デジタルをめぐる冒険 IV

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三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

意味から出発して、どこへたどり着けるか?それが人間の思考の問題である。 思考はたくさんのことを為した。正しいこともあり、間違ったこともあり。

2013-10-02 22:03:19
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

逆に、世界(物、ビット列)から出発すれば、人間と出会う場所で意味が生成する。 それがプロダクト(product)の原理である。 コンピューターはビットストリームが人間と出会うところで意味を生成して、世界に新しい意味を生む。技術は正しいこともし、間違ったこともした。

2013-10-02 22:04:26
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

世界も人間も超越的な存在である。作ることも知ることも本来は人を超えた現象である。人はぎりぎりその境界まで行くことはできる。しかし、わかった!とか、できた!という世界の現象は人の力の超えたところであり、我々ができることはその深淵の畔で待つことだけである。人間の生がそうであるように。

2013-10-02 22:17:48
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

だからこそ、作ることも知ることも孤独ではないのだ。たとえ社会的には孤独でも、世界の現前の前では孤独でない。そこには人と、最も深い世界そのものとのインタラクティビィティがある。世界の内奥と深淵に於いて、人の精神、人の魂と世界との邂逅がある。

2013-10-02 22:33:20
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

身体と心を分けるというのは、決してエレガントな議論ではない。では身体という時に脳や神経やあらゆる物理的なものを身体というのか、心が持つ身体感覚は何なのか? 

2013-10-02 22:59:01
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

人間には二つの流れがある。心から身体へ至る流れと、身体から心へ至る流れである。前者は運動と呼ばれ、後者は省察とか瞑想と呼ばれる。内なる精神の奔流は身体を出口とし、身体は精神を包み内奥へと一つの存在へと還元されて行く。

2013-10-02 23:16:16
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

僕は物語を読むことは、自分の人生を置いて束の間の間、別の物語を生きることだと思っていた。そんな場合もあるだろう。でも、そうじゃない。

2013-10-03 01:42:59
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

物語を読むことは、映画でも、小説でも、自分の人生の物語と物語を溶け合わせることなんだ。人生は物語だから、自然に物語を求める。すべての物語は、物語同士のインタラクションとしての物語なんだ。

2013-10-03 01:43:33
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

コードを書くだけでは十分ではない。それに価値を持たせるようにしなければならない。

2013-10-03 02:38:08