本土からシンガポールまで巡航15ノット程度のタンカーなら最短で往復二週間程度。敵潜水艦の襲撃を恐れて大陸沿岸航路をとったりすると、三倍くらいかかる。一万トンクラスのタンカーはこれを年に最低でも10回。
2013-12-10 14:29:00日本が見積もった、戦争に必要な石油量は年556万トン。この時点で保有していたタンカーの総数は54隻47万トン。これが全て10往復して、なんとか達成できる数値。
2013-12-10 14:30:30ただ、昭和17年度の計画還送量は28万トンなので最初の一年はそれでよしとされた。これは産油地帯の採掘設備が連合軍に破壊されることを見越して設定されてる。実際にはほぼ無傷で手に入り、連合軍の潜水艦の活動も魚雷不足で不活発であったから、その年には計画を大きく上回る167万トンを還送。
2013-12-10 14:36:21ともあれ、タンカーの絶対数が不足するので、急遽既存のもの建造中の貨物船をタンカーに改装することで急をしのぐ方策がとられる。これが全部で41隻。トン数にしておよそ20万トン。
2013-12-10 14:38:33第一次戦時標準船では1TL型18隻、1TM型34隻、1TS型5隻が建造され、これで合わせて36万トン程。続く第二次戦時標準船では、2TL型25隻 2TM型34隻。これで35万トン。
2013-12-10 14:49:21TS型ってのは1000トン程度の一番小さいやつで、これは製油所や積出港まで運ぶための小型タンカー。第二戦時標準船舶では後に小型のE型貨物船を改造したTS相当のET型が100隻以上建造され、これが日本のタンカーの主力になるが、本来は外洋向きではない。
2013-12-10 14:53:32とはいえ2ET、3ET全部合わせても十万トンにみたないんだよね。ほとんどの型のタンカーが70~100%(マジキチ)程度の損耗率を記録するなかで、このET型は半数以上が生き残ってる。しかし、これはもう石油を取りに行くことさえできなくなったから生き残れたようなもの
2013-12-10 14:56:27http://t.co/bGtcHXN35k というわけで粗製濫造2TL型の代表せりあ丸。この船こそ不死鳥
2013-12-10 15:07:37旧軍(陸軍)の兵站については対ソ戦が主想定だったから鉄道は国内→朝鮮→南満州まではしっかり整備して、そこから先の馬車輸送もきちんと計画練っていたみたいだけど、華北以南はこれっぽっちも想定して無くて戦場が拡大し続けて破綻を来して対米英開戦して破局を迎えたようで・・・。(続
2013-12-10 18:37:30続き)んで対ソ戦用に整えた鉄道を中心とした(兵站)インフラは敗戦後の朝鮮戦争で共産圏が有効活用して国連軍を苦しめたというオチがついたとか・・・。
2013-12-10 18:39:45