理由なんでおじゃるけど、実際は法解釈が多数あったほうが現実的なんでおじゃるのかな。。
2013-09-16 21:03:12@Maro_chanz しかし、解釈を一切容れないほど厳密な法律は、適用する段階でかなり杓子定規な結論を招いてしまいそうですよね。ここが難しいです。
2013-09-16 21:10:57@Philo_of_Lawtan なるへそ♪( ^ω^) 法解釈がないということは厳密な法律、そういう風にもとらえられるんでおじゃるのね♪( ^ω^) うーん、確かに難しいでおじゃるね。。 >解釈を一切容れないほど厳密な法律
2013-09-16 21:28:37@ranran_radio 法の支配を、個々人の価値観や世界観から独立した法によって国家が統制されると捉えるならば、個々人の世界観の発露に過ぎないことは法の支配を否定してしまいますよね。
2013-09-16 21:17:20@ranran_radio そうです、そもそも、解釈以前の法それ自体に何かしらの規範が内在しているかが問題となります。
2013-09-16 21:27:03@ranran_radio 立法者意思は、そもそも誰を立法者と見なすのか(立法した国会全体?賛成票を投じた議員たち?法文を作成した作成者?)など、問題がありますね。
2013-09-16 21:32:10@ranran_radio そうなりますね…私も、この辺りで頭がショートしてしまってます。もう少し学ばないといけないですね。
2013-09-16 21:45:48@ranran_radio 既に読まれていたでしょうか?他には、正義論を考えるために、児玉聡『功利主義入門』、森村進『自由はどこまで可能なのか』を紹介しますね。
2013-09-16 22:00:36尻切れトンボになってしまってましたね。最後に問題提起をして、ツイートは終わろうと思います。そもそも、解釈以前の法それ自体に何らかに規範が内在しているのでしょうか?それとも、法は、解釈という過程を経てはじめて規範としての内実を備えるのでしょうか?
2013-09-16 21:30:17