帝国陸軍中将 花谷正

知将猛将揃いの皇軍の中でもひときわ光輝く"聖神将"と謳われた漢"(guy)"。 より深く太平洋戦記3を楽しみつつも、おかしな方向にのめりこまないために。
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山本七平bot(戦争編) @yamamoto7heiwar

①高木俊明氏がビルマ戦線における花谷中将のこういった異常な状態を書いておられる。誰でも彼でも殴りつけ蹴倒し「腹を切れ」といい、連隊長でも副官でも兵器部長の大佐でも容赦しない――だがあれを読んだ人が、花谷中将という人だけが異常だったと考えればそれは誤りである。<『私の中の日本軍』

2013-09-25 12:07:17
山本七平bot(戦争編) @yamamoto7heiwar

②ああいうタイプの人間は、中将から上等兵に至るまで至るところにいた。そして不思議に主導権を握る。同時にその被害をうけた者は、それらしき影を垣間見ただけで、一種、動物的ともいえる反射的な防御姿勢をとるようになる。

2013-09-25 12:37:24
OGAWA Kandai @grossherzigkeit

そう、特にWW2マニアというわけでもない当方が、花谷正なる、そう有名でもない、しかしべらぼうにひどい将軍の名を初めて知ったのは、この山本七平の本によってであった。>RT

2013-09-25 14:36:38
OGAWA Kandai @grossherzigkeit

ただ、山本は花谷的な指揮官について100%の断罪をしているのかと言うと、「だが、この型の指揮官に率いられた部隊は、案外苦戦に強いのである。一種『スターリン政権の強固さ』に似た面があるのだと思う」と、奇妙な評価(?)をしているのである。

2013-09-25 14:40:29
OGAWA Kandai @grossherzigkeit

この、「中将から上等兵に至るまで至るところにいた」花谷的な指揮官に率いられた部隊が「案外苦戦に強かった」という事実を提示され、当方は「精強な日本陸軍は苛酷な戦場でも頑張った」なる言辞を、単なる賞賛として受け取っていいのか、以後どえらく悩むようになって今に至る・

2013-09-25 14:44:01
おひるね @gooddaysleep

@grossherzigkeit スターリンも督戦隊やら懲罰部隊やら粛清で部隊を恐怖で支配して、実際それはある種の勇敢さには繋がったとは思うのですがそれはささやかなプラス面であって副作用のほうが圧倒的に大きいということは変わらないと思うのです

2013-09-25 14:57:53
司史生@減量中 @tsukasafumio

昨日の話に出てきた花谷正中将のビルマ戦線におけるパワハラエピソード。 その1) 申告に来た工兵連隊長(階級は大佐)を「貴様それとも連隊長か」と言って連隊員の眼前で殴打した。理由は不明。連隊長は「こんどやってみろ、俺もやってやる」と凄んでいたが、二度と顔を合わせずにすんだ。

2013-09-25 21:50:21
司史生@減量中 @tsukasafumio

その2) 最前線の若い中尉の些細な失敗を聞きつけて自決を命令。上司である連隊長の再三にわたる弁護や慰撫を退けついに自決に追いやった。この中尉は某親王妃の従兄弟だったと言う。

2013-09-25 21:53:38
司史生@減量中 @tsukasafumio

その3) 兵器部長の大佐は集積所を爆撃され弾薬を失ったことを根に持たれ、ことあるごとに青竹で殴打され顔の形が変るほどであった。大佐は毎晩のように男泣きに泣いていたが、自決した。

2013-09-25 21:55:35
司史生@減量中 @tsukasafumio

その4) 軍医部長は花谷師団長に殴打され続けたために怯えきってしまった。花谷に声をかけられただけで失禁するようになり、次席軍医が手配してなんとか後送させたが、正常な精神状態に復帰するのにしばらくかかった。

2013-09-25 21:57:34
司史生@減量中 @tsukasafumio

その5) 若い参謀は花谷の罵詈雑言と殴打に耐えかね、司令部を離れて前線をさまよううちに砲弾が命中し四散、新品の参謀飾緒は付近の立ち木にぶら下がっていたという。

2013-09-25 21:59:24
司史生@減量中 @tsukasafumio

その6) 別の若い参謀もことあるごとに殴打され、倒れれば蹴られ続けて精神が破壊されてしまった。いったん後送され満州の師団に配属されたが、その師団はフィリピンに転出、最後はレイテ島に置き去りとなり行方不明となった。

2013-09-25 22:01:32
司史生@減量中 @tsukasafumio

こうして書くと花谷は自分の師団司令部をたった一人で壊滅に追い込んでいるな。何のためにそうしたのか本当によくわからん。

2013-09-25 22:03:48
司史生@減量中 @tsukasafumio

昭和8年(1933年)ですから盧溝橋事件前ですが、満州事変の関係者として富山歩兵第三十五連隊第一大隊長に左遷されていた花谷は、大隊の兵を率いて軍部に批判的な記事を書いた北陸タイムス社の社屋を包囲して発砲までしています。これで将官になれたのだから尋常ではない。

2013-09-25 22:28:37
司史生@減量中 @tsukasafumio

@sweets_street @humikasan @ICQ_aisinn 陸大出身者が全員自動的に将官に出世したわけじゃなくて、その後の勤務である程度ふるい落とされてはいるんですね。それだけに花谷や牟田口みたいのが師団長になれた基準が不思議です。

2013-09-25 22:14:52
司史生@減量中 @tsukasafumio

@sweets_street たしかに日中戦争突入後の師団の急膨張による高級指揮官不足はあったとは思いますが、逆に非天組で少将に抜擢される例もありましたから、花谷はは中央省部の引きが関係したのではないかと思います。

2013-09-25 22:23:16
MURAJI @murajidash

@tsukasafumio @sweets_street 花谷の出世は完全に満州人脈ですよね。倒れた時の仕切りが色々とある片倉衷ですし

2013-09-25 22:54:58
柳田 悠 @YUUU_0910

自己防衛の一貫として花谷元陸軍中将の処世術を学ぼうと少し調べてみた。これだけの性格破綻者が、大出世できた要因は何だろうか…と思ったら結局は満州事変の功績に行き着くようだな。逆に言えば、若い時分の一回の功績だけで中将まで辿り着いたわけで、そこで獲たコネが大きかったのか…?

2013-10-02 07:29:08
柳田 悠 @YUUU_0910

花谷さんは35歳で少佐昇級、大隊長就任。当時の大隊長は800人程度の部下を抱えるわけで、それなりの規模の支店長といったところだろうか。柳城湖事件でも現場指揮官的な役割。旧陸軍の将官の半数が中隊長未経験、4分の1が連隊長以上のみ…ということを考えると重宝された理由が見えてきたかな。

2013-10-02 07:56:28