人間の帯びる事が出来る重量の制限上、鎧は必然的に、胸、頭を防御する、すなわちバイタルパートへの集中し、また傾斜した防御に、集約されていきました。
2010-02-14 18:59:07そんな試行錯誤の中で生まれたのが鉄楯(てつじゅん)で、古くは奈良時代以前の頃、朝鮮半島から来た防具名でした。 要するに、復古ですね。 戦国時代に試作されたものとは名前は同じですが、だいぶ違います。
2010-02-14 19:01:02まともに銃弾防御を考えた結果、重量は過大になりすぎ、馬で運ぶとしましたが、当時、すでに馬による集団突撃は銃による集団射撃で破砕しうるとなっていました(ナポレオンがいなかったのです。日本には)し、馬が撃たれて落馬したらそれで終わりだったので、誰に使われることもなく、終りました。
2010-02-14 19:04:35まともな歴史資料では集団運用のデータも出てきませんし、戦史研究でもとりあげられたことはない。どちらか言えば、珍妙な装備ですね。 TRPGで、人間よりはるかに筋力がキャラが使うなら、実用性あると思います。はい。
2010-02-14 19:06:32ちなみに。銃弾防御で、もっとも広く使われ、実用性があったのは、竹を直径1mほど紐で束ねたもので、これは陣地防御で極めて有効に動きました。土木装備が弱く、陣地構築が弱い頃は、これがほとんど唯一のまともな銃弾防御でした。ただ、これらをちゃんと取り上げたものはないように思います
2010-02-14 19:10:14ちなみに、何で竹の束で銃弾がとまるかと申しますと、スペースをあけた複層構造であるせいなのです。 人間が運べる一枚の金属板よりははるかに防護能力は高いものでした。 よく江戸期の鎧で鉄砲とめるパフォーマンスがありましたが、あれは弱装弾によるもので、単なるインチキです。はい。
2010-02-14 19:19:43立花宗茂というのは、戦国期の日本の銃兵運用に関しての第一人者でね。 竹束だけでなく、すごい足跡を残している。 日本近代戦は幕開けと同時に終ってしまう印象なんだけど、この人はその立役者なのね。
2010-02-14 19:28:15一方、対して称される本多忠勝は、戦国期の日本の槍兵運用に関しての第一人者でね。 長いこと続く中世的戦いの、最後の巨人なんだよ。 この人と立花宗茂の初期幕府の扱いの差を見ると、幕府が戦争技術に対して、一定以上の見識をもっていたことが伺えるね。
2010-02-14 19:31:16