「痛み」からの倫理学門前

「痛み」から始まった倫理学の話についてまとめました。 ※ 例によって切り貼りしてるので、元の文脈と異なっている可能性があります。 …タイトルで『動物からの倫理学入門』を少しも意識しなかったと言えば嘘になる 続きを読む
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渡邊芳之 @ynabe39

@sitesirius そのようだなあ,と感じています。

2013-12-20 10:36:47
Sirius☆彡 #パンデミックの彼方へ @sitesirius

そうすると、宗教性に含まれる倫理も、元来、原理主義的なものなのかもしれませんね。 「生類憐れみの令」や「イワシの頭も信心しだい」のような。 @ynabe39

2013-12-20 10:38:50
渡邊芳之 @ynabe39

@sitesirius 「宗教が原理主義だ」というのは「イワシは魚だ」みたいな話です。

2013-12-20 10:39:18
渡邊芳之 @ynabe39

まあ「すべてが程度問題だ」と言ってしまえば「人を殺してよいかどうかも程度問題だ」ということになってしまうが実際「人殺しと言われない殺人」はわれわれの社会に実際に存在するわけで。

2013-12-20 10:34:29
はやし @HayashiS1972

@ynabe39 →例えば、これは極端であるいは揶揄の類に思われるかもしれませんが、こういう場合はどうでしょう?人間(に限らず多くの生物種で)免疫機構がありますが、回避行動を痛みや苦痛であるとするならば、「苦痛」を味合わせて排除することになります。→

2013-12-20 10:34:50
はやし @HayashiS1972

@ynabe39 →「捕食」という意思の関わることだけでなく、免疫のような意思の関与のない事でも苦痛を与えるわけです。これは避けようのない本質です。これを回避することは自らの生存を否定することに他なりません。

2013-12-20 10:39:03
渡邊芳之 @ynabe39

@HayashiS1972 もともと倫理の問題は「極論と極論を戦わせて同意点を得るもの」ですからおよそすべての極論やそれと関係する問題はすでに論点として議論されているように見えます。

2013-12-20 10:36:30
渡邊芳之 @ynabe39

@HayashiS1972 それと「利用のために他の個体に苦痛を与えることが望ましいかどうか」は明らかに別の問題ですね。

2013-12-20 10:40:21
渡邊芳之 @ynabe39

@HayashiS1972 なにしろわれわれがふつうに思いつくような論点はまずまちがいなくすでに議論されています。そして「結論は出せない」ということで同意されているという感じですね。

2013-12-20 10:42:09
はやし @HayashiS1972

@ynabe39 倫理学は、究極には結論を求めるものであるにせよ、議論し続けることが何よりも重要なんでしょうね。そのことで人間の行動が少しは慎重に思慮深くなることにつながるでしょうから。

2013-12-20 10:47:23
渡邊芳之 @ynabe39

@HayashiS1972 現実に「以前は平気だったことが平気でなくなった」ことはたくさんあるんだから,そういうことだと思うんですが,倫理学がそういう変化を記述しているだけなのか,変化を主導しているのかはいつも気になります。

2013-12-20 10:49:03
はやし @HayashiS1972

@ynabe39 両方ではないでしょうか。自然科学と違い当事者性を排除できない、というか倫理学では当事者性が最重要です、から「記述」は自己言及にならざるを得ないのでどうしても何らかの影響を与えることになるでしょう。

2013-12-20 10:55:20
渡邊芳之 @ynabe39

まあ専門家が長年議論をしても結論がでないことについては「結論が出ない」という事実を尊重したいとは思う。

2013-12-20 10:45:48
渡邊芳之 @ynabe39

どんなに専門的で先鋭的な倫理学の議論でも「じゃあわれわれはどうしたらいいんですか」という問いには「まあ程度問題でできるだけ配慮するということで」みたいな答えしかできない。これは他の研究領域でもだいたいそんなものだ。

2013-12-20 10:47:48

 「クオリア」という視点

Hiro @forest0309

近い未来、痛みのクオリアを感じることのできる生物(たぶん鳥類や哺乳類)を殺して食べるのは、悪いことだという認識が、一般的になるのではないだろうか。

2013-12-20 10:35:05
Hiro @forest0309

いまでさえ、牛や豚を殺すとき、痛みを感じさせないように、配慮されている。

2013-12-20 10:36:48
Hiro @forest0309

魚類は痛みを感じないらしい。体の肉を削りとっても、水槽の中にもどしてやると、暴れもせず、普通に泳ごうとするらしい。痛みのクオリアは、ある程度以上の脳がないと、感じないみたいだ。

2013-12-20 10:42:22
midorin P @bicijapon

@ynabe39 @forest0309 魚に外科処置をするにも麻酔をかけますから、痛みは感じるので無いでしょうか。人間と同じような痛みのクオリアがあるかは不明ですが、それを言い始めると「わたし」と「あなた」の痛みのクオリアが同じかも解らない(このクオリアの使い方は正しいですか?

2013-12-20 11:43:13
Hiro @forest0309

@bicijapon クオリアが誰にとっても同じ「感じ」かどうかを確める方法は全くないですね。だから正しいと思います。私は一般人ですが、魚に麻酔をかけるのは、治療中に暴れないようにするためではないかと。魚が暴れるのは「痛い」からではなく、水のあるところに戻ろうとする「反射」かと。

2013-12-20 12:51:03
midorin P @bicijapon

@forest0309 クオリアの存在は人間以外に対する倫理を考えるときに一つの視点になるかも知れませんね。その一方で(犬や魚やロボットの)クオリアの存在の証明が困難だとすると、倫理については人間が意識するものですから、「観察されている行動の比較」だけでいいのかも知れません。

2013-12-20 13:50:12
midorin P @bicijapon

「アワビの踊り焼き」におけるアワビの身悶え方は、蛋白変性と反射だけでは説明できないね。「痛み」感じてる、痛みのクオリア有りそう。

2013-12-20 17:15:11
渡邊芳之 @ynabe39

@forest0309 そこで人間と魚を比較するのに「クオリア」の概念が必要か,観察されている行動を比較するだけで十分ではないか,というのが心理学者の考えですね。

2013-12-20 10:43:36
Hiro @forest0309

@ynabe39 私のツイを見てくださって、ありがとうございます。私は心理学徒ではなく、哲学徒(?)なので、意識とは何か、心とは何かを、飽きもせずに長年考え続けています。その考察の中で、クオリアは非常に重要な概念です。物質と精神の問題の核心をなすものとも思っています。

2013-12-20 11:00:16
Hiro @forest0309

人間の倫理観がどこからきているかというと、自分がされて痛いこと、嫌なことは、相手にもしてはいけない。自分だって嫌なんだから。という思いだと私は思う。そういうのは、知識ではなく、生まれてからの人生の中で醸成されてくるものだから、教条的に伝えるのは無理。

2013-12-20 11:19:31