- mihatsuikutoshi
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言うまでもなく、ル・コルビュジエが「輝く都市」(近代都市)等で描いた人間のモデルはルソーの「自然の人」だったわけです。そういう意味で、コーリン・ロウの近代批判は徹底している。というか、近代を根こそぎ批判している。恐ろしい…
2013-10-05 23:48:03「理想都市」とそこに住むことが想定される人間のモデル(人間観)というのは不可分なのだろう。となると、現在の私たちはどのような人間のモデルを描いたら良いのだろうか、ということから考えることがこれからの新しい「理想都市」像の創造への近道なのかも知れない。(続く
2013-10-05 23:54:15続き)ま、そのような話は古いブログ記事 http://t.co/149IiClcsp にも少し僕は書いたのだが、現在の私たちが想定すべき人間のモデルは「ホモ・ルーデンス」(遊ぶ人) http://t.co/KYMqOgpNzf ではないかと思う^^v
2013-10-05 23:57:37ま、基本的に1970年代に書かれたコーリン・ロウ著「コラージュ・シティ」は近代に対する徹底した懐疑の本で、読んでいるとつくづく鬱な気分にさせられる(´ω`)。いずれにせよ、この本を最後まで読み込んだうえで乗り越えないとダメだろう。「難解で気難しい建築家」みたいにはなりたくない。
2013-10-06 00:05:362013/10/6 (第1章)
コーリン・ロウ著「コラージュ・シティ」 の第1章「ユートピア、その衰退と解体?」を途中まで読んだ(´ω`)。うーん、どうなんだろうな。コーリン・ロウはモダニズム(近代建築)を徹底批判しているのだけど、そこまで批判されなければならないほどモダニズムは失敗したのだろうかと疑問に思う。
2013-10-07 00:38:36ま、もちろんそれは現代からだから言えることなのだろうけど。1970年代当時はモダニズム(近代建築)への批判は凄まじかったのかも知れない。ただ、この本(コラージュ・シティ)が書かれたのは1978年。そして翌年の1979年には「鉄の女」ことサッチャーがイギリスの首相に就任する。(続く
2013-10-07 00:40:16続く)言うまでもなく、サッチャー首相とはそれまでのモダニズム(近代建築)の計画主義的な政策をやめて市場主義(新自由主義)的な政策へ転換した人である。ある意味、コーリン・ロウと同様に、モダニズムを批判したと言えるだろう。(続く
2013-10-07 00:44:39続く)ところが、コーリン・ロウが1992年に書いた「コラージュ・シティ」の冒頭の「日本語版への序」では、ロンドン都心部は「ひどい」「資本主義の究極の蕩尽を体現している」「都市殺戮行為」であると激しく批判しているのだ。結局、コーリン・ロウはこの本で一体何を批判したのだろうか。
2013-10-07 00:48:39もちろん、建築(都市)思想を「敵と味方」に分けて論じるのは愚かだが、コーリン・ロウのモダニズム(近代建築)批判と、サッチャー首相の計画主義批判は相通じるところがあるように思える。そしてモダニズム無き後のロンドンは、コーリン・ロウからみて、以前よりもより一層ひどくなったのである。
2013-10-07 00:53:04というわけで、納得のいかない本である(´ω`)。ちなみにコーリン・ロウは第1章で近代建築の理性のみならず、その精神までも批判している。とにかく徹底的なのである。問題はその辛辣な批判の後に何が残ったのだろうかということ。結局、残ったのは「マテリアル・ワールド」だけではないだろうか。
2013-10-07 01:00:16ポリスの「マテリアル・ワールド」(Spirits in the Material World)。1982年の曲です。 http://t.co/C5dJleXJ17
2013-10-07 01:02:17また、アメリカでは1981年にレーガンが大統領に就任している。サッチャー首相と同様の政策(レーガノミックス)で知られている。ちなみに1984年にはマドンナの「マテリアル・ガール 」(Material Girl)が発売され大ヒットした。 http://t.co/QWOXBd3AXA
2013-10-07 01:06:30いずれにせよ、1970年代はモダニズムの「計画主義」からポストモダン的な「市場主義」へ大転換した時代であると言えるだろう。その臨界点にコーリン・ロウの「コラージュ・シティ」があると言えるのかも知れない。
2013-10-07 01:12:45ま、ただ一方で、コーリン・ロウが「イギリス人」であることを考えると話は簡単なのかも知れない。要するに、この本ではフランスの合理主義を批判しているのである(同時にドイツの歴史主義も批判している)。コーリン・ロウにとってドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」は野蛮な絵でしかないのだ。
2013-10-07 01:15:31ドラクロワ「民衆を率いる自由の女神」(1830年) http://t.co/6XrP2UsEQE http://t.co/4N5Qo5JoMr
2013-10-08 01:27:302013/10/7 (第2章)
コーリン・ロウ著「コラージュ・シティ」 http://t.co/RoTCVanGuK の第2章「ミレニウム去りし後に」を途中まで読んだ(´ω`)。ミレニウムとは千年王国のことで、ここでは近代建築の幻想の隠喩である。この章では近代建築の後に現れた建築や建築家を批判している。
2013-10-07 20:52:45この章では建築家を「タウンスケープ派」と「SF派」に分類している。前者は訳すと「街並み派」で、都市の中でのハプニング(偶発性)やアノニマスな建築を良しとする派である。後者はCIAM等の近代建築の批判的後継者で、都市や建築への科学的な態度を更に極めようとする派のことである。
2013-10-07 20:55:51ここで興味深いのは、筆者のコーリン・ロウは「タウンスケープ派」と「SF派」の両方を批判している、ということである。近代建築の波が去った後の日本では、どちらかと言えば、「タウンスケープ派」(街並み派)が「SF派」を批判する、というパターンが定着しているけど、それとは異なるようである
2013-10-07 21:01:57続き)なぜコーリン・ロウはその両方を批判するのか。それは、この章でコーリン・ロウは1960年にイギリスのロンドンで誕生した前衛的建築グループの「アーキグラム」を批判しているのだが、そのアーキグラムの作品には「タウンスケープ派」と「SF派」の両方の要素が混ざり合っているからである。
2013-10-07 21:06:33「アーキグラム」の動画。あとで観る。 / Archigram http://t.co/LoaanUBILw メモ…_φ(・_・
2013-09-28 10:07:29