スコラにおける事実の真理(極私的まとめ)
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スコラにおける「事実の真理」メモ1。トマスの場合。真は知性の対象であり、事物が真と言われるのも、知性と関連するからである。それゆえ、事物の真理(veritas rei)は、知性の真理(veritas intellectus)と関連する限りで真である。『神学大全』Q.16,a.1.
2010-10-12 23:37:38事実の真理メモ2。「『ソクラテスは坐っている』という命題は、ソクラテスが実際に坐っている場合は、一方、それが一定の表示的な言葉たる限り、事物の真理でもって真であるし、他方、真なる見解を表示するものなる限り、表示の真理でもって真でもある」(『神学大全』Q.16,a.8)
2010-10-12 23:42:47事実の真理メモ3。グロステストの場合。神自身である至上の真理(summa veritas)はひとつであり、事象の真理(rei veritas)は多数である。事象は自らの根拠である神の言葉と一致することによって真となるのだから、すべての事象の真理は至上の真理によって真となる。
2010-10-13 00:12:36事実の真理メモ4。「「AあるいはBが永遠に存在する」と言われる時には、述語がそれ自体として与えられるのは形相によるのであり、こうした名辞は形相から付与されるのである〔……〕。このような言葉の真理は、神以外に何らかの実在や永遠性を必要とはしない」(『真理について』p.141)
2010-10-13 00:22:35事実の真理メモ5。オッカムの場合。偶然命題とはその反対が可能な命題である。神は未来の偶然事に対して、必然命題としてではなく偶然命題として予め知っている。「ペトロは予定される」という命題は、現在時制であれ過去・未来時制であれ、すべて偶然命題である。
2010-10-13 04:14:07事実の真理メモ6。神は偶然命題の一方が真、他方が偽であることを意志する。「ただし、神は偶然的に意志しているのであって、かくして神はその一方を意志しないことも可能であり、他方を意志することも可能である」『神の予定と予知についての論考』518,288
2010-10-13 04:22:33@menkyak なるほど。必然的真理/偶然的真理は、可能世界を巡るスコトゥスvs.オッカムの議論の中で醸成されたということですね。あと、事物の・偶然的真理は表示的な言葉vox significativaとか音声言語voxとセットで論じられるけど、普遍論争とも絡んでるのかなと。
2010-10-13 11:20:31@menkyak 精妙博士に対して別様にこう言おう。「すなわち被造物の内には継起なしに相反する対象ないし相反する働きに向かうような能力は決してないし、また神の内にもそのようなものは、未来の偶然事でないようなことどもに関してはない」
2010-10-13 11:39:13@menkyak 「また、かくして意志における、継起なしにあるという、かの明らかでない能力に関して、私は彼を支持しない。というのも、自然のあらゆる事例において彼は誤っているからである。だか、そうなるといかにして「意志によって意志されたこと」に関する意志の偶然性は救われるだろうか」
2010-10-13 11:41:29@menkyak 「これに私は次のように答える。神の外へと向かう意志及び被造の意志はそれが働く時点において偶然的に働く」オッカム『神の予定と予知についての論考』535-536
2010-10-13 11:44:00事実の真理メモ7。トマス。神の知は未来の偶然的なfutura contingentiaに関わるか。偶然的なことは、偶然的原因しか認識しえない者にとっては推測しかできないが、神はその原因だけでなく、現実的なものactuとしても認識するのだから、偶然的なものも認識する。
2010-10-13 16:47:48事実の真理メモ8。「『全て神によって知られるものの存在は必然的である』という命題についても、区別が行われるのが常であり、則ち、物事についてde reいうものであることも、あるいは、言句についてde dictoいうものであることも可能である」『神学大全』Q14,a13.
2010-10-13 17:00:06事実の真理メモ9。モリナの場合。神の知は、自然本性的な知、自由な知、中間知scientia mediaに分類される。中間知によって人間の自由裁量は認識されるが、人間は反対をなすことも可能である。未来の偶然事は神の予知が原因で生じるのではなく、未来が原因で予知が生まれるのである。
2010-10-13 20:02:07