「医学は科学ではない」b/w「なぜ大衆は科学(者)をリスペクトしないのか?」

文脈おぼえがきメモ    目次 1章:科学は医学じゃない 2章:なぜ大衆は科学(者)をリスペクトしないのか? 3章:科学は医学じゃない(リプライズ) 続きを読む
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道草クー太郎 @KutaroMichikusa

医学は科学よりも工学に近いという見方には賛成できる。しかし、科学と医学は対立しない。科学と工学が対立しないのと同じだ。

2013-11-13 09:17:34
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

工学が「技術に関する学」と言われるように、医学は「医療に関する学」とも言える。技術や医療には倫理や経済合理性が関与する。科学や医学に倫理が問われる場合というのは、それが技術や医療を左右する要素を持つからだ。

2013-11-13 09:21:31
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

ちなみに、外科医や歯科医は工学者にして技能者だ。臨床ではおそらく後者としての職人技がものを言う。

2013-11-13 09:26:21
もうれつ先生 @discusao

@discusao <医学は科学よりも工学に近い~科学と医学、並びに科学と工学は対立しない>←ま、医学も工学も、対立以前にジャンルとしては応用科学 applied science なので、科学であることに疑念を持つ意味はないのでは?http://t.co/vgsj6kVCrY

2013-11-13 23:28:03
もうれつ先生 @discusao

@discusao 医学は基本的に形而上学的思考で完結できるもんではないから――つまり、対象となる人間なり動物なりを相手してデータ収集なり推論なり発見をするわけで、「医療」と「医学」違うとか「医療は科学じゃない」とか、よく分からない。無理がないか?

2013-11-13 23:39:47
もうれつ先生 @discusao

@mikiosida スクリーニング検査は医療ではない。検査で「悪性乃至悪性の疑い」と判断され手術に移行した段階で初めて「医療」の領域に入る。診断の結果は(医療じゃないので)情報開示請求の必要があり「狭義の科学」に近い扱い。 https://t.co/qW0A9E8TjX

2013-11-15 20:36:12

2.なぜ大衆は科学(者)をリスペクトしないのか?

もうれつ先生 @discusao

「医学は科学じゃない」というシダさんの魅力的な提議。これは背景に小児甲状腺スクリーニング検査への批判問題がある。また彼の考えによると、科学の「普遍性」とも絡んでいるという。 https://t.co/tz4DWlxnSh

2013-11-15 21:22:37
もうれつ先生 @discusao

@discusao 「医学は科学じゃない」に対しては大きく二つ言いたいことがある。一つは繰り返し述べてきた反論。これは普通の話だし飽きたので終了。もうひとつは考を進めて「なぜ大衆(素人)は科学・科学者をリスペクトしないのか」というオルテガ『大衆の反逆』での問への答えに至る話だ。

2013-11-15 21:23:58
もうれつ先生 @discusao

@discusao こっちはスクリーニング検査の文脈とは外れるのだが、「なぜ科学者は居丈高にリスペクトを強要するのか?」「なぜ昔かたぎの職人のオヤジは科学者の御指導をウザがるのか?」という疑問に答えるもので、たいへん魅力的な問題なのだ。

2013-11-15 21:32:11

木田元『哲学以外』より引用

もうれつ先生 @discusao

引用・木田元<われわれはこう考えてきた。つまり科学は人類の産んだ偉大な叡智である。もともと科学は実用などとは無関係に、ひたすら物を冷静に見つめることから得られる無垢な知恵だったのである。それをたまたま実生活に応用したのが技術> http://t.co/AotsEoZBoz

2013-11-16 00:45:27
哲学以外

木田 元

↑引用は20年ほど前の本からだが、これはシダさんの<科学って「具体的な目的のないもの」という自己流の定義>とほぼ同様のことを述べている。つまりシダさんの定義は、自己流と謙遜しつつもかなり客観性のあるものであるといえる。
<実用などとは無関係><ひたすら物を冷静に見つめることから得られる無垢な知恵>というのも、シダさんの<目的があるとその時点で「科学を使った何か」に変わる><科学が持っている、あるいは目指す普遍性>に対応している。
ただし<われわれはこう考えてきた>という最初の一文は、「通常こう考えられてきましたが(実は違います)」の意味。この前提は否定されるために態々記述されている。
シダさんの文脈に照らし合わせると、
「科学は普遍性を持つ。目的性から自立し動機は多分に哲学的でピュアである、とする主張が一方にあるがそれは若干ファンタジックな思い込みであり、むしろ宗教・政治・イデオロギー等うつろいやすい文化的つながりの中で互いに影響しあっており、そのダイナミックな運動の結果が科学的な概念、仮説、理論や法則の発展に繋がっているというのが実態ではないか?そういった運動性を考慮せず固定的に「科学の普遍性」や「目的性からの自立」と考えている結果が「科学の本質主義と形式主義の衝突」といった隘路を生み、ひいては「医学は科学じゃない」といった怪しい提議にいたるのではないか」
という意味だ。
木田は『思想としての3.11』内の文でもほぼ同文の前提を持ち出して否定している。そのつづきで、実用が先行して発展しそれに科学が続く例として、蒸気機関の発明から熱力学という科学の確立に至るエピソードが紹介され、結論に至っている。

『思想としての3.11』収録木田元『「技術はもう人間の手に負えない?」

もうれつ先生 @discusao

木田元・別の本より引用。実用が先行して発展しそれに科学が続く例として、蒸気機関の発明から熱力学という科学の確立に至るエピソードを紹介<ワットでさえグラスゴー大学の数学機器製造者として大学内に店を持つ職人でしかなかったそうである。>(続 http://t.co/d0K5qf36Hn

2013-11-16 00:54:36
もうれつ先生 @discusao

続き) <そのワットが発明し、19世紀初頭のコーンウォールの技術者たちによってウールフ型高圧機関に改良された蒸気機関を受け継ぎ、その効率を高めるための原理的な研究をして、熱力学の基礎を据えたのが名門理工科学校(エコール・ポリテニク)を卒業したフランスの科学者カルノーである。(続く

2013-11-16 00:55:41
もうれつ先生 @discusao

続き)つまり、ここでは職人や芸術家たちによる技術革新が科学革命にはるかに先行していたのだ。><たしかに19世紀以降は、科学の成果を技術的に応用するというかたちがふえてくるが、それ以前にはむしろ科学が技術から学ぶ方が多かった。(続く

2013-11-16 00:57:11
もうれつ先生 @discusao

続き)むしろ、技術が異常に肥大してゆく過程で、あるいはその準備段階で、おのれの手先として科学を産み出したのだとさえ考えられよう。><そして、その技術にしても、人類が作り出したと言えるかどうか、むしろ技術がはじめて人間を人間にしたのだとさえ考えられる。>引用終了

2013-11-16 00:58:20
思想としての3・11

河出書房新社

急激に成長した技術が臨月に達し科学を産み出した。技術の側からすれば、技術革新の補助として誕生させた科学であったが、すくすく育ちすぎて一人前に自立したつもりになって増長するもんだから、昔かたぎの職人は科学者の説明をウザがってちゃんと聞かない(何故なら技術は必ずしも科学を必要としなかった歴史の中にいるから)。
オルテガは『大衆の反逆』の中で科学と大衆のアンビバレントな関係をつぎのように指摘する――様々な文化ジャンルの中で科学こそが大衆に最大の恩恵を与え、科学なしには大衆社会は動かない状態にあるのに、大衆は科学に対してこれっぽっちの敬意も払わない――これは、人が元来科学抜きの技術である程度まで発展してきており、技術補完的存在として科学を誕生させたという経緯(上記説明)の別の言い換えである。

3.医学は科学ではない(リプライズ)

シダミキオ @mikiosida

@discusao 最初に戻って、なぜ僕が「医学は科学ではない」としたかというと、不純だからです。あまりに医学は。この場合の医学は実用編においての意味。つまりリアルな対象の患者がいる場合を言ってます。純粋な研究目的の医学は「科学」に相違ないでしょう。

2013-11-16 00:58:37
シダミキオ @mikiosida

@discusao 例えば90歳の老人が癌になって、さてどうする?って科学じゃどうしようもないでしょう?いずれ死ぬのですから。実際にはどうしてるかと言えば家族の意向だとか、医師のポリシーとかで決まるわけですよ。対処の仕方が。それって科学じゃないでしょ?てなことを言いたかった。

2013-11-16 01:01:36
シダミキオ @mikiosida

@discusao 小児甲状腺がんの検査も実際の現場ではバイアスかかりまくりでしょう?証拠はないですが。想像で。「原発事故の影響とは考えにくい」っていうのが科学なんですか?という疑問です。つまり「不純」なのですよ。医学は。いや、医学が不純なのではなくそれを行う社会が、人が。

2013-11-16 01:05:50