公正としての正義・再説を読む

私用。間違いは後で読んでいく内に修正していけばいいみたなノリで一人で読んでいるため、間違い含みの可能性もあるので注意。
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後期ロールズ @Rawlsbot

「協働の公正な条項はどのようにして特定されるのか」とロールズは問い、様々な候補を挙げた後、最後のものの一形態が公正としての正義であるとする。

2010-10-15 07:16:32
後期ロールズ @Rawlsbot

その一形態とは「協働している自由で平等な市民達が取り結ぶ合意によって決められ…合意は彼らが相互の利益…善と見なすものを考慮して行われる」…という方法に基づく決定方法である。

2010-10-15 07:16:55
後期ロールズ @Rawlsbot

要するに協働の公正条項は、現に協働している自由で平等な人々の合意により決められ、その合意は彼らの利益と善を考慮して行われる。換言すれば、正義の原理を定めるのは現に社会を形成する我々の「合意」に他ならない。そして合意は多様な利益と善を考慮し、人々を自由で平等な存在として扱う。

2010-10-15 07:18:32
後期ロールズ @Rawlsbot

多元的社会にあって、正義の拠り所が神だの自然法だのではなく、我々の合意それ自体に向かうのは自然かつ妥当な事であろう。この期に及んで人間外的な真理などに頼る事には望みがない。とは言え、単なる合意なら、それは普通に考えて不可能である。万人が同じ正義構想を持つ事などありえないからだ。

2010-10-15 07:25:02
後期ロールズ @Rawlsbot

だからロールズは正義の原理の決定以前に様々な条件を課していると思う。例えば多用される協働という言葉は、合意主体である我々市民が、そもそも協働する気のない事を否定している。さらに多様な利益と善を考慮しない決定も排除されている。

2010-10-15 07:26:51
後期ロールズ @Rawlsbot

そして何より自由と平等の理念は市民の在り方として予め理想的に定められている。それだけではない。彼らは十分に合理的で、道理に適っている必要があり、ロールズが言う正義感覚を身につけている必要もある。条件は実に多い。

2010-10-15 07:27:43
後期ロールズ @Rawlsbot

これが必ずしも悪い事かというと違う。なんらの条件もつけないのでは、我々は合意しえず、正義は生成しえないからだ。その帰結は永遠の闘争である。

2010-10-15 07:28:12
後期ロールズ @Rawlsbot

ロールズの問題意識は殆ど次の一つだけに定まっている。即ち「自由で平等で…合理的で道理にも適っており…ある世代から次世代へと全生涯に渡って十分に協同的な普通の社会構成員と見なされる…市民間の協働の公正な条項を明確にするのに最も適した受け入れやすい正義の政治的構想はどのようなものか」

2010-10-15 07:29:33
後期ロールズ @Rawlsbot

これ一つに定まっていると、私が言うのは、この記述の後に彼自身がこう書いているからである。「我々はそうでないと明言していない限り、前述の根本的な問い以外、如何なる問いにも答えようとしない」

2010-10-15 07:31:12
後期ロールズ @Rawlsbot

従ってロールズの正義はロールズが前提する問題設定の帰結であり、それ以外ではない。前提を崩した問題設定の帰結にはそもそもロールズは積極的には答えないだろう。

2010-10-15 07:32:15
後期ロールズ @Rawlsbot

正義の決定主体たる我々は「自由で平等で合理的で道理に適っており、十分に協同的で、普通の社会構成員」であるところの市民であり、そのように厳格に定められた市民のための協働のための「公正な」条項を明確にするのが正義の原理なのである。

2010-10-15 07:33:33
後期ロールズ @Rawlsbot

「自由で平等で合理的で道理に適っており、十分に協同的で、普通の社会構成員」でないような人間はロールズの理論の「我々」には含まれない。含まれた瞬間に合意は破綻する。自由主義を支持する我々は「自由で平等で合理的で道理に適っており、十分に協同的で、普通の社会構成員」でしかも公正なのだ。

2010-10-15 07:35:10
後期ロールズ @Rawlsbot

逆に言えば、人間をそもそも自由で平等な存在とは見なさず(反自由と不平等を称揚し)全く不合理で(理性を憎悪し不合理と狂気、論理破綻を原動力とし)道理に適う気がなく、協働する気がなく、非社会的・脱社会的で、不公正である事をどうとも思わないような、人間は悪人であり、排除される他ない。

2010-10-15 07:38:08
後期ロールズ @Rawlsbot

ロールズの前提には既に自由と平等の理念、さらに合理主義や啓蒙主義の理念、公正としての正義の理念、協働する社会的存在としての人間類型が全て含まれている。リベラルな正義に合意する市民は既にかなりの程度リベラルではないか、という疑念が生まれうる。

2010-10-15 07:40:31
後期ロールズ @Rawlsbot

勿論ロールズはリベラルでない者でも合意できるために、自説の形を政治的に変更したのであり、重なりあう合意の観念は、この疑念を解消すべく努力するものであろうが。

2010-10-15 07:41:10
後期ロールズ @Rawlsbot

簡単に要約すれば、穏当な多元性の事実とは「多様なる我々の両立しがたい意見の対立」という事実である。それが何についての意見の対立なのか詳しく述べれば、それは、包括的宗教的哲学的世界観及び人生において追求される道徳的美的価値観についてのそれである。

2010-10-15 07:44:39
後期ロールズ @Rawlsbot

私は神を信じているとか、私はこれを真理だと信じているとか、私はこれを美しいと思うとか、私はこれを道徳的だと思うとか…そういう諸々の信念が現に多様であり、ここに多元性の事実がある。これらの信念・価値観・意見・善・教説・宗教は、最終的にはいくら話しあっても合意に至る事はない。

2010-10-15 07:46:31
後期ロールズ @Rawlsbot

そのような秩序の中にあって、単一の宗教を正義として万人に強要する事は許されまい、という発想がリベラルにはある。(私見ではこれは妥当である)同じように単一の美意識や価値観、善を絶対的正義として全体に強要する事もまた、多元性の対応した多元的な自由主義社会の下では許されない。

2010-10-15 07:48:15
後期ロールズ @Rawlsbot

リベラリズムが宗教や個人的価値観、感情論、美意識を私的領域に閉じ込め、公的領域ではもっと普遍的で公正な公共的正当化を求めるのは、このような問題意識と規範意識、事情による。これに文句を言う人間はあまりに数多いが、私見では妥当であり、反対者は世界を地獄にしたいとしか思えない。

2010-10-15 07:49:42
後期ロールズ @Rawlsbot

ロールズの言う社会的協働は、「協働する人々が行動を規律するのに適切であるとして受け入れる、公共的に承認されたルールと手続きによって導かれている」。つまり社会成員が自ら適切と受け入れる「公共的」に「承認」された正義の法と手続きによった協働が社会的協働なのである。

2010-10-15 07:52:14
後期ロールズ @Rawlsbot

とすると、「我々」が「協働する存在」である、というロールズの前提は同時にまた、「公共的に承認された正義の法と手続きを適切と受け入れる」ような存在を我々と定めている、という事でもある。

2010-10-15 07:53:11
後期ロールズ @Rawlsbot

いわば我々は公共的であり、従って公正で互恵的であり、正義に基づく法と手続きには大人しく喜んで従うような、そういう我々なのである。このようでない我々は社会的協働に与しない者として、ロールズの合意からはやはり排除されるのではないか。

2010-10-15 07:54:55
後期ロールズ @Rawlsbot

「道理に適った人々は、もし他の人々が同様にそれらの原理を尊重するなら…自分自身の利益を犠牲にしても…原理を尊重すべきであるという事も理解している。」逆に言えば、自身の利益を犠牲にしても正義の原理を尊重する気がない程度に全くアンフェアな人間はロールズに言わせれば道理に適っていない。

2010-10-15 07:56:22
後期ロールズ @Rawlsbot

実際ロールズは包み隠さず次のように言っている。いわゆるエゴイストに対するロールズの態度は次のようなものであり、全く冷酷なものである。「原理を提案する用意がなかったり…他の人々が当然受け入れると期待される…協働の公正な条項を尊重する用意がなかったりするのは、道理に反する…

2010-10-15 07:58:23
後期ロールズ @Rawlsbot

「原理を提案する用意がなかったり…他の人々が当然受け入れると期待される…協働の公正な条項を尊重する用意がなかったりするのは、道理に反する。…提案したり尊重したりする…フリはするが、事情が許せば自分自身の利益のためにいつでも…背こうとしている者は道理に反するどころではない。」

2010-10-15 07:58:46