すっごいもののそとっつら

素晴らしいものとは,真理とはなにか。 そのちょっとした皮の一部みたいなもんが昨日わかりました。 なあんて。だから何って話だけどw。
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難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

事情が重なって追い詰められているとき、散歩に出かけたくなる それもどこにでも行きたいわけじゃなくて、姿を消すかのように、何もない所へ、あけっぴろげに広い所に歩いていきたくなる。

2013-09-23 17:26:10
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

街中に出るのがストレスに感じて、その方向に身体を向けると、両足がこれを拒む。住宅地のある静かな方向に向いても、ストレスを感じて、両足が上半身に背く。

2013-09-23 17:27:12
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

広々とした静かなところに行きたくなるのだけど、静かな所であっても、狭い場所に居たいとは何故か思わなくなる。とにかく、何もない所に行きたくなることがある。

2013-09-23 17:28:14
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

3時半から5時くらいまでの、微妙に雲が空に色を混ぜている中秋の頃合は猶更だ。向こう側に目をやると、いかにも土浦の田舎らしい切ない光景が浮き上がって、とても気持ちがいい。

2013-09-23 17:29:26
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

ただ、妙につっかかるやつがある、車の音だ。車が3つも通れば、もう許せない。漢字でも書くだろう、車が3つ通ると書いて、轟音と読むのである。少しでも空の広い所で、車の音とは余計な音なのだ。

2013-09-23 17:30:17
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

その音のせいで、しんみりしたい気分もほぼ粉々に破壊される。田舎な街路にて車が1台でも通れば、切なさを味わう隙間は消えてしまう。寂しさが破壊される寂しさに形容詞は存在しない。それは詩人殺しの轟音である。

2013-09-23 17:31:37
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

何を建設しようとしたか、おじゃんになったような砂の塊が一本道の隣にそびえる。自転車道路含め、道路を歩くことに辟易していたから、思い切ってここをざくざくと駆け上がり、座ると砂がついて酷くなるから、立ちすくんでみることにした。

2013-09-23 17:33:20
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

するとどうだろう、小さなアパートの1階ほどもない高さなのに、とても幅広く見渡すことが出来るものだ。向こう側には古そうなラブホテルが空疎に建っている。暗くないからフラッシュもなく、落ち着いている。自転車路の傍に並び立つ木々やフェンスが、空洞を小刻みに呼び込んで透明だ。

2013-09-23 17:35:26
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

反対を向くと、田んぼと生い茂る雑草が混ざってできた6号バイパスというダムを超えて、筑波山が雄大に眺められる。最近田んぼを売って建てられたであろう、いくつかの民家さえ、建っていても広さを邪魔しない。吹き抜ける風をすべてが運び込んでいるかのように感じたのだった。

2013-09-23 17:37:35
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

その時、ふいに気付かされた。美しいものとは、箴言に描かれるような諸命題とは、全て非人間的で、非言語的なものである、というおぞましい事実の存在だ。

2013-09-23 17:39:27
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

なんでもないような砂の上に立ち上がってみて理解する、空と雲の混じる黄昏の憂い含んで美しい事。やや強い風が吹いているなかで、まったく絶句しかける体験をしたのは久々と言うものである。

2013-09-23 17:40:41
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

車路が引かれた田舎道において、ときに情緒はとぎれてかき消される。むろんそれが風情になるときもあるが、切なさを求め静寂へ向かうときには轟音として浮きたってしまったりもする。この広い田圃道を通るのに、散歩よりドライブが似合うのにはこういうわけがあった。

2013-09-23 17:44:45
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

車でドライブするときには、一番聞こえるのは自分の運転するエンジンの音であり、窓を開ければ風が突き抜けて速さと共に轟音が快音となる。 ところが歩きの場合はそうはいかない。突然走って道路に迷惑をかけるわけにもいかず、すべてのより強い音に対して受容体であることを強要する。

2013-09-23 17:46:01
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

その時、求められていたチャンネルである、言われも無い寂寥感は拒絶される。人間が求める快なるものは、この寂寥感に似て、とても非人間的で、非言語的なものなのであろう、と。

2013-09-23 17:47:35
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

ここにおいて、藝術の、尚享受のひとつの意義、そのヒントが見えてくる。 雑多にして無明、無形にして不可知であり、決して言語において完全に追いつくと想定されもせず、かつ決して人間に理解されえない、そういうものなのであろうと。それがいわば、「イデア」なるものを想起させていたのだと。

2013-09-23 17:49:23
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

そう考えるとき、改まってあらゆる概念が、その見立てこそ違(たが)え、すべて同じものなのであろうなという期待はいっそう精確なものになって理解される。

2013-09-23 17:50:50
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

現存在と求められたものも実は痕跡の如くでただそこにあるもの、として実は人を超えている(それが解らなくて、人間に中心化せざるをえなかっただけだろう)。 作品として柵定された咲定物は、見出されてる素晴らしさはすなわちその作者たる者の非人間的要素である。言語は形容詞に過ぎない。

2013-09-23 17:51:47
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

それはある種なんらか過去、奥底に潜んだものを呼び覚まし、懐かしくもあたたくなく、ひんやりもしないけれど、冷えた様子で後ろから待ち受けている。 それは、いわばフロイトが言った懐かしくも不気味なもの、クリステヴァで言えば母なるもの、 死への欲求の根源であり、回帰という怪奇の望である。

2013-09-23 17:53:30
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

ベンヤミンは重大な経験を、一回的であり霊的と評す。これをアウラと呼ぶけれど―――人間の、複製し反覆するという運動、回想を繰り返し保存したがる欲望が、とどまることなくやってきている最大の理由は寧ろその一回性ゆえにある。 「もうにどと経験できない」という心情がそうさせるのだ。

2013-09-23 17:55:19
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

そしてそのことは多数性、多様性、錯綜性、多様体という「多」の論理とも相反しえない。もしあらゆるものが多でなければ、一も有りえぬからだ。 多様性、差異と反覆の徹底肯定は、複製によるコピー量産の肯定のためにあるのみではない。其処からくる変化、それによる固有名…

2013-09-23 17:56:29
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

言語を生産し続ける「間」を反覆しつつも摩擦し、多様なセリー(節)の網目をくぐり越して、草原に至った時に、叫ばれる非言語なるもののためにこそあろう、と。

2013-09-23 17:57:55
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

そして理解される。究極の一般性、それに与えられる形容詞は以下のとおりであると。 非人間的にして非言語的、 一回的にして霊的であり、 ゆえに多様であり多錯が有難いのだと。

2013-09-23 17:58:57
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

勘違いしてはならぬのは、そのようなものは、人間もまた描き出すのだと言う事だ。その理由はいたく単純である、人間もまた、人間ならざるものから、自然と言われる、外世界のあらゆるものから成り立っているからである。

2013-09-23 17:59:41
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

寂寥感(せきりょうかん)を、じゃくびゅうかんと妙に読んでしまう罠w 静「寂」ってのと、あと2番目とよく似た文字で誤「謬」の「謬」が連想されるからだよね…(´;ω;`)

2013-09-23 18:01:55