「痛み」からの倫理学門前

「痛み」から始まった倫理学の話についてまとめました。 ※ 例によって切り貼りしてるので、元の文脈と異なっている可能性があります。 …タイトルで『動物からの倫理学入門』を少しも意識しなかったと言えば嘘になる 続きを読む
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齊藤明紀 @a_saitoh

@sintach @ynabe39 さらに興味深いのは「かなりの確率で死ぬけど、セーブポイントに戻ってやり直すことが出来る」だと平気なんですね。何回でも試行錯誤的に死んで、そのうち死なずに抜けるやり方を見つける。

2013-12-20 10:55:29
ネコニャン @Adamoste8989

@ynabe39 するともしないとも言えないですが、普通の人間ならそのロボットがどれだけ本来痛みを感じる動物に近く作られているかという程度問題にもよるが、ロボットの苦しみを見る自らの良心を痛め苦しまないように配慮し行動すると思います。猫を撫でながら豚の肉を食らうのが人間ですから。

2013-12-20 10:37:00
倉沢 繭樹 @mayuqix

前にツイッターで、他の家電と違い、掃除ロボットのユーザーは「治してあげて」と修理を依頼し、あまり期日を急がない、というメーカーのコメントを見かけました。「人間」に近いと思えるモノには、何か情がわくのでしょうか。 @ynabe39

2013-12-20 09:55:03
真無 @G_K_Woody

@mayuqix @ynabe39 単に「掃除ロボット」の初期のユーザーが金持ちという事と別になくても困らない製品だという事に過ぎないのではないかな。

2013-12-20 10:07:55

「痛み」からの倫理学

渡邊芳之 @ynabe39

「○○は痛みを感じるか」という問いは「人間が痛みを感じるような刺激に対して人間が示すように体をくねらせたり苦痛の叫びを上げたりすることが観察されるか」という問いになり「痛みそのものがあるかないか」はどこまでもわからない。

2013-12-20 09:30:46
渡邊芳之 @ynabe39

もっともこれは「自分以外の人間」についても同じで,自分が痛みを感じる刺激に自分と同じような反応をしている他者がいれば「痛みを感じている」と思うし他者が「痛みそのもの」を感じているかどうかはわからない。

2013-12-20 09:31:54
渡邊芳之 @ynabe39

それで「自分が痛い時と類似した反応をする人間」にだけ痛みの存在を認めて配慮するのに「自分が痛い時と類似した反応をする動物」には配慮しないのは「種差別」だから「痛みを感じる人間と似た反応をする動物」には配慮しようという話になる。

2013-12-20 09:34:23
渡邊芳之 @ynabe39

さて「人間が痛みを感じるような刺激に対して人間が示すように体をくねらせたり苦痛の叫びを上げたりすることが観察されるロボット」をつくったらわれわれはそのロボットの痛みに配慮して苦しめないようにするか。

2013-12-20 09:36:44
渡邊芳之 @ynabe39

「そうする」という答えと「そうはしない」という答えの両方があるだろう。

2013-12-20 09:37:07
はやし @HayashiS1972

それには三つほど問題が。1)「人間の反応に似ている」ことを基準にすることの問題。例えば何らかの刺激に対して明らかな回避行動をとる単細胞生物はどう扱うのか?(続く)QT @ynabe39 https://t.co/6qfITIvESk

2013-12-20 09:47:25
渡邊芳之 @ynabe39

@HayashiS1972 そういったことは「問題」というより「論点」で,じっさい生命倫理学では対立する立場が論争をしています。

2013-12-20 09:48:52
はやし @HayashiS1972

(承前)2)生態的に高次消費者である人類が他の動物を食べることがほぼ必然であることをどう考えるのかという問題。それどころか、人間が他者を、時には他の動物種のことまで慮れる能力は大型哺乳類を狩る事に由来するとも言われます。@ynabe39

2013-12-20 09:52:59
渡邊芳之 @ynabe39

@HayashiS1972 これもまさに「論点」です。その問題を世界のそうそうたる学者たちがああでもないこうでもないとやっている。

2013-12-20 09:55:55
はやし @HayashiS1972

(承前)3)最後にこれが最も実生活に関わるのですが、痛みの反応を示さない人間をどう扱うのか。高度の障害で意識に問題のある人もいます。動物の権利論者の中には平然と優生学的主張をする論者もあります。@ynabe39

2013-12-20 10:01:35
渡邊芳之 @ynabe39

@HayashiS1972 それはまさに典型的な「論点」ですね。生命倫理の授業だったら試験に出ます。

2013-12-20 10:02:13
渡邊芳之 @ynabe39

@HayashiS1972 それで,そうした議論の中では「生態的に高次消費者である人間が他の動物を食べることがほぼ必然」のような「われわれの常識」はどんどん論破されていきます。「進化論的な根拠」も同様。

2013-12-20 10:00:09
はやし @HayashiS1972

@ynabe39 そういう議論で出てきた「覆された常識」について、生物学や人類学からの応答はどういう感じなんでしょうか?

2013-12-20 10:17:49
渡邊芳之 @ynabe39

これも「程度問題」であって「どの程度」に線を引くかは時代や文化や文脈によっていくらでも変わる。ある時代にはその境界線は(今のわれわれから見れば)人間と人間の間に引かれていた。

2013-12-20 10:09:27
渡邊芳之 @ynabe39

@HayashiS1972 倫理の問題では「生物学的に事実であるからそれが正しい,あるいは必然である」という考え方自体が「生物学主義」とか「自然主義の誤謬」として批判されるのがふつうです。

2013-12-20 10:19:28
渡邊芳之 @ynabe39

@HayashiS1972 で,それがたしかに誤謬である(事実と倫理は区別すべきである)ということについては一般にこの問題に関わる生物学,獣医畜産学の研究者も同意していることが多いです。

2013-12-20 10:21:07
はやし @HayashiS1972

@ynabe39 それは存じています。もちろん僕も人間社会についての議論に生物学的な本質主義を適用する、例えば社会ダーウィニズムみたいなものには反対です。ただ、他の生物種を巻き込んでの議論では生物学的知見を小さく見積もるのは観念論に過ぎると思います。→

2013-12-20 10:29:30
渡邊芳之 @ynabe39

@HayashiS1972 まさにそこが「論点」なんですが,私たちよりずっと知識がある頭のよい人々が延々と議論しても結論や「程度の基準」を得るのは簡単ではありません。

2013-12-20 10:31:37
渡邊芳之 @ynabe39

「人間以外の生物の生命に関する倫理の問題」が「程度問題」なのは自明だと思うけれども,生命尊重側もそれに反対する側も「程度問題でない」と言いたがるし,もともと倫理についての議論自体が「程度問題にすること」を嫌うようにも見える。

2013-12-20 10:33:46
Sirius☆彡 #パンデミックの彼方へ @sitesirius

倫理、というのは、元来、原理主義的なのでしょうか。 @ynabe39

2013-12-20 10:36:31