アカデミックなものとのつきあいかた(その1)
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@contractio 【ググれカスといわないで】そもそもアカデミズムに属さないひとが論文書いたとき、投稿できる学会誌ってどれほどあるのでしょうか。 @contractio さん以前共著論文をソシオロゴスに投稿なさってましたが、あの雑誌では初めての事例だったのでは。 #wab
2010-10-03 17:56:26多くの学会誌は「学会員」であることが投稿資格では?職はあまり関係ないような…。 RT @otya_uke: @contractio *そもそもアカデミズムに属さないひとが論文書いたとき、投稿できる学会誌ってどれほどあるのでしょうか。* #wab
2010-10-03 17:59:42@otya_uke 基本的には(=建前上)どの雑誌も投稿できるのでは。投稿の前のハードルは、学会への参加でしょうかね(ex. 推薦状の必要など)。いずれにしても(一部の例外を除き)そんなに高いハードルであるようには思えませんが。 #wab
2010-10-03 18:00:54@contractio アカデミズムの外側にいるひとが「研究者っぽい」活動をするとき、最も大きな壁は文献精読や調査に時間的なリソースが割けるか否か、なのでは。書く気があっても実際「書けない」ひとは、「研究者」と自称すべきではないのでせうか…。そしたら私も外れますな。
2010-10-03 18:07:30@contractio ま、実際いまたいしたことは何もできていないので、外す分には全然問題ないんですけどね。むしろそっちのほうが精神的にもスッキリしそうな。 #wab
2010-10-03 18:14:21@n_akiya @friendroots @contractio それくらい知っとけって感じですね。議論の前提がひとつ更新されました。ありがとうございまする。
2010-10-03 18:16:40@contractio そして、論文を書かないイコール「研究者」でないならば、【「研究者っぽい」ことをやってるひとたちは誰なのか】問題が。「研究者」の残余カテゴリーにしかならないなら、それはちょっと残念でふ。 #wab
2010-10-03 18:21:34@otya_uke それって「誰にとって・いつ」問題になるんですかね。 (たとえば私にとっては まったく問題にならないんですが。) #wab
2010-10-03 19:34:51@contractio すくなくともわたしが、自分の活動方針を考えていく上で問題になりますね。いまは慣れてきましたが、当初研究会にもぐるときは自己紹介のときになんと言ってよいのやら、説明しづらくて困りました。 #wab
2010-10-03 20:12:16@contractio 「研究者」としての肩書きが外れたわたしが、それにも関わらずなおアカデミックな議論に関心を持つときに、何を目的としているか、ということです。「研究者を目指しているから」だと他人に対しても自分に対しても、ある程度の納得は得られると思います。 #wab
2010-10-03 20:25:18@contractio ただし、そうでない場合は別の語彙を用いて、自分自身の目指すところを言語化しなければならない。わたしの場合、―どちらかというと実存的な問題から研究に関心を持ったので―研究を「趣味」とはいい切れないところもあり、 #wab
2010-10-03 20:32:18@contractio この場を使って一度考えを整理しようと思ったのです。←っていうので答えになってますか。また的外れになってそうで心配。#wab
2010-10-03 20:32:52@contractio まだ社会人としても、研究者「っぽい」存在としても活動を始めて半年弱しか経っていないので、仕事と研究会のバランスとか、いろいろ方針が定まっておらんのです。「はっきりしないやっちゃ」とお思いかもしれませんが、気長にお付き合いください。 #wab
2010-10-03 20:43:52しかし、東大のUE野ゼミに参加している+アカデミックな世界に属さない方々の年齢層とモチベーションの多様さを思えば、わたしはきっと(どこにでもいる)うんこのごとき事例なのだろう。 #wab
2010-10-03 20:49:02書けないのに研究していると称するのは難しいのではないかとは思いますが、まぁ「自称すべき」かどうかは自分で決めればいいと思います(例えば私は自称してません)。ただ、 RT @otya_uke: *書く気があっても実際「書けない」ひとは、「研究者」と自称すべきではないのでせうか…。*
2010-10-03 22:52:48@otya_uke 私はもうちょっとだけ慎重な──つまり、「論文執筆に向けて生活が整えられているかどうか」のような──言葉遣いをしたつもりではいます。
2010-10-03 22:53:01@otya_uke 私の存在が他人にとって問題になったことならたくさんありますが、それ(=そのように問題になること)は 私にとっては問題ではありません(=私の人生・生活にとってはどうでもよいことでしかない)。
2010-10-03 22:56:14昼間の「会社員が研究にかかわること」話はどっかにまとまってないんですか。「研究会・学会に行くと自己紹介で困る」はわりとあるんですが、ふつうに「会社員のXXです」と言ってますね。
2010-10-04 00:56:31亀レスですいません。①「研究職にない研究者がいる」。 ②「論文を書こうとしていない者を、研究者とはみなしにくい」。 どちらも同意です。 @contractio @at_akada @hnda @otya_uke #wab
2010-10-04 01:05:19@contractio 手短にいうと、前に言われた「他人に承認を求めない」か否かの違いはやはり大きいでしょうね。それはパーソナリティによる部分ももちろん、ここに詳しく書けまませんが置かれた状況の差異でもあるかと。何はともあれ、また色々考える材料ができました。ありがとうございます。
2010-10-04 08:00:50他人との問答をとおし、互いの違いがわかってあらためて自分の方向性を「変えられない部分」まで含め自覚できることがある。そのことが、以前よりも貴重に感じられるようになってきました。ありがたい変化です。
2010-10-04 08:23:08@otya_uke 私を「例」に挙げてはいただきましたが、でも、やはり私たちの間には相当距離があるような気がします。なにしろ私はそもそも「研究者を自称」とか考えたことが無いし、そういうことが問題になったことがないからです。
2010-10-04 08:37:09@contractio 修正確認しました。ありがとうございます。方針が違うのはある意味あたりまえだし、むしろそのほうが健全なので「距離」を確認できてよかった、と最後につけ加えさせてください。今後ともよろしくお願いします。
2010-10-04 12:20:28