「元禄彦左衛門」天野長重について

「直言をする頑固な老旗本」といえば、大久保彦左衛門というのが定番ですが、元禄時代にも面白い一人の老旗本がいた。その名は天野長重、かの松平伊豆守の甥であり、三千石の旗本なのだが、彼が残した日記の話が実に面白いので、軽く書いたのをまとめてみたり。なお、元禄彦左衛門というのは当方の適当な命名です。あしからず。
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神無月久音 @k_hisane

なお、さっき書いた島原の乱に参陣した松平信綱の甥・天野長重については、色々面白い話があるので、気になる方にはこちらをオススメしたく。【江戸老人旗本夜話 (氏家幹人)】 http://t.co/37e2D1U2Ui 昔、解説もしたけど、古すぎてまとめるのが厄介なんで砂。むう。

2013-12-15 01:11:40
神無月久音 @k_hisane

せっかくなんで、ちょっと再掲。「江戸老人旗本夜話」を読み返す。この本の主役、天野弥五郎右衛門長重は知恵伊豆の甥で、17の時に島原にも参陣した記録があるので、さて、どんな話だったかしらんと。

2013-12-15 01:18:47
神無月久音 @k_hisane

で、改めて読むと、この天野弥五郎右衛門、中々面白い。爺さんになってからの著書「思忠志集」にある「武芸次第」の項目には、「がんじゃう(頑丈)、馬、鑓、太刀、いやい(居合)、くみあい、弓、鉄砲、水れん、走り、飛、力」とあって、まず体が丈夫でないといかん、と。

2013-12-15 01:19:24
神無月久音 @k_hisane

他の項を見ても、とにかく「健康第一」「丈夫に長生きして立派に役目を果たすことこそ武士の本分」という類で、この辺、「武道初心集」や「葉隠」辺りと近い感じです喃。戦国も遠くなり、という感じで砂。

2013-12-15 01:19:44
神無月久音 @k_hisane

で、自分の子へ宛てた「守るべき事柄」という天野版武士の心得集みたいなのを見ると、ますます面白い。18箇条あるのですが、項目もそうですが、優先順位がまた。

2013-12-15 01:20:24
神無月久音 @k_hisane

曰く「①足は健やかに、②昼寝するな、③夜更かし厳禁、④急いで食うな、⑤禁煙、⑥茶を好むな、⑦禁酒、⑧博打を打つな、⑨傾城狂いの禁、⑩弓を引け、⑪鉄砲を撃て、⑫馬から心を離すな、⑬居合を抜け、⑭太刀を使え、⑮鑓も使え、⑯灸をすえよ、⑰鍼も打てよ、⑱歩け歩け、⑲ババンババンバンバン」

2013-12-15 01:21:00
神無月久音 @k_hisane

どうもこの人にとって武芸というものは、本来の戦闘術と言うより、健康のための運動のようなものだった気配が。でもこの人、85まで生きて、老中大久保忠朝から「戦場に於いて働きの功ある者、今御旗本に吾子一人のみ」とか言われてたりしてるので、丈夫に長生きはするもんなのであるなあと。

2013-12-15 01:21:38
神無月久音 @k_hisane

ちなみに、その「戦場」は島原の乱で、その時の働きというのは本人曰く「前んで蓮池の上に赴き、石壁の下にして石に撃る」(勇敢に攻め進んだが、石垣の下で敵の投げた石に当たった)だった様子。…まあ、「(被害だけなら)武蔵と大体同じ」と言えば格好がつくようなつかないような。

2013-12-15 01:22:58
神無月久音 @k_hisane

尤も、健康第一とはいえ、「武芸根本の事、頑丈と馬乗りなり」「武芸稽古するには怪我を仕らざる儀を先に習ふべき事」とも言ってるので、別段、武芸を不要と言ってる訳でもないんですけどね。要は優先度の問題で砂。

2013-12-15 01:27:29
神無月久音 @k_hisane

あと、寛文の頃流行ったという金平の双紙(坂田金時の子で無類の剛勇という設定の「金平」の創作冒険譚)が大好きで、近習に読ませてはエキサイトしてた様子であり、なかなか微笑ましい。

2013-12-15 01:27:48
神無月久音 @k_hisane

『金平が敵を踏み散らす場面では「気味よし~~」と躍り上がって力み、逆に金平あやうしとなれば「何とか力を貸して助けたい。どうしよう~~」とうろたえ、最後に金平勝利の段になると「さすがは金平。大変な手柄だ。すごい勇士だ」と心から感嘆したとか』とのこと。

2013-12-15 01:28:37
神無月久音 @k_hisane

で、ある人に「いい年こいてそこまで作り話にエキサイトするってどうよ?」と言われたら、「哀しい話には嘘とわかっても涙が流れる。勇ましい話には心はやるのもそれと同じ。人の性は善だから自ずと物に感じるのだ。それがわからぬとは、学問のない人は困ったものだ」とからから笑って言い返したそうな

2013-12-15 01:29:27
神無月久音 @k_hisane

現代に置き替えると、「二次元であろうと三次元であろうと、萌えるものは萌えるのだ。それがわからぬとは困ったものだ。ところでそちはまどほむ派か杏さや派か」とか言い出す爺さん(それなりの社会的地位有り)という塩梅でしょうかね(原文を台無しにする発言)

2013-12-15 01:33:54
神無月久音 @k_hisane

あと、近所の子供を集めて腕相撲して、勝てば「老いたるとはいえこの弥五郎右衛門、まだまだ捨てたものではないわい♪」と大威張り、負けたら「無念無念…」と大人気なく悔しがったというので、当時から面白い爺さんと認識されてた様子で砂。

2013-12-15 01:34:41
神無月久音 @k_hisane

この辺を踏まえると、この爺さんが現代に蘇ったら、日曜の朝は必ずTVの前でスタンバイ、ライダーとか戦隊もののグッズとか出るなら、即ゲットして孫と一緒に遊びそうな様が幻視できて、なんか妙に親近感を感じま砂。一応、三千石の大身旗本なんですけどね。

2013-12-15 01:36:41
神無月久音 @k_hisane

この他、美味いと評判の麩屋のところに行って、「お前の麩は確かに美味い。でも、評判がよいことに驕って値上げなどしてはいかぬぞ。今は他の麩と同じ値段だから評判になってるのであって、値上げすれば”美味いけど高いから”と人は離れていくであろう。気をつけよ」と忠告した、なんてエピソードも。

2013-12-15 01:37:10
神無月久音 @k_hisane

ちなみにこの話のオチは、「この弥五郎右衛門の忠告に感激した主人夫婦は、その言葉を守って仕事に励み、ついには7・8人の奉公人を使い、2つの家屋敷を持つ身代にまでなったそうな」とのこと。おお、いい話だ!

2013-12-15 01:37:43
神無月久音 @k_hisane

で、この人、こんな感じのエピソードが結構色々あって、「久夢日記」「続編武林隠見録」などにまとめられていたらしく、今(大久保)彦左衛門という趣です喃。なお、この人の日記は国立公文書館に現存してます。【思忠志集】http://t.co/1eWstKEqhZ

2013-12-15 01:39:33