学問を修める者に期待される態度ってどんなものだろう ~聖書たんを反面教師として~
0 最初に補足
このまとめで言及している聖書たんというのは新しい聖書たん @seishotan のことではなく、前からいる聖書たん @SeisyoSeisyotan のことだよ。今混同する人はいないかもしれないけど、後から見てどちらの聖書たんのことか混乱する人が出るかもしれないし、念のためね。
2013-12-22 20:54:161 問題提起(題材の提示?)
聖書たんがまた騒動に巻き込まれてるんだね…。聖書に関連すること以外はつぶやかない方がいいとか、反原発を語るなんてもってのほかとか、いろいろ言われているのを目にするよ。でも、そこら辺は結構どっちでもいいと思うんだ。
2013-12-21 22:16:03例えばわたしなら「行政法たん」と名乗る以上は行政法を中心につぶやくことが周囲から期待されているんだろうし、そういう期待が出てくるのも当然だろうなって思う。でも、行政法に関連することだけをつぶやくべきだ、とまでは言えないかな。学術たんは単なるbotじゃないんだし雑談くらいはするよ。
2013-12-21 22:17:59…って言っても、学術たんと見られるような名前を名乗ってるのに学術(学問)を修める者として適切とは言いがたい態度を取ってしまったら、「学術たんとして適切じゃない」って批判されても仕方ないかな…とも思うよ。学問を修める者として期待される態度を逸脱したら批判されることも増えるだろうね。
2013-12-21 22:18:452 聖書たんが反発される理由と思われるもの
聖書たんが「聖書たん(学術たん)として適切じゃない」って言われる主な理由としては次の3点が挙げられると思うよ。(1)断定できないことを断定的に述べる。(2)見解の対立する相手の怒りを煽り立てるような言い方をするなど感情的な言い方をする。(3)見解の対立する相手を説得する気がない。
2013-12-21 22:23:49断定できないことを断定的に述べるのは学問を論じる上では適切と言いがたいね。もちろん「説明の便宜のため」、「厳密な証明は困難だからさしあたり」等の理由で、断定できるか微妙なことを一旦断定していることも多いよ。でも、断定できるとは到底思えないようなことを断定的に述べるのはまずいかな。
2013-12-21 22:27:30それに、感情的な言い方をするのも学問を修める者として適切な態度じゃないね。特に、相手の感情を逆撫でするような言い方をするのは。まあ、あえて挑発していたり単に雑談として述べていたりする(学問的に論じたい訳じゃない)のならその人のキャラってことで仕方ないのかな。わたしは嫌いだけどね。
2013-12-21 22:28:46あと、学問には「より良い結果を目指して見解を突き合わせていく」って面もあるよね。そのとき、単に自分の見解が相手の見解より良いって主張するだけじゃなくて、相手から自分の見解を支持してもらえるように説得するってこともやっている人が多いんじゃないかと思うよ。必須じゃないとしても、ね。
2013-12-21 22:30:32聖書たんのつぶやきはつぶやく内容じゃなくてそのつぶやき方、つぶやく際の態度が主な原因になって反発されているんだと思う。「そんなつぶやき方をするのは学術たんじゃない」って。
2013-12-21 22:31:313 学問を修める者、論じる者として取った方がいい態度
学問を修める者としては、次に挙げるような態度を取ることが期待されているんだろうなって思うよ。(1)断定できることかどうかは慎重に見極める。(2)感情を交えた言い方は控えて論理的な言い方を心がける。(3)見解の対立する相手をも取り込めるように、説得的な言い方を心がける。
2013-12-21 22:36:23「~だ」「~である」って断定的に述べるのは慎重になった方がいいだろうね。特に、自分の見解(通説じゃない私見)を言うときは使うべきじゃないと思うよ(←こんな風に)。ある程度、客観的な事実だっていう共通認識があるのならともかく、そう言い切れない微妙なものについて断定するのはどうかな。
2013-12-21 22:40:18感情的な言い方も控えることが期待されると思う。感情的に罵り合ったり皮肉り合ったりしていて議論が進展するのは見たことがないよ。見解の対立が解消できる見通しが立っても感情の対立が解消できず議論がまとまらないなんてことも起こってしまう。学問を修める者として適切な言い方ではないだろうね。
2013-12-21 22:42:09あと、みんなに当てはまることではないかもしれないけど、見解の対立する相手が説得されてしまうような言い方を心がけるっていうのは、学問を修める者なら(意識的にしろ無意識的にしろ)やっている人が多いんじゃないかなって思うんだ。
2013-12-21 22:44:35今挙げた3つだけが学問を修めるに当たり重要ってわけじゃないよ。この3つは聖書たんを反面教師として重要そうなものを挙げたにすぎないからね。例えば、(4)必要に駆られたり面白そうだと思ったりしたら何でも題材にして取り上げてみる…っていうのも、学問を修める原動力として重要だと思うよ。
2013-12-21 22:46:59「学術たんなら、常に学問を修める者として適切な態度を取るべきだ」とは言わないよ。でも、何か意見を表明するときに学問を修める者として不適切だって受け取られ得る態度を取るのなら、それ相応の反発があることは覚悟しておくのがいいんだろうね。意見の対立が激しい話題を取り上げるなら尚更…ね。
2013-12-21 22:50:00ここまで述べてきたことは、これまでのわたしの知識、経験から述べたものだから「この文献のここにこう書いてある」って指摘することは難しいかな。探せばどこかには書いてあると思う。ただ、どこでどんな風にして学んだことかはもう明確には思い出せないことばかりだよ。
2013-12-21 23:08:30わたしは「学術たんとは何か」について厳密に論じることにはあまり興味ないよ。ただ、学術たんだと見られるような名前を名乗ってつぶやくのなら、学術(学問)を修める者、論じる者として適切な(…と周囲の人が思う)態度を取ることは期待されるんだろうし、その期待は不当なものではないって思うね。
2013-12-21 23:29:06